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黄道十二宮三周説 第6章 3周目について

 三周目に移る前に、少し補足をしておこう。
 私が語るこの考え方は、単なる見立てに過ぎないと同時に、当然、私の個性というフィルター、そして孫であるお前に向けてというフィルターがかかり、純粋理論というにはほど遠いかもしれない。概念を使った教訓のようなものだろう。
 よって、ここで気を付けなくてはならないのは、そのフィルターは、いずれ取り外さなくてはならないということであり、さらに具体的な指針を与えるなら、人は、自分が引っかかってしまった部分において、他人もそこで引っかかってほしいと願ってしまうようなところがあるということを、予め知っておくということだ。
 これは、母親が、自分の子どもに向かい合うときやってしまいがちな過ちと同じで、自分がクリアしていない問題について、我が子もきっとクリアできないに違いないという眼差しを向けながら、子育てをしてしまうということに似ている。例えば、一度たりとも自立的な生き方をしかことがない母親は、「子どもはきっと自立に苦労し、私が全て準備しなくては、この子は立派な大人になれない」という前提に立ち、あれやこれやと無駄で有害な先回りや、やるべき課題を課してしまう。心配しない方法は、自分が自立を知り、その結果、我が子も当然自立できるということを体感的に理解するしかないのだが。
 あるいは、人生の労苦を乗り越え、一人前になった男がいたとして、その男がその労苦こそ、人生を乗り越えるための人類普遍的なテーマであり、当然、我が子にも、同じような労苦を乗り越えるべきだと強制するようなケースもよく似ている。
 人生の労苦は、人それぞれの個性が反映される。それは出生図にその個性・こだわりを見て取ることができるわけだが、その個性を、他者に押し付けることは有害なことであると理解しておく必要がある。さきほども述べたが、私の三周説は、個性を生ききりつつ、全体的な円に近づくという方針であるから、概念的には目標は共通しているが、人それぞれたどるルートは、千差万別ということになる。他人に「ああしろ、こうしろ」と言ってしまいがちになっているなら、そのポイントが自分の弱点になっている可能性がある。
 また、私がそれぞれのサインで語ったキーワードにしても、私が人生でいろいろな経験をした結果、このワードが適切だろうと判断したものだ。きっと私以上の表現の仕方はあるだろうし、人によっては、まったく違った表現があう場合もあるだろうな。
 このフィルターの問題は、最後まで追いかけてくる。しかし、何か言葉で語ろうとしたとき、どうしたってそのようになってしまうという、地上的制約があるのだから、いたしかたのないことだろう。「一隅を挙げて三隅を以て反せざれば、則ち復びせず」といったところかな。どのサインにしても、地上の言葉で言いつくすことはできないが、地上的な制約を離れれば離れるほど、様々な概念を会得することができる。具体性・物質性からの解放と、カタドリでの理解がもたらされるから。

 さて、3周目の解説に取り掛かろう。
 三周目においてスポットライトが当たるのは、水瓶座と魚座ということになる。地球からの脱出を準備し、実行に移すパートだ。例えで話せば、2周目の水瓶座と魚座では、片足を地上に、片足を不可視の世界に踏み入れた状況で、まだ重心は地上世界にある。3周目の牡羊座から山羊座は、同じように片足ずつがあちらとこちらにあり、跨った状況であるが、重心があちら側に移っている。3周目の水瓶座においては、残った足をあちら側に移そうとし、魚座においては両足があちらに移った状態となる。
 3周目の水瓶座では、地上世界ではないあちらの世界を、自由自在に動ける状況であり、もはや肉体をほとんど必要としていない。魚座に入ったときには、もはや肉体のことや地上のことは考慮に入らなくなる。このような状態に円滑に移っていくための手続きが、3周目の牡羊座から山羊座の間のテーマということになる。

