不機嫌
機嫌の良いときと不機嫌なときがある。また機嫌を感じないときもあるのだが、これが一番良いのかもしれない。
上機嫌ではないが、機嫌は悪くない感じ。だから機嫌としては良いのかもしれないが、ニュートラルに入っているのだろう。
しかし、どちらかに一寸ぐらいは傾いているが、それさえ感じない状態が好ましい。ただ、機嫌の良さを感じるときの方がいいに決まっている。
ただし、いつまでも続かないので、その良い機嫌が途切れると不機嫌になりかねない。機嫌が良すぎるときほど不機嫌を感じやすくなるのだろうか。愉快と不愉快のように。
宮田はその朝、寝起きから機嫌が良い。というより、このところ不機嫌だったので、それが抜けているので、機嫌が良いと思ったのだろうか。
機嫌の悪い日には理由がある。その前日は、それまでの影響で、その波を受けているためだ。それが何であるのかは知っている。あれがあれなのであれだと。
しかし、その朝は機嫌が直っていることの理由が分からない。同じような波をかぶっているのだが、あまり影響しない。
それで機嫌が悪くなったり、気を害したり、気になったり、心配したりとかが減っているのだ。消えたわけではないが、機嫌が悪くなほどのことではなくなっている。
何かが解決したわけでもない。懸案ならその問題はそのまま残っている。では何だろう。
これは体調ではないかと宮田は考えた。他に思い当たるものがない。今日は寝起きから体調が良い。元気だ。これが原因だとすれば、懸案とか、不機嫌とかはいい加減なものだ。身体の調子が良いと機嫌が良く、逆に調子が悪いと、いろいろと不機嫌なことが浮かび上がるのだろうか。
いや、それも言いすぎだろう。宮田は何処かでターニングポイントがあったように考える。何処かで不機嫌さを回避する方針なりを決めたためではないかと。
そういえば昨夜、今までやっていた妙な問題を解決していたのだ。これは完全ではない。ただ安全な方法。安定した方法に切り替えたのが大きい。
まあ、妥当な方法に戻しただけだが、それなりのリスクもある。これがあるのでなかなか切り替えられなかった。
妙な手ではなく、まっとうな手。これは安定感や安心感がある。不機嫌さも良くあるような不機嫌さで特別な、特殊な、例外的な不機嫌さではない。
だから不機嫌という風船が上がらなかったようなもの。不機嫌さは残るが、普通の不機嫌さ。これなら何とかなるので、むっつり顔になる必要はない。なったとしても眉間の皺は浅い。
しかし、そんな機嫌の良さとか悪さとかの喜怒哀楽はあった方がいい。
了
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