袴とベンベン


 古くて広い家。下田は親戚が住んでいたその家で一人暮らし。寝床は奥の部屋。玄関までは何部屋も通り抜けないといけない。部屋が繋がっているのだ。それらの仕切り、ふすまを開ければ大広間になる。
 そこを通り抜けるとやっと廊下に出る。ここから他の部屋へ行けるのだが、かなり入り組んでいる。その先の中庭の手前に縁側があり、その先に便所がある。
 だから夜中トイレに立つとき、結構遠い。
 下田が見たのは袴で座っている人。ただ椅子にでも掛けているのか、一寸中腰。そして股を思いっきり開いている。そして三味線。
 これが一人ではなく、何人もいる。同じスタイルで横に並び。また奥にもいるので、凄い数だ。
 それらがベンベンと三味線を鳴らすのだが、音よりもビジュアルの方で驚く。
 夜中に便所へ行くときに下田は見たのだが、そんなものは幻。いるわけがない。それで三味線部隊に突っ込むと、スッと通れる。
 大広間を抜け、廊下のふすまを開けると、びっしりといる。さすがに並べないのか、行列で。
 電車内でだらしなく大股を開いた学生を思い出す。確かに座っているように見えるのだが、椅子はない。そんなスタイルを良く維持できるものだと、下田はそちらの方で驚く。チラッと見れば野球の応援団のようにも見えるが、袴姿の男達は若くはない。そして怖い顔をし、一点を見ている。その視線の先は下田ではない。だから目が合わないのが幸い。では何処を見ているのだろう。
 それも突っ込むと、スッと通れるが何人も何人も連なっている。これは便所までいるようだ。
 あのスタイルで、三味線を弾いているのだが、下半身だけ見れば、便所で気張っているように見える。それを連想すると、怖い顔の正体も、これだったのかと思うほど。
 顔は同じではない。しかし、見たことのない人たち。似たような中年の顔で髪型も多少は違うが、似たようなもの。しかしコピーではないことは分かる。
 縁側に出ると、中庭にも並んであのスタイルで、三味線をベンベン。やはりこれは便々なのだ。
 ただし下田は夜中に大はしない。
 そして便所の戸を開けると、さすがにそこにはいない。あの広げすぎた足では空間が足りないようだ。
 そして用を足し、戸を開けると、もういない。嘘のようにかき消えている。
 
   了

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