「黄道十二宮三周説」 ~孫に残した老人の人生論~
孫へ
これは、私からお前に送る遺言だ。私はもうあちらに帰ることがほぼ決まっていて、明日にもその日が来るかもしれない。この少し長めの手紙が、この地上での最後の仕事になるだろう。迷路には、必ず出口があり、出口までのヒントも示されなくてはならない。それが難しすぎる迷路であればあるほどに。
お前には、この地球で生きていくための最も有能な技術の1つである占星術を、娯楽のような形式で、また続いて実用的なものとして教えてきた。しかし、もうお前も気付いているように、そこには娯楽以上のものがあるし、本来的に娯楽のために占星術があるのではなく、また地上生活における実用性のために占星術があるのでもない。それは、お前の分かりやすい言葉に変換するならば、難解なゲームを攻略するためのマップであり、羅針盤なのである。
すでにお前は、私がここで語ることを理解する程度には成長しているだろう。時々、お前の両親からこっそり隠れて、占星術を教えていた中で、私はその手ごたえを感じていたのだよ。しかし、これを緊急に読む必要はない。行き詰ったときに読めばいい。そしてここに語られていることは、英知の結晶ではなく、英知への入り口に過ぎない。お前にはお前に必要な出会いが与えられるのだから。私はその入り口にすぎない。私にも私に必要な出会いが繰り返されて、出口までたどり着いたのだ。
さて、ここで語るのは、私が考案した、占星術の一種の「見立て」だ。完全な知ではなく、このように占星術を理解すれば、本来あるべき人生の始まりから終わりを理解することができるだろうという試みだ。「見立て」を馬鹿にしてはいけないよ。そのように「見る」ということで、いろいろなことが整理されるなら、それは力になるからだ。そして、その見立てが必要なくなれば、捨ててしまっても構わないのだよ。これは便利なことではないかね?
そうだ。お前が今、きっと気付いたように、これは水瓶座12度が示すような内容を書いた遺言なのだ。
私がお前に提示するのは、「黄道十二宮三周説」だ。黄道十二宮は、魂が生まれて、地上に生き、来世を準備する様子を描いている。私が提示するのは、このゾディアックを人生の中で3周するかのように人生を送り、それぞれの周回、ステージには、それぞれのテーマがあると考える見立てだ。12サインを3回巡るのだ。このように整理しておけば、自分がどのあたりにいるのか、お前の人生に関与する者たちがどのあたりにいるのかを判断することができる。そして自分がどこに行くかを選ぶこともできやすい。
1週目のテーマは、地上に誕生して、個の意識を確立するということがテーマになる。個人としての能力や感覚の獲得ということもできる。また地上に降りてきた魂が、肉体を持つ個体として定着するまでの過程と言うこともできる。一応、12サインを巡ることになるのだが、これは12サインの前半が強調される時期となる。つまり、牡羊座から乙女座までだ。このステージにおいて天秤座以降は、装飾的な意味合いになる。最短の人生を望むなら、1周目においてはこの半周だけを意識すればよいことになる。
ここに土のサインは2つある。牡牛座と乙女座だ。この時期のテーマは個の確立なので、乙女座がゴールと考えるわけだが、乙女座が個の確立というのは、最も閉鎖されたサインだからである。乙女座と天秤座の間の秋分点は、この世界に来た魂の行き止まりを示しており、そこからはもといた場所への帰還への道がある。乙女座30度が、最も閉鎖された状況だ。あるいは先取りして、乙女座15度と考えてもよいだろう。
土のエレメントは、エレメントをまとめるという性質上、立場の安定感をもたらしてくれる効能がある。この最初のステージの土のエレメントには、牡牛座と乙女座があるが、牡牛座はやってきた魂が肉体に馴染む過程であり、乙女座は、この意識をコンパクトに個体としてまとめるという過程である。
1週目の牡羊座(1-1)は、この世界に魂がやってきて、肉体にまだ入っていない状況を示している。キーワードは、「誕生と忘却だ」。牡羊座には、新しいチャレンジや冒険という意味があるが、ここでは肉体を以て何かに挑戦するのではなく、この地上における存在そのままの挑戦の始まりを表している。この世界に舞い降りると同時に、生前の記憶は失われる。あるいは、ぼんやりとした意識であり、肉体に宿り切っていない分、地上の制約に縛られにくく、不可視の世界の情報を手に入れやすい時期でもある。