三周目の牡羊座(3-1)。このパートのテーマは、「異次元からの介入」である。体験的には、サハスラーラとかケテルと呼ばれているエネルギーセンターのゲートが開き、より上位からの振動が降りてきて、それをキャッチするという経験となる。地上世界に閉じ込められた状況に、風穴を開けるわけだ。私の場合、呼吸法をしていたとき、ある神社に参拝した時、夢の中で私のマスターがスイッチを入れてくれた時、変成意識で神的存在に接触した時、そのようなシーンで劇的な体験をした。振動に全身が満たされ、見えないエネルギーに覆われるような感覚だ。基本的に、私は呼吸法によるエネルギーの循環をベースに、渡りをつける活動を継続してきたが、その時にも小さく脳天に風穴を開けている感覚はある。私がこのパートで伝えたいのは、そのような小さな穴ではなく、もっと巨大なものだ。
 私の場合、振動を触覚的に捉える傾向が強いため、肌身でエネルギーを感じるような方法であったが、人によっては視覚的に捉えたり、あるいは聴覚で捉えたりすることもあるに違いない。いずれにしても、ここでの体験は、地上世界を脱出するための突破口を手に入れるものであり、劇的な体験ということになる。こんな世界があったのか、という驚きだ。2周目の魚座において、不可視の世界に取り組んできたことへの成果として感じられることだろう。私にも神秘体験は起こるのだ、という感動とともに。この感動が、しばらく3周目を進むうえでの原動力になる。
 このような体験が発生するのは、2周目を完成させたうえで、できるだけ純粋な円を描いたがゆえに、円の中心点・ゼロポイントに、より上位のエネルギーが降りることができるようになったからだ。春分と秋分に、陰陽が結合し、異界のゲートが開くように、個人の中で12サインのパーツの結合と、そこから異界の波を受け付けることができる状態を完成させたのだ。
 この異界のゲートを無理やりにこじ開けることはできるのか?という問いには、イエスと答えることができる。しかしこれはとても危うい事態を作り出す。無理やりに頭をこじ開けた場合、その情報のキャッチの仕方が、歪なものになるということだ。例えば12サインを12色の色鉛筆に例えたとき、すべてのサインを我が物にしているなら、すべてのカラーを用いて、その情報を描くことができる。攻略しているサインが少なければ少ないほど、使える色は少なくなり、キャッチした情報を歪な色使いでしか表せない。しかし押し寄せる波は半端なものではないので、歪な色使いで認識したものを、真実だと思い込んでしまう。これは例え話であって、文字通り色彩として理解してはいけないよ。
 私にも恥ずかしい体験はたくさんある。これは牡羊座体験というより、私の整理の仕方では3周目の双子座体験や蟹座体験(変成意識)であるが、私がキャッチした情報こそ正しいと思いこんでしまい、若いころは自分のフィルターには無自覚になってしまいがちだった。しかしそれはそれで、そういう時期があるということで、落ち込むこともあるまいよ。
自分の偏りが酷いほど、そのキャッチしたあとに来るアウトプットが、酷い偏りになる。そこを無理やりにでも吐き出し続けることで、だんだんとクリーンになっていくという方法論もある。ただそれは、強制的にマスターしていなかったサインに向き合わされるという、劇薬を飲まされたような状況に追いやられる可能性が高い。当然、もめ事が増えるだろう。あるいはもめ事が多すぎると感じることだろう。あるいは自分の神秘体験こそが至高であり、すべてがそれに従わなくてはならないというような、勘違いの状態にもなるケースもあるだろう。
 だから私としては、ここでも1つの妥協点を見つけるが良いのではないかと思う。12サインの攻略をしつつ、一方で、脳天に風穴を開ける手続きをし(時々劇薬を入れる)、上と下とをうまく連結できるように、自分自身を注意深く観察し、創意工夫によって、偏りを無くしていくという方法だ。もめ事が増えるのは(あるいはもめ事が多すぎると感じてしまうのは)、そして自分に対して至高を感じてしまうようなことがある場合には、「きっと自分にまだ偏りが多いからだ」という前提に立つというのが、一つの目安的な在り方だろうな。結局、もめ事が多くなる、あるいはもめ事が多いと感じてしまう、あるいは神秘体験によって自己顕示欲をそそられてしまうというのは、地上生活における12サインを、十分に我が物にしておらず、3周目の流れに乗るには、まだ問題点があるということを示しているのだ。しかしすべてを悪く取る必要もない。自分の問題点を明らかにできるという点で、それは進歩にすることができるからだ。
 
