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カルビの焦げた匂いを対処する方法 【小説】

かれこれ、七年来の友人の家の玄関の扉を開くと、熱気の篭った芳ばしい香りが鼻を抜けた。目の合った彼ー隼人とは大学からの仲である。2LDKの部屋にもくもくと立ちのぼる煙の中、ひたすらに肉を焼いている友人の姿があった。

 

晩夏になっても蒸し暑さは一層増すばかりである。夜風が熱をはらんで頬を湿らせた。
クーラーはもちろん手放せないのだが、今日は仕方あるまい。
窓を開けるとコオロギやキリギリス達の声が入ってきて秋を思わせる。

今日は焼肉だ。
昨日、色々とあって落ち込んでいたのもあり、自暴自棄になって少しお高めの肉を奮発した。
玉ねぎ、キャベツ、ピーマンは外せない。家庭の味方のもやしとアスパラガスをカゴに入れた。
もちろん、ハイボールを忘れてはならない。ヤケ酒覚悟で二本買った。

アスパラガスは元カノが好んで食べていたものだった。やはり癖で買ってしまう。
焼肉にはアスパラが外せないんだ、と焼肉を食べに行った際、熱弁していた時の笑顔が浮かんでは消えて、しまいには灰色のため息が部屋の中を対流している。
昨日、別れ際に吐き捨てるように言われた、好きな人がいるという言葉が胸に引っ掛かって寝付きが悪い夜を過ごした。思い出す度痛みが心臓を刺す。

そんな中、親友から電話がかかってきた。

 
昼間に聞いた噂を信じることが出来ずにすぐさま隼人に連絡せざるを得なかった。
電話越しにいじってみるといつもと様子が違って魂が抜けたみたいだ。
異変を感じて問い詰めると、段々と鼻声になっていき、観念したのか経緯をぽつぽつと話してくれた。

あいつと美紀を引き合わせたのは俺だ。まさか、美紀が別の奴のことが好きだったなんて知らなかった。責任は俺にある。

隼人とは授業のグループ分けの時に一緒になって、高校時代にバスケ部だったという共通項もあり、それからというもの何をする時でもずっと一緒だった。

隼人から相談に乗って欲しいと頼まれたのは大学二年生の時だった。思いがけず電話がかかってきたから印象に残っている。
内容は恋愛相談だった。
別のサークルで同じだった美紀のことが気になっているという。
美紀は学部内でも指折りの、爽やかな笑顔が素敵な女性だ。違うグループだったが、その中でも話が上がるほど人気を集めていて、当時は男共の視線を一手に集めていた。
俺は彼女とは同じ高校だったらしいが、高校時代は面識は無かった。しかし、美紀の方は俺のことを知っていたらしく、最初に話しかけてきたのは彼女の方からだった。
そんな二人をどうにかくっつけるために奔走した甲斐もあったのか、めでたく二人が付き合うことになった時は三人で杯を交わし合った。
 
 
大学を卒業しても交流があり、社会人になった今でも時々呑みに行く仲だが、スマホ越しでも分かるほど落胆している姿が痛ましい。

力になりたい気持ちと申し訳なさを抱えて隼人の家の前に来たのは五分前だ。何度もインターフォンを鳴らそうと試みたが、泣き腫らしたあいつの顔を想像するだけでも貰い泣きしそうで怖い。ここまで来てはみたものの合わせる顔が無く、不安に襲われる。
勇気を振り絞って勢いよく扉を開けると予想だにしない光景だった。

俺は今、さっきまで泣いていた形跡のある男を前にして気まずい沈黙の中、肉を焼いている。一見するとカオスだ。そんな状況を前にしても眼下に広がる美味しそうな光景には逆らい難い。

「俺一人じゃ、食べ切れる量じゃないんだ。遠慮なく食べろよ」

隼人は、沈黙を破るとひっくり返った声で食べるよう勧めて、そのまま食べ頃のカルビへと手を伸ばす。
おもむろに肉や玉ねぎ、見慣れない緑色のばちのような野菜をホットプレートに並べた。この変な野菜はアスパラガスだった。聞いた覚えはあるが、味は想像も付かない。美味しいから、と隼人に勧められ横に並べて焼く。しばらくすると、それぞれちょうど良い焼き加減になった。
タレを弾いた玉ねぎを口に含むと甘さが広がる。トロッとした食感にまだ焼け残っていたシャキシャキ感が合わさって口の中がもう幸福でいっぱいだ。その余韻が消える前に脂とタレを存分に纏った肉を箸でわしっと掴んで勢いよく口に入れる。ニンニクと脂身の背徳感が瞬間に肉汁と共に口いっぱいに広がり、思わず天を仰いだ。
少し訝しみながらもアスパラガスとやらに箸を持っていく。先端を軽く齧るとコリッとした食感に新鮮味を感じた。根元に近づくにつれて繊維とほんのり甘みが口に広がる。当たり外れは個体差があるみたいだが、確かに美味しい。
タレ無しでもいける口だが、やはりタレとの相性は抜群だった。分厚い肉を贅沢に二枚使って包んで食感と共に楽しむ。不意に脳内には荒涼とした草原が想像された。果てに思いを馳せる。いつのまにか元気が体中に広がり、隼人にも笑顔が溢れるようになった。

 

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