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禅一妨


 禅一坊、いかにも禅宗の坊主のような僧がいるが、寺にはいない。出てしまった。しかし俗世に下ったのではない。禅寺も世間の内。俗世の中にある。
 禅一坊は寺で付けてもらった名前ではなく、普通の人たちがそう呼ぶようになった。これはかなり際立った名で、名前負けしそうなほど。
 そこは市井の人たちが皮肉を込めてか、気安い坊さんなので、そう呼ぶようになったのかもしれない。
 禅一筋のお坊さんだと禅徹坊でもいいのだが、この禅一坊丸は顔でふっくらとしており、やや肥満。愛嬌がある。
 禅寺から追い出されたわけでもなく破門になったわけでもない。托鉢に出たまま帰ってこなかった。そのまま旅立ってしまった。雲水だ。
 その禅寺は修行の寺なので所持品はほとんどない。常に持ち運べるほど。しかし傘だけは忘れてきた。それと換えのわらじも。それと金銭も。
 これは托鉢で何とかなるが、小銭がないと渡し船にも乗れない。
 大きな家の門の前で、米をもらっているとき、ついつい長話になり、門内に通された。さらに座敷にも。
 そこは長者屋敷で、物持ち。よく旅人を泊めたりする。
 旅の雲水を泊めることは今までなかったが、話が面白いので、もっと聞きたいので泊まってくだされとなる。
 それよりも禅一坊の人柄が穏やかで人なつっこく、偉そうなところがない。常にニコニコしている。接していて楽しい。こういう禅僧もいるのかと思うほど。
 その長者屋敷に剣術使いが宿泊していた。客人同士なので、主も加わり三人で四方山話を始めた。この長者、そういう集いが好きなのだ。
「身体が先か頭が先か、どちらでしょうねえ」剣術使いが禅一坊に聞く。
「身を任せ、身体の動きに任せるがよろしいかと言われておりますが、そうではないでしょ」
「その通りですよ」剣術使いは思い当たるところがあるのか、膝を叩いた。
「身を任せた動きだととんでもないことになること多々あり」
「それは体験談ですな」
「名のある剣士によると、完全に身を任せておらぬから、そうなるのだと。そこは禅僧ならどうお考えでしょうか」
「無理じゃ」
「無念無想で斬り合うのがですか。身体が勝手に動くのではないのですか」
「じっと座っておっても無念無想などにはなれません。ましてや試合中など」
「私にはその極意が分かりませんから、まだまだなんでしょうねえ」
「両方使えばよろしいかと」
「とっさの場合は身体が先」
「そうそう」
「少し間が開いたときは考えながら次の手を」
「そうそう。だから試合中、ずっと身体に任せるなどあり得ない」
「じゃ、これまで通りでよろしいのですね」
「試合中、有利に展開していると欲が出る。ここでもう一押しすれば勝てると」
「ありますあります」
「その欲、身体からも発している場合は危険でしょう」
「はあ」
「そこは頭で止めなされ」
「たまに狂ったように、そういう状態に身体が勝手に動き出し、突っ込んでいきます」
「それは狂剣士。その寸前で止めることができるはずです。ここは頭で止められるのです」
「なるほど。それはやはり禅流でしょうか」
「違います。拙僧が勝手に頭でしゃべっていること」
「いい話を聞きました。長者様、いいお客をお泊めだ」
 主の長者、一言も発しないと思っていたら無念無想で居眠っていた。
 
   了

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