 3周目の牡牛座(3-2)のテーマは、「エネルギーボディーの形成」である。ここでの手続きは、さきほどの牡羊座の神秘体験を、継続できる体を形成していくということである。あるいはできる限り、地上的肉体とは別の、次の世界(あるいは元の世界というべきか)に移行するための身体を形成・維持するということだ。
 私の場合は、呼吸法と氣のエネルギーのコントロールを中心のメソッドにしてきたので、それが最もやりやすい方法に感じられるのだが、要は、振動の高い、肉体以上の身体を作るための取り組みを行うことになるので、太極拳とかヨガとか長距離走とか、自分に合ったものを見つければ良い。自分の感覚で、肉体以上の身体があることを、物質以上のもの(エネルギー)があることを、生々しく捉えることができるようになることが目標だ。地球上で活動するために肉体を必要としたように、新しい舞台にふさわしい新しい身体を形成するわけだ。食事を通して身体を作ったように、いわばエネルギーを食べることによって、その身体を維持することができる。

 3周目の双子座(3-3)のテーマは、「不可視の世界の知識と技の獲得」だ。1周目や2周目が、肉体を使った上での知識や技を増やしたように、3周目では、新しい身体を実際に動かしてみるという試みになる。様々なオカルティズムの知識を身に着けると同時に、実際に新しいボディーを稼働してみることもここでのテーマとなる。オーラ視、リモートビューイング、水晶透視、霊視や霊聴、幽体離脱など、様々なバリエーションがあるが、自分に合った方法を見つけるように。ここは私にはなかなかに楽しいステージであったよ。いろいろなメソッドがあるが、人によって、合うもの・合わないものはやはりあるようだ。

 3周目の蟹座(3-4)のテーマは、「変成意識の拠点の獲得」だ。変成意識に入ったときに、定番のコースを取ることにより、より安定的にその新しい舞台に接触できるようになっていく。それは、定番の登場人物だったり、定番の場所だったりするが、2周目の水瓶座のところで説明したように、自分のルーツへの渡りができるステージということだ。私の場合は明晰夢を用いることが多かったが、二人の男性が宇宙旅行の準備ができたと言って、私を誘いに来た。地上世界にまだ執着があった私は、「ついに見つかってしまったか」という恐れにより、その変成意識の中で号泣してしまったのを覚えている。でもその二人には、とても深い友情と優しさを感じられた。そして変成意識に入るたびに、たいてい同じ部屋からスタートし、その部屋から出ることから、その未知の世界への探求がスタートするというパターンになっていった。もちろん、そのパターンは変更できるし、拠点をより遠くへと変更していくことだってできる。

 3周目の獅子座(3-5)のテーマは、「創造と歓喜」である。地上的な制約に縛られずに、純粋な創造活動に喜びを見出す。何かの役に立つとか立たないとか、正しいとか間違っているとかいう基準で創造するのではない。単にそれが魂を震えさせるのだ。ここでは、一見、誤りと思えるアウトプットですら創作物になり、いかなる地上的評価も、面白く感じられる「反応」に過ぎなくなる。このステージは、さらに地上世界からの乖離をもたらし、成長を加速させるだろう。振り返らない心をもたらしてくれるだろう。芸術至上主義のような感覚に包まれるが、特に芸術でなくてはならないということもない。蟹座(3-4)での体験が深まるごとに、扱う素材が地上的なものから、肉体では知覚できないものにウエイトが高まっていく。結果として、その創造行為は、地上的な価値観を突き抜けた、今までになかったような面白い表現となって表れることになるわけだ。

