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教養までそして明日から 〜〝今〟を超えるためのちょっとした考察

「バーのマスター」というのが、俺の顔の一つだ。

 そのバー『浪漫社』のオーナーは女房こと「ママ」であり、極論を言えば店の経営云々《だんだん》については他人事を決めていられる。
(確定申告とか税金等々についても)

 がしかし『浪漫社』にとってのコンテンツ(笑)の一つが俺のトークであることは〝あるだろう〟と思う。

 お客様それぞれの言説に柔軟に対応できるところの存在。ま、つまるところ幇間《たいこもち》ですな。

 江戸の古《いにしえ》からのバーというか酒場のスタンスとして、酔客の目的はまずはご婦人。
 容姿に限らず——または同性であっても——「女性が中心にあること」の安心感は、お客様の性別や性癖を問わず、まずあるのだろうと俺は考えている。

「花魁《おいらん》と幇間《たいこもち》との良きバランス」
(予防線的に言えばいわゆるジェンダーフリーを超えたものが、そこにはたぶんある)

 だからこそ我らが『浪漫社』は、零細ながらも一定のお客様に支えされて、なんとか5年半からの命脈を保っている。
 物理的な、場所としての「酒場」として。

 さて言うまでもなく、このコビット云々で緊急ナントカが現在。

 浪漫社もいたしかたなく休業をし、だがしかしこーゆー時だからこそ出来得るトコロの一つの試みとしてYouTube動画の収録と公開をせっせとしている。

 これが我ら生活を行きているところの我ら夫婦(新婚)にとってどんだけの効果をもたらすか知らんが、ふたりしてまず間違ってないと思う。
(いわゆる「方法論」からすればもっと上手いやり方もあると思うが、ま、知ったこっちゃない)

 で、さて。

 上記のYouTubeの一つでも閲覧いただければ感じ取っていただければと思うが、浪漫社は動画ですらも、
・心素直で
・熱き心に
・教養があり
・反骨精神
 に富んだものであることがお解りいただける筈だ。

 この数年、いわゆる「反知性主義」なる単語が勃興しそしてその問題点がSNS等も含め語られている。

 その論説に対して異論はない。
『浪漫社』もいつでも知性的であれかしと思うからだ。
(幸いなことに、ウチのお客様は理性的なかたがほとんどだ)

 だがしかしそれをSNSなどネットだけで闘うのではなく、もうちょっと文化・芸術的な視点・論点で——妥協ではなく、例えば大瀧詠一や桑田佳祐、あるいはラヴェルやガーシュウィンなどの音楽を聴くことにより——文化的に取らまえ、深く、深ぁく考察すべきトコロに人類は入って来てるんじゃないかなー、と俺なんざ思うんだよね。
(繰り返し&我田引水だが昼はインフラ警備隊、夜は酒場のマスターとかいう稀有な立場の者として)

——いやひさびさに書きなぐったがそもタイトルに戻ると、やっぱヒトには「教養」が必要だなと思うのが本ポストの本論。

 スノビズムや表層的な知識ではなく——つか、そもそもそれを教養とは言わない——心(ココロ)の奥底からの、
「今、目の前にある〝たかが〟現実」
 に対する姿勢とかそれに対する個々の心の闘いとかが、いまこの時に求められてると思うのだよハァポックン。

 とまれ何であろうとセ・ラ・ヴィ(それも人生)。ケ・セラ・セラ(なるようになる)ってな心持ちで、 明日も生きていきましょうお互いに。

 アタマ良くにね。

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