この1-1の目標は、地上にやってくるということであるから、目的意識は生前にあるのであって、多くの仕事は、出産した母や、その家族に大きな負担があることになる。地上に生きるということは、いわば重力のせいで全て忘却することからスタートするわけであるから、この両親や家族に依存しなくては存在できないという事実そのものによって、この地上の制約をいきなり見せつけられることになるのである。生まれてきた赤ん坊は、そこにいるだけで、ほぼ目的を達している。この両親や家族の保護の必要性は、このステージ1全体に言えることでもあるが、スタートに近いほど、その必要性は高くなる。
1周目の牡牛座(1-2)は、やってきた魂が肉体に宿り、そこに馴染むことが目標になる。キーワードは、肉体と五感。ある意味で、真の忘却はここで実現するとも考えられる。土のエレメントに沈むことで、不可視の世界からの情報をシャットアウトすることになるからだ。この肉体に馴染む過程は、動かすことに目標があるのではない。あくまで馴染むことだ。馴染むまで、幼児は相当の苦労をする。あちこち嘗め回したりするのも、その努力の現れで、そのような幼児の行動を否定しすぎることは、成長を損なうことになる。見たり、聞いたり、触ったり、味わったり、嗅いだり、五感の体験が、肉体を地上での依代とするための試みとなる。
ここでも当然、両親や家族の保護が重要事項になる。肉体を思いのままに動かすことができないため、防衛することが不可能だからだ。これは老婆心で言うのだが、肉体に馴染むまでは、箱入り娘、箱入り息子でよいのだよ。公園デビューは必要ない。
1週目の双子座(1-3)は、肉体を動かすことと、生きていくための最低限の知性を身に着けることが目標となる。キーワードは、身体能力と知性である。この目標は、何か具体的なテーマがあるのではなく、自分には生きていくために必要な情報を手に入れたり、技を手に入れたりすることができることを知るということがメインとなる。「学習することができる、ということを学習する」ということだ。よって、この時期に、何か具体的な目標を両親や教師が立て、それを無理やり記憶させるというようなやり方は、本来はしないほうが良い。双子座が、好奇心旺盛だということは、お前もよくわかっているだろう。好奇心のままに、動き、学ぶということが、その子が自分で学ぶことができるということを学ぶために、大きな効果を発揮するのだ。
だが、あくまでこの学びの時期は、両親や家族の保護のもとで行われなくてはならないことは当たり前だ。子どもにとっては、どこまでが危険で、どこまでが安全なのかを、またどのような情報が有害で、どこまでが有用なのかを見定めることはできないからである。安全装置の中で、好奇心のままに学び続けるというスタンスが、この時期に相応しい。現代の私たちの国では、早くから、学ぶべきことを決めすぎであり、子どもたちを委縮させるように学ばせていることは否めない。このあたりから、育てる両親や家族の側は、子どもにどのように接するのが有効なのかについて、うかつではいられないのが自然な感覚なのであるが、そのことに気付かないままの大人のほうが多いのだ。
1週目の蟹座(1-4)のキーワードは、休息と共感能力である。蟹座は、個の出現の牡羊座に対してスクエア90度の関係であり、牡羊座には見えていなかった影の部分という言い方もある。子どもは生まれてきて、自分が生き抜くための身体と知性を身に着けることに精一杯で、それが、誰かの保護のもとに行われていることだということは、ほとんど自覚できない。そして個の意識を保つということは、かなり突っ張った状態なので、休息が必要であるが、その与えられる休息の場については、当然のものであって、誰かの努力によって準備されたことを知ることはないし、この時期には知らなくてもよいのである。