 3周目の乙女座(3-6)のテーマは、「祈りあるいは願望実現」である。願望実現とは言っても、地上的な欲求からくる個人的な願望ではない。むしろ、地上的な欲望が少ないほどに、その願望実現が加速するというパラドックスを味わうことになる。上位の世界の振動に満たされることによって、自分に必要な状況や環境を、自動的に形成することになるのがこのステージだ。私が望んだというよりも、私に高い振動を送る存在たちが、私を通して、私にふさわしい環境を実現してくれるという感覚だ。私が望んだことのようにも少し感じられるが、その望みは、私を超越した存在たちによってもたらされているわけで、「そう望まされた」という言葉が一番近いだろう。環境が全て、創造活動のたまものに見えてくる。「祈りは必ず聞き届けられる」という言葉も、このステージに関係しているが、「祈り」が指す概念自体が、一般的なものとはズレている状況になっている。乙女座は奉仕活動を表すが、奉仕先が上位世界に変更になったと見ればいいだろう。
 しかし一方で、俗な世界で言われている「個人的な祈り」にしても、しつこく祈り続ければ、あるいは思い続ければ、時間をかけてでも必ず実現させようというエネルギーが働くのも正しい認識だ。思い続ければ、叶うのだ。
 この前者と後者の違いは、地上的表現の12サイン(1周目と2周目)をすべてマスターしているか、そしてそのことにより、高い振動をキャッチできるようになっているか、という差にある。12サインをマスターしているなら、すでに取り立てて、地上的な何かを激しく求めることはない。ひっかかる場所が少ない。よって、上位のエネルギーを円滑に地上にもたらすことができる。感覚で言うと、「すでに持っているものを地上に反映させる」というような感覚だ。
12サイン(1周目と2周目)をマスターしていないなら、ひっかかる場所が多く、上位からのエネルギーが地上において何かを成就するまでに長い経緯を必要としてしまうことになる。それが良いことなのか、悪いことなのかは判断しかねる。地上的に良いことでも悪いことでも、思い続ければ、時間をかけて成就するエネルギーが働き続けるからだ。
3周目の牡羊座に入ってからは、自分を超えた圧倒的な存在に、肉体に閉じ込められた自分の小ささを知っていくことになるが、この乙女座の段階に来ると、「自分のために生きている」という感覚が、かなり変容していることに気づくだろう。「自分」が指す範囲が大きくなり、何か自分を取り巻く全体をさして「自分」という感覚を抱くようになるだろう。3周目の獅子座において、善悪や正邪を超越した創造性を受け入れたことによって、地上的に可能ならしめていた「個」は、意味のないものになってしまったからだ。
地上世界における最後の労働は、「祈り」と言えるかもしれない。しかし祈る者は、地上的なものへの関心が少なければ少ないほど、うまく祈ることができる訳で、祈る本人としては地上がから離脱するために祈り、その周りにいる者たちは、地上においてその恩恵を受けるという状況になるわけだ。
3周目でもやはり乙女座が行き止まりになるが、これが地上的な最後の役割と言えそうだ。このステージにいる者にとっては、関与したいという気持ちはほぼないのだがね。上に駆け上がろうとしている者たちによって、地上に願望実現のエネルギーが注ぎ込まれる。このように見るなら、地上を卒業することで、与えられる恵みもあることになるのだから、次から次へと、卒業する者たちがいるのは悪いことではなかろうよ。それによって、孤立状態になりがちな地球に、振動の高い上位の世界とのつながり、見えざるパイプを維持することができるわけだから。
理想論になるが、結局、忘却に陥らずに、次から次へと道を進んでいくことによってのみ、苦痛が少ない地上世界をもたらすことができるのだろうな。降りてくる存在たち、滞在する存在たち、昇っていく存在たち。それぞれに役割があり、同じところに留まろうとしないこと、あるいは留めようとしないことで、美しい循環が完成するのだろう。
私は、年寄りの役割をもっと見直したほうがいいのではないかと思うのだ。いつまでも社会でバリバリ働き続け、地上的な役割にしがみ付けば、益々地上世界を悪くしてしまうよ。それよりも、不可視の世界に徐々に移行し、その情報を与え、存在をあちらに向かわせることによって高振動の世界とのパイプになることだ。それが人々に、安心感があり、十分な恵みを分かち合う社会をもたらすだろう。大げさに言うと、年寄りの最大の「地上的役割」は、「祈り」ではないか、と私には思える。もちろん、私の言う「祈り」は、頭で神に手紙を送る事だけではない。存在そのものを、あちらに橋渡ししていくということだ。

 3周目の天秤座(3-7)のテーマは、「高振動の交流」だ。高い振動を持つ者同士で、自由自在にコミュニケーションが取れるようになることである。これは変成意識の中での交流がメインとなるが、地上社会においての交流でも別に構わない。
例えば、私は、夢とインターネットでしか出会ったことがない貴重な交流体験もあるよ。現実のその相手には出会ったことがないのだ。だが、生々しい体験をした。夢の中で、オートマチックに動くあるエネルギーメソッドの伝授を受けたのだ。なかなかに驚くべき体験であった。伝授を受けた次の日、メールが届いており、「昨夜、夢で伝授完了した」と書かれていた。たしかにその夜は、今となってはなつかしい公衆電話に入り、ヘッドホン型の受話器をつけ、「今から送る」とメッセージが届き、エネルギーが注ぎ込まれるという夢を見たのだ。そして、地上世界で実際、そのエネルギーの発動をイメージすると、それが現象となった。現実に、そのようなことが可能なのだよ。
ここでの交流は、実際に現在の地上世界で生きている人でも構わないし、地上には降りてきていない存在たちでも構わない。自分と同じ系列のこともあれば、違った系列の存在たちという場合もあるだろう。低振動の世界を楽しんでいる人々には入って来られない、見えざる世界が一挙に広がる。繰り返せば繰り返すほど、あちらの世界のリアリティーが増していくことになる。3回目の、最後の秋分点を超えてしまったのだ。もう後戻りはできない。

3周目の蠍座(3-8)のテーマは、「変容」である。ここでさらに後戻りできない感覚は加速する。これは肉体イメージを捨てる段階で、地上的な肉体を完全にはみ出してしまい、変成意識の中で、本来の姿に戻るという経験をする。あるいは、系列は違っても、自分以上の存在の中に飲み込まれてしまい、人とは全然違う姿になってしまうという経験だ。
これは、天秤座からの流れで言えば、出会った高振動の存在たちとの結婚という例えが良いかもしれない。
私の場合は、巨大な鳥に変容したり、巨大な筒に変容したり、幾何学模様になったり、空間に溶け込んでしまうというような経験から始まった。意外と恐怖感はないものだ。これは変容するとともに、自分よりも巨大な何かに吸収されたというような感覚になる。ここまで来ると、いよいよ出口は近づいてきているという印象を持つだろう。

3周目の射手座(3-9)のテーマは、「できる限り遠い世界に飛び出してみる」ということだ。蠍座の変容と吸収されるという体験によって、より遠くに飛びたてるということが可能になる。飛び立つというのは、ある意味比喩表現で、自分が行きたい次元に瞬間移動するというほうが適切かもしれない。遠く飛び立つために、蠍座での変容を利用することもできる。筒に変身し、その中をワープするというようなやり方だ。あるいは図形に変容し、それが回転することによって瞬間移動するというやり方もある。
天秤座までの変成意識での移動は、割に至近距離で、地球圏内にいるという感覚だが、この射手座の段階では、他の惑星や、恒星に接触することが可能になる。しかし私のこの整理の仕方としては、まだ真実の恒星にたどり着いてはいない状況に位置付けている。見たビジョンや聞いた言語が、地球的な情報に変換されてしまう状態だ。これではまだ、地球を完全に卒業したということはできない。地球を完全に卒業するというのは、地球的な情報による脚色が一切なくなることを意味する。恒星界というのは、地球上の、あるいは肉体を背負っている状況での感覚では、説明できない世界が展開されるのだ。

3周目の山羊座(3-10)のテーマは、「宇宙的意識で地球を眺める立場に立つ」ということだ。ここは最後の土のエレメントであり、地球への最終的な見解を出すところである。地上に生きている時には、地上的な価値観の中で、地上を説明するしかなかった。だから突破口がなく、忘却のゲームを繰り返すしかなったのだ。そういう遊園地なのだから仕方がない。
この段階に来ると、遠い世界との関係性において、地球とはどのような場所かを考えることができるようになる。忘却のゲームをしている特殊な遊園地であることも、冷静に受け止めることができ、そのような理解のもとで、地上に働きかけることができる。この状況では、地上におけるありふれた善悪の感覚は通用しない。宇宙的な意味合いの中での判断であるため、個人的なことや、ミクロなことには反応することができない。
乙女座も土のエレメントで、祈りという奉仕作業を行ったわけであるが、山羊座の段階になると、もっと活動の内容が自覚的であり、計画的になる。乙女座は現場主義であり、山羊座は高い場所から全体を見渡そうとする。「連合」と呼ばれている存在たちに接触するのも、この段階と見立てていいだろう。