双子座で知性が身に付き、物事を理解する程度が進むと同時に、能力を伸ばすための日々の活動の疲れを癒したいという願望が芽生えたとき、自分が家族に守られて生きているということを、また安息の場所が保証されているということを、子どもなりに自覚するようになる段階がくる。これは、無理にそれを学ぶというよりも、自然に見えてくるというたぐいのものだ。蟹座は休息がテーマであり、ほっとしたときに、成長した分、自分を取り囲む状況が見えてくるのである。見えるというより、感じるようになるというべきかもしれない。
このときに感じられる安心感は、双子座の過程を終えてのちに、環境から準備されるものではない。それでは手遅れである。これは、牡羊座の発動とともに、影の部分で支えいた部分として存続し、あとからそれが見えてくるというものである。この安心感と休息感が、共感能力を育むことになり、発達心理学において自律的道徳性と呼ばれる能力が現れる。なんとなくであるが、相手の立場に立って考えることができるようになってくるのである。これが発動されるのは、9~10歳くらいと考えられているようだから、それを1つの目安として、見積もっておくとよいかもしれない。家族に守られる程度が低かった子どもは、共感能力を育むことができず、安心感がなく、人生を競争や自己主張の側面でのみ測る傾向が現れることが多くなるだろう。前の双子座や次の獅子座によって、その偏りを補おうとするからだ。蟹座は逆に、いかに脱力することができるのか、そしてその状態において湧き上がってくる自然な感情をとらえるということがテーマである。
1週目の獅子座(1-5)のキーワードは、「喜びを感じる心と遊び」である。この遊びは、一見、双子座の知性と身体能力の獲得と同じように見えるかもしれないが、双子座のテーマはサバイバルのための能力獲得であり、排他性がある。一方で獅子座のほうは、人生を生きていくことが喜ばしいことであるというワクワクした感じや、自ら何かを推し進めようとする意志があり、蟹座の共感のあとということで、自分を見せつけるための「ぼんやりとした対象」の感覚が育っている。「あなたに見せたい」というターゲットがあるわけではないが、それでも自分の輝きを見てもらいたいという気持ちがあるのである。
遊びというのは、だれにも拘束されない、自分の内面から出てくる情熱によって行われるがゆえに遊びと言えるのであって、それを繰り返すたびに、生きていくことが喜ばしいことであるという感覚が培われていく。獅子座の支配星が太陽であるということも参考になるだろう。人生を自ら展開していくための素養が、遊びによって磨かれていく。幼いころに遊ぶことを禁じられた子どもは、人生を暗いものとみなし、自分で人生を構築してく喜びを知らないまま生きていくことになってしまう。自己肯定感という言葉があるが、その感覚を育むのが、1週目の獅子座のテーマとも言えるだろう。しかし、自己肯定感というものは、遊べばよいというのではなく、そもそも、蟹座の保護によってエネルギーがチャージされる前提があって初めて、獅子座の吐き出す力が成り立つということを忘れてはいけない。
1周目の乙女座(1-6)の過程によって、個に宿った魂が地上に定着するための一旦の定着場所になる。行き止まりに当たるのだ。この過程のキーワードは、「防衛と訓練」である。自分を個として成立させるためには、自分でないものを排除し、攻撃してくるものや、穢してくるものから身を守らなくてはならない。そして、こうありたいと思う自分を形成するために、トレーニングをするということを覚えることになる。1周目の双子座においても、生きていくための能力を獲得したが、この双子座が求める能力は、特定の知性や身体能力というより原始的な部分の強化がメインで(学ぶことを学ぶ)、多様性が特徴になるが、乙女座が目指すものは、こうあるべきだと思う自己を形成し、維持することである。この過程によって、人は、こうありたい、こうあるべきだと思う自分に向けて、自分をコントロールし、訓練し、守ることができることを知るのである。