3周目は、地球を脱出するための周回であり、スポットライトが当たるのは、水瓶座と魚座ということになる。水瓶座の支配星は天王星、魚座の支配星は海王星、春分点の支配星が冥王星とするなら、ここから徐々に、太陽系からの脱出を試みる過程であることがイメージしやすくなるだろう。ここまで語れば、1周目は月、水星、金星の開拓に対応し、2周目は太陽、火星、木星、土星の開拓に対応し、3周目は天王星、海王星、冥王星の開拓に対応すると考えられることも自然と分かるはずだ。
天王星の公転周期は約84年であり、およそ人生1回分なので、人生をそのまま送っていれば、天王星意識は人生が終わるころに、だいたい会得することができそうに見える。海王星も冥王星も、人生1回ではとても追いつかない年数がかかるが、変成意識に入るトレーニングを積み、時間と空間にしばられない状態をある程度キープできるならば、肉体の制約に縛られずに、海王星と冥王星について、その役割を理解し、会得することが可能になる。
社会の安全装置やフォーマットは、土星がつかさどっており、土星の公転周期は約30年ということは、土星が望む安全な(そして窮屈な)社会の在り様からしてみれば、天王星についてはなんとか理解可能にしても(人生の中で土星3周目の後半で天王星の公転周期に追いつく)、海王星や冥王星の力を、直に受け止め、それをそのまま反映さえることは、危険極まりないことであると判断されるだろう。よって、冥王星や海王星がつかさどる活動は、常時は秘密的に、こっそりと、社会的時間や空間から離れた場所で行われる。そして、海王星や冥王星が、社会の中で露骨にその影響力を発揮されるとき、それは乱世と呼ばれる時代となり、それは非常時と認識される。
冥王星も海王星も、太陽系が、そして地球が宇宙から孤立せず、崩壊や消滅から逃れるために必要なものであり、これらの天体を通して存続のための根本的なエネルギーのチャージと循環が行われる。乱世において、世界が乱れたように見えるのも、普段からそのエネルギーチャージを怠っていた分が、一挙に供給され、土星と土星圏内の天体では、制御できない状態になっていると整理すればよい。その波乱の中に、復活のためのエネルギーは常に内蔵されており、人々はそのエネルギーを使って、苦難を感じながらも何度でも社会を再構築し、新鮮なエネルギーに満たされることだろう。
土星圏内で生きている間は、あるいは2周目の山羊座辺りまでを生きている間は、そのことを自覚することなく、生きることになる。3周目を進めば進むほど、土星圏内の価値観からはみ出し、苦難とか災害と呼ばれる出来事に対し、その本来の意味を把握することができるようになる。危険だと分かっていても、チャージが行われなければ、もっと悲惨なことになるだろうということを。
 これは、もしかしたら私の偏りなのかもしれないが、脱出を望みながら生きるなら、私は水瓶座を若干強めに意識するようにと言った。それは天体でも同じく、天王星をもっと意識するように、ということになる。それはやはり、天王星が一生分で把握できる天体であり、土星が提示する壁と、それをはるかに超越した世界・あるいは一生分をはるかに超えた価値観に関わる海王星と冥王星をつなぐ役割を担うにふさわしいと考えられるからだ。
 天王星はエーテル体の反映、海王星はアストラル体の反映、冥王星はメンタル体の反映とするなら、神はエーテル領域までしか降りてこず、物質世界には降りてこないのだから、やはり最初の手がかりはエーテル体の把握であり、その反映たる天王星を有効利用するということが、もっともスムーズなやり方に思えるのだ。

話をもとに戻し、3周目の水瓶座(3-11)のテーマは、「肉体を持たないままで自由自在に飛び回る」ということだ。山羊座(3-10)をマスターすることで、あちらの世界での立場がかなり安定する。「帰りたくなければ、帰らないでいられる状況」だ。いや、もはや「行きたくなければ、行かなくてもよい状況」というべきかな。肉体を以てして地球に安定的に所属しているのではなく、肉体なしに言わば地球の上空に滞在し、安定的に所属している状況になっているのだから。
この新しい立脚点を得た後には、そこを拠点として、あちこちに飛び回ることができるようになる。この辺りのイメージは、水瓶座21度22度も参考になるのではないか、と思う。「幻滅した女」は、水と土を捨て火と風だけで飛び立つ能力を表し、床に敷かれた布は、着地するために敷かれた柔らかいクッションだ。このクッションは、土には接触しない決意でもあるので、水のクッションと見てもいいかもしれないな。この飛び回るというイメージは一つの例えで、実際はどこにも移動せず、土と水を分離することで浮遊し、自分の行先は瞬時にカーペットとして目の前に展開されるという感覚だ。カーペットを広げたり畳んだり、というイメージで、広げるたびに、違う世界が展開されるというわけだ。
ただしこの段階でも、私の整理の仕方では、まだ地球圏を卒業しておらず、地球フィルターがかかったままだ。しかしこの段階では、距離とか大きさといった地上的な理屈は、ほとんど通用しなくなっている。自分が移動するのではなく、行きたい場所を、こちらに引き寄せるような感覚になっているのだから。

さて、いよいよ最終段階だ。魚座(3-12)のテーマは、「肉体を完全に分離し、地球を去る」という段階だ。地球フィルターの完全除去を行う作業に入る。このことによって、地球外、あるいは太陽系外の情報を、直にキャッチできるようになっていく。そして次の自分の行先を、意図的に決定し、実行に移す。死が近づくにつれて「地上的に存在している時間」は減少していき、「あちらでの存在時間」が増加していき、最終的に、死の際に、意図した場所に完全に移動することになる。美しい死に方をしなければならないというわけではないのだが、死が近づくにつれて、ほとんど食事をとらなくなっていく老人を見たとき、人生を完結させようとするその姿に、私は感銘を覚えさせられる。
完全に飛び出るのは、魚座と牡羊座の間のゼロポイントで、春分点ということになり、出発の最終仕上げはもちろん魚座の30度だ。30度までに至る流れは、死までの間に、行きたい場所に、渡りをつけていくという作業になる。いきなり行きたい場所に行くのではなく、予めある程度、次の世界を経験しておき、最後に肉体を捨てて移動するという流れになる。その次の世界の候補選びを、あちこち飛び回る水瓶座で行うと考えてもいいかもしれないな。
余談になるが、死の際に、もし自分で意図して次の行き場所を決定できる状況になっていないなら、行き場所を偶発的に与えられたような体験をすることになる。当然、地球圏内・太陽系圏内から飛び出すことは不可能だ。
もし意図できないなら、自動的に折り返しポイント(天国と呼ばれている場所)に連れていかれることになる。折り返しポイントというのは、もちろん、もう一度、地球遊園地で遊ぶ「リプレイ」が行われるための準備が行われる場所だ。しかし下手を打つと、折り返しポイントにすらたどり着くことができず、「導くものたち」によって、救われなくてはならないという場合もある。折り返しポイントに連れて行ってもらうのだ。
意図できないというのは、忘却のために全体像が見られず、そのために何を決定していいか分からないということだ。下手を打つ場合というのは、偏狭な生き方をしすぎたせいで、魂のこだわりが酷く、折り返しポイントに行くことを拒否してしまい、そのポイントに行く途中の世界で立ち止まってしまうということだ。
この辺りの情報は、他の本でたくさん紹介されているから、興味があるならそれを読むといい。もちろん、変成意識で自ら体験しに行ってもかまわないが。まずは天国と呼ばれる場所に行ってみてはどうだろう。


あとがき
 落差を少なくというのが、私の思いですので、3周目がここまで細かい分割設定にしたくなったのだと思います。とりあえず、私が学んだことや考えてきたことを自分なりに、ざっと大まかにまとめる作業ができたと思います。学んだことを自分の言葉にしてみる、これがいつもの私のやり方です。
 ところで、私の冥王星は天秤座10度のカヌーで、生前死後まで考慮にした人生の全貌を、私なりに、ちょっとくどい感じに表現したくなったということもあるだろうなと思います。
 「落差を少なく」と言いながら、実は私としては、これを書くことで、何か境界線を引こうという気持ちが働いています。境界を設け、ゲートを作ろうとしていると思います。この「境界とゲート」という見立てが、個別性を破壊せずなおかつ関係性は断ち切らない、コスモスを破壊せずつながりを維持する、そのようなやり方のために最も有効に思えました。
 自分がどこまで攻略し、どこに手を出すべきで、どこにもう手を出すべきでないのかを、自分で理解し、納得したかったということもあります。ほとんど自分のために書いている感じですので、あまり誰かの役には立たないのかもしれません。しかしアウトプットするという目的を作ることで、前進するということもありますので、これでよかったのだろうと思います。

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