一方で、この「こうありたい、こうあるべき」と思う自分像は、獅子座の遊び心とか生命力の開放というやり方とは全く異なることになる。「自分がこうありたい」という思いがあるということは、そこに他者を意識する心の芽生えがあるのであって、「他者と比較してこうありたい」という感覚が含まれることになる。しかし、まだ自己の中に納まったままであるため、正確に他者からの目を反映することは難しい。乙女座が行き止まりの一端の着地点とみなせる一方で、心理的にはかなり揺れ動くことになる。自分の願望と、きっとこうに違いないという想像上の他者の目の間での揺れ動きである。ちなみに、この他者の目を、正確にとらえることができるようになるのはまだずっと先で、私としては2周目の天秤座(2-7)と見なしている。1周目は、あくまで個人の中に埋もれている状況での成長だと、ここでは見ておるのだ。
以上によって、舞い降りてきた魂が個に定着するまでの過程という流れで、1周目の牡羊座から乙女座までの説明を行ってきた。たとえて言うなら、レースに出場するための車の準備が整ったようなものだ。次からは、1周目の天秤座から魚座までの流れを説明するが、先ほども述べたように、個の意識に埋没した中での、装飾的な経験のパートである。それは、天秤座以降が本来の働きをするのは2周目以降であり、1周目のそれは、2周目のそれらを円滑に経験するための前座のような役割にもなる。家族や学校のような小さな社会の中で、社会に出てから役に立つ能力を獲得するという流れである。1周目の天秤座から魚座の過程は、レースに出場するまえの仮運転、試し乗りのようなものだと考えるとよい。最短ではこの過程はカットしてよいと言ってはみたが、いきなり本番に出るというのは、やはり現実的ではないかもしれんね。
1周目の天秤座(1-7)のキーワードは、コミュニケーション能力である。もし私が現在の学校制度を勝手に書き換えることができるなら(それは学校という制度そのものが真に優れたものかどうかは別としてだが)、この1周目の天秤座の準備が出来た者が、学校に入学するという方針を取るだろう。それまでは、家庭やそれに代わる緩やかな環境の場で、のびのびと過ごし、学ぶことを推奨するだろう。しかし実際にはそうはいかない。1周目の双子座の時期で、すでに幼稚園や保育所に入り、小学生にも入学している。労働重視の社会では、より幼いころから子どもを労働の戦士にするための教育をしなくてはならないし、両親が働いているとなれば、学校が子守の役目も果たさざるをえないからだ。私の考えでは、自律的道徳性の芽生えが9~10歳とするなら、それまで相手の気持ちを想像することは難しく、それ以前に学校に通うことは、無駄な小競り合いが増えることにもなろうし、強制的に躾けるという側面が、かなり強化されることになっているだろうからね。
理想や批判を言ってばかりもいられないので、話を進めるが、1周目の乙女座のテーマを終えた後、天秤座は人との会話を楽しみ、交流を味わい、その能力を培うことがテーマになる。あくまで小さな社会に守られた中での交流であり、いきなり広い社会に出るわけではない。1周目は、常に保護観察付きだ。現代で言うなら学校がそのメインの舞台になる。クラスメイトや友人とのつながりが生まれ、それぞれ個性がある存在として認め合い、それが面白いと感じられる。これも、本来は、実はわざわざ、コミュニケーションの技を教えようなどとする必要はあまりないのではないか、と私は思う。乙女座までの過程を経ていれば、自動的に人との交流を楽しむことを求め、その中で創意工夫をするだろうから。しかし、急ぎすぎの社会が生み出したひずみがあり、社交の場でのルールやマナーなどを、言語的に、押し付け的に理解させなくてはならないことにつながっているのだろう。
天秤座の支配星が金星ということや、窮屈な中で神経が磨り減るような乙女座を終えた後の開かれた世界へのデビューということもあり、このパートは、華やかな印象がある。それぞれ狭い環境の中で育ってきた者たちが、少し開かれた世界(小さな社会ではあるが)で一堂に会している状態である。これは、2周目の天秤座(2-7)の、保護観察なしになった状態での社交性のための準備運動となる。
1周目の蠍座(1-8)のキーワードは、「感動体験」である。蠍座と乙女座は、牡羊座から見て150度のインコンジャクトの関係だが、それは地上にやってきたそのままの姿ではよくない、ある種の変容が必要だ、ということを示している。乙女座は個の内側でトレーニングによってこうあるべきと思う自分に変容し、蠍座は個の外側との関係で、つまり集団化やより大きな力に飲み込まれる形で変容するのだ。この変容の過程は、3周目において重要な役割を果たすことになるのだが、それは生まれる前のもとの姿に戻るということであって、人の姿を捨てるということでもある。この地上を生きる小さな「限定された私」は、人の姿をしているが、「元の大きな私」は、人の姿をしているとは限らない。1周目の蠍座も2周目の蠍座も、その変容を受け入れる準備となる。とはいえ、1周目においては、個に閉じられた私が、少しはみ出すことによって、より大きな力に乗り込むことを体験するだけだ。それが感動体験だ。
学校を例に挙げるなら、クラスのみんなで合唱したときに、個人で歌ったときは全く違う手ごたえを感じたり、運動会でみんなで力を合わせて組体操などをしたときに、何とも言えない力強さを感じたりするだろう。集団によってもたらされる力と感動を体感するのだ。蠍座は水のエレメントであり、感情的なつながりを重視していることも参考になるだろう。
この三周説において、天秤座から山羊座は社会・地上で生きることをメインとするステージ2においてスポットが当てられるサインであるが、この1周目の蠍座も、天秤座と同様に、2周目の蠍座のための仮運転のようなものだ。保護観察なしに、自分が選択した関係性や力の中に吸収されるための準備である。
1周目の射手座(1-9)のキーワードは、「切磋琢磨と成長願望」である。これは一見、競争と似ていたり、あるいは双子座の能力獲得との違いが見えにくかったりすることもある。しかしあくまで蠍座という集団化と感動体験を終えたのちのパートであるから、競い合う中で、お互いが成長し、双子座のように排他的に時に残酷になるのではなく、友情のようなものが形成されていく。支配性が木星であるということも参考になる。ただバトルするだけなら、そこには広がりというものはありえないだろう。射手座は、あくまで社会性の中のサインであるということだ。この切磋琢磨は、学問であったり、スポーツであったり、お稽古事であったりして、このパートでは、自分の得意なものをグレードアップしていく中での興奮と喜びがあることを体験するのだ。
1周目は、個の成長、能力の獲得にスポットライトを当てているので、どうしても教育的側面の話になってしまうのだが(地上においては誰も、自分一人で成長することはできないのだからね)、現代では、何でもかんでも競争という様相を呈しているようにも見える。それは天秤座でのコミュニケーション能力や蠍座の一体感を経験する前に、多くのものが集まって学ばせようとすることの誤りからくる。双子座の学びは、基礎的な学びであり、個を形成するための前提のようなものなので、それを小さな社会としての学校のような場所でする必要は実はないのだが、それをしようとした結果として、双子座の基礎的学びにおいてすら、競い合う要素を組み込まざるを得なくなるのである。それが学びへの嫌悪感や、学びの広がりの可能性を貶めている。
1周目の射手座においては、すでに基礎学力は終わっており、自分が楽しいと感じるもの(獅子座とのトラインを参考に)をグレードアップしていく中で、さらにもっと拡大した学びを求める、というのが本来の姿なのだ。自分の好きなものをもとに、学びは広がっていくのだよ。射手座には応用力というテーマもあったことを思い出してほしい。
ところで、スポーツなどは、明らかに1周目のテーマで、本来、2周目のテーマではないのだが、おかしなことに優れたスポーツ選手が社会的に優れた人物として考えられ、憧れの的になったり、大金を稼いだりするという風潮がある。これは社会全体が未熟であり、個人的な能力(射手座と言えども1周目なので)がすべてであり、全員で社会を形成するという目が、ほとんど養われていないことの現れだ。子どもの遊びや能力獲得の延長線上にあるものに、社会的価値があると思い込んでいるのだが、スポーツはまだステージ2の開かれた社会に対応していない分野だ。社会的な役割としては、言わば特別枠であり、特殊なエンターテインメント分野のようなものだ。
1周目の山羊座(1-10)のキーワードは、社会性を学ぶということだ。社会にはルールや規則があるということ、そしてそれらのルールは、人によって作られており、特に民主国家の場合、あなたにもそのような役割があるということを学ぶということである。このテーマは、現代の私たちの国ではほとんど軽んじられており、私は既存のものの中でそれを正確に伝えることは難しいかもしれない。ここでもあくまで保護観察付の中の社会ということになる。あまりしたくなないのだが、学校に例えると、学級会や生徒会といった類のものだ。
なぜ、軽んじられているのかというと、社会の現実を伝えることに、だれもが困難を感じるからだ。特にこの国においては、国民の力によって、法律が整備され社会が動いているという実感はほとんど伴っていないのが現実だ。それは特別な人たち、権力がある人たち、成功している人たちによって、社会の大枠の流れが生み出され、下層の国民は、ほとんどがそれに盲従しているというスタイルで貫かれているからである。学校の現場でも、学級会や生徒会によって決めることができる内容というのは、類稀な学校を除いては、ほとんど意味のないことを決めるか、あるいは最初から決まっていることを再認するというような内容であることが、ほとんどではないかね?子どもたちが、自分たちで自分たちの小さな社会について決定し動かすことができる機会を、もっと提供しなくてはならないということが、この3周説によって見えてくるのだが、これを可能にするためには、その小さな社会で保護観察している大人たちが、子どもたちが自分たちでルールや行事などを決めることができるということをもっと信じることと、その範囲の限界を見抜いているということが必要となる。そのためには、社会のルールに無自覚に従うだけでなく、それを自分たちで作っているという手ごたえを、大人の側でも身につけておかなくてはならないのだ。自分たちの作ったルールで、自分たちで作っている社会を動かすという感覚(少なくとも民主国家では)を磨くことが、このパートのテーマである。王政や貴族政治ならば、そのヒエラルキーの仕組み、そして上位の人々が作った社会のルールを学び、それを模擬体験するという過程になるのかもしれない。
1周目の水瓶座(1-11)のキーワードは、「自由と公平さの感覚」だ。個人は、蟹座の心理的保護と山羊座の社会的保護の中で生きているが、その保護が行き過ぎた場合、個人への制約が強すぎることになる。暗黙のルールも公認のルールも、人を縛る働きがあるが、人は時にそこから外れたくなるものなのだ。しかしその自由は、あくまで行き過ぎない程度にということになる。蟹座も山羊座も破壊しない程度にだ。こっそり制約から離れるからこそ、自由が楽しいという側面もある。またオポジション180度の関係にあるのが獅子座で、さらに天秤座から数えて5番目のサインということもあるから、これば「みんなで遊ぶ」という楽しさを表している。獅子座は一人遊び、水瓶座は集団遊びだ。獅子座には蟹座を煽り、水瓶座には山羊座を煽る傾向があるが、一方で、蟹座に支えられている、あるいは山羊座に支えられているという側面がある。自分を支えているものから離れようとするが、その自分の活動を可能ならしめているのも、その前のサインなのである。
自由な発想で、山羊座のルールから離れてみるということは、山羊座の問題点、現行の社会的な問題点を指摘できる可能性が出てくるということでもあるが、この世直し的発想は、2周目のテーマになる。1周目においては、自由な時間をみんなで過ごして楽しい、くらいの感覚である。行き過ぎると不良化するけれども、山羊座の縛りが強すぎるほどに、あるいは山羊座への積極的参加がゆるされないほどに(従うのみ、あるいは排斥される)、不良化が進む。これは、蟹座のしばりが強すぎたのちの獅子座の不良化と同じであるが、個人でするか、集団でするかの違いはある。王政や貴族政なら、規則に従わず、貴族の息子と奴隷の息子が友人になる、というストーリーになるかもしれんね。
この例えからも分かるように、水瓶座には公平性という側面が現れるし、他所の世界に関わってみるという広がりがもたらされる。小さな社会の外には、別の小さな社会がある。クラスの外には別のクラスがあり、学校の外には別の学校がある。クラスによって学校によって、気風が違うが、そのいろいろな集団の違いに触れてみることは、なんとも言えない刺激があるだろう。休憩時間にはクラスから解放され、ほかのクラスとの接触が可能になり、放課後にはサッカークラブで、他校の生徒とともにプレイできる。私の子どものころの話をするが、違う学校の生徒と遊ぶだけで、未知の世界に触れたような気分になったものだよ。その刺激は、自分のいるローカルな社会の、今まで自明すぎて見えなかった特徴を客観的に見て、いろいろなやり方があるのだなぁという感性と、違うやり方を取り入れてみようという可能性をもたらしてくれる。もちろん子どものころに、そこまで行く必要はないが、自由な活動には、改革への芽生えがあるのであり、2周目以降の準備を、このパートでも同じようにすることになるのだ。
1周目の魚座のキーワードは「ファンタジー」である。魚座はゾディアックの最後の局面であるが、3周説の場合、最終回は3周目の魚座(3-12)であり、1周目のここでの話題は、個人とその能力の形成において、魚座がどのようなことがテーマになるのか、ということになる。地上世界に、物質として実現しなかったたくさんの可能性に、空想上で接触するということが、ここでのテーマになる。空想上においては、より多くのことが可能になり、ファンタジーによって、全体性の中で損なわれた部分を補おうとするわけだ。文字通り空想したり、物語に触れたり、感受性の高い者なら、実際に非物質の存在に触れる可能性もある。しかし、ここでそのような神秘的な体験は必ずしも必要ではない。1周目の目的は、地上に降りてきて、活躍できる個性をコンパクトにまとめることなのであるから、必要以上に不可視の世界に広がってしまうことは、有害になってしまう可能性もある。
このファンタジーに触れることは、もちろん損なわれた部分を仮のやり方で補おうとする働きがあるため、心理的な傷の癒しの効果がもたらされるし、目には見えないものの重要性を理解するための下準備の役目を果たすことになる。魂が肉体に宿り、地上で活動しようとすることは、かなり無理なことをしているので、基本的に疲れたり草臥れたりしていくのが通常であるが、その損なわれた部分を、自己の中で完結させず、他者との関係性の中で完結してみようという試みが、2周目の流れになる。1周目のこのポイントで、空想に終わらず、真に欠けたものを補ってしまった場合、この存在は、社会や広い意味での地上生活を味わうことなく、意図的にそのまま去ってしまうということになる。別にそれが悪いことではないが、まずほとんどそのようなことは不可能であろうし、もしできたとしても、わざわざ地上に降りてきたのにも関わらずその醍醐味を知らずに去っていくということにもなり、もったいないという見方もできると思う。
空想世界に耽るということは、このパートでは、引きこもるという形になる可能性もある。子どもたちが大好きな漫画やアニメやゲームは、空想の中で全体性を取り戻し、癒そうという試みなので、基本的には否定する必要はないが、そこにはまり過ぎる場合は、傷が深すぎたということであって、このパートによって補うよりも、どのパートで傷が深くなりすぎたのかを探すほうが正当なやり方だと思われる。通常の流れで成長してきた存在ですら、この過程を必要とするのであり、この過程にはまり過ぎるのは、本来のシナリオよりも傷が深すぎるという見方ができる。音楽や絵画などの芸術鑑賞も、このパートの管轄になる。個の癒しだ。
以上が、1周目の流れだ。個人が個人としてまとまり、社会に出る直前までの過程である。ここでは、乙女座が全体をまとめており、牡羊座から乙女座までの構築が、重要な地位を占めていると見なしている。2周目もまた牡羊座から始まるが、2周目がまとめているのは山羊座であり、天秤座から山羊座までの社会性の構築が重要な地位を占めることになると見なしている。
この私の独特の見方では、1周目の天秤座から魚座までは、2周目の社会デビューのためのつなぎの部分であり、アダプターのようなものだ。緩衝材的役割だ。そして2周目の牡羊座から乙女座までは、本編を迎える天秤座から山羊座の構成要素とかパーツ的側面であり、残りの水瓶座と魚座は、1周目の天秤座から魚座と同様、装飾的なもの、あるは次へのアダプター的な役割を果たすことになる。3周目は、魚座が全体をまとめており、水瓶座と魚座が重要な地位を占め、他のサインは、その2つのサインの目的実現のための具体的なメソッドの獲得と見なす。
私はこの1周目の側面で、教育的な側面をいくらか書いたように思う。あるいは個人の成長における環境面の問題を。その理由については、少しすでに述べたが、やはりそれは獲得すべきテーマが大人には分かっているとは言っても、子どもから見れば、そのような全体性は分からず、環境次第でその成長の程度が、大きく変化してしまうからである。地上生活が忘却から始まるため、そうならざるを得ないのだ。私は占星術を地図として生きることを推奨するが、子どもが占星術を理解することができない分、その時期においては、大人が代わりに占星術をもとに子どもを見ることになるのである。子どもにプロの鑑定内容を伝えたところで、何の意味もないだろう。
12サインを3周し、牡羊座から乙女座、天秤座から山羊座、水瓶座から魚座をそれぞれの周回のメインと考えるなら、12サインを3:2:1の比率で分けていることになる。一応、法則には美の要素がいるかもしれないので、こんなふうに考えるなら、無理やりにでも納得させられるように思わんかね。バカバカしいと、お前が笑っている様子が目に浮かぶよ。
地上に生きることは、忘却をスタートとし、地球の重力と肉体の制約とともに生きることであり、基本的にディセンションと呼ばれる力が働き続けることになる。牡牛座の重しが強すぎると考えればいいだろう。ボーっとしていると、自然に、忘却と迷いの中に埋もれてしまう。だから社会の在り方も、忘却と迷いのほうがウエイトが高くなってしまいがちになるのだ。忘却が多ければ迷いも多くなり、不穏なことが多くなり、社会が乱れる。さらに個人も特定の感情に囚われる機会が増え、同じところをグルグルと回り続けることになる。負の連鎖だ。
よって地上生活を生き、無事に帰還するためには、特別の努力と工夫がいる。本来、このようなルートだという理解をし、その一方で、どうにもならない現実があり、そのような中で、いかにして地上を楽しみ、そして去っていくのか。地球は特別な場所なのだ。そういう意味で、今回の生で脱出を試みる者にとってみては、水瓶座的な発想が、バランスを取るためにやや強めに生活の中で意識されるのかもしれない。水瓶座には、距離を取り、浮遊し、理解しようとする働きがあるから。最初に、この遺言が水瓶座12度的な内容だと確認したね。そもそも占星術をどのサインに当てはめるのかを考えるなら、やはり水瓶座ではなかろうか。
もちろん、ステージによって占星術の価値は変わる。私がステージ1においては、保護観察する者が子どものために用いると書いたが、それらの者からすれば、ステージ2の、実用的な占星術ということができる。ステージ1を生きている者からすれば、もし占星術に触れるなら、娯楽しての占星術ということになるだろう。テレビや雑誌などに登場する、いかんともしがたいお遊び的な占いだ。しかし、いずれ占星術の道を歩む者たちにとっては、大河につながる支流のような役目はあるかもしれない。
どのサインが最も優れているかなどという議論は、バカバカしいものであることは分かっているだろう。それと同時に、何かを理解し、クールに説明しようとすればするほど、水瓶座が発揮されることになるのも否定できないと思わないかね?魚座が脱出することが本来の働きとするなら、地上とあちらのつなぎ目、帰還へのゲートは、水瓶座の管轄ということにもなる。
あとがき
初めてNoteを書いてみました。所要時間は数時間くらい。頭の中の構想としては、ひと月くらいぼんやりと考えていました。このような文章を書いてみたのは、私が同じところをぐるぐる回らないように、学んだことのうちのある程度のパーツをパッケージにしてまとめてしまい、心おきなく次に進むためのように思います。
占星術をよく学んでいる人には、新しいものは何もないだろうと思います。少し勉強した人向けくらいでしょうか。とはいえ、私としては書きながら、それなりに感動や興奮がありました。次に進むための方法として、学んだことをアウトプットすることが、良い方法であることを体感しました。
今のところ、2周目、3周目、さらに追記と書くつもりではあります。気に入らないところが出てきたら、修正するかもしれません。
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