コンビニ金融道〜2発目

「相撲の果ては喧嘩になり、博奕の果ては盗みになる」という言葉がある通り、ギャンブルは身を滅ぼす。

かくいう筆者もギャンブルと無縁の人生を送ってきたわけではない。
麻雀、競馬、パチンコと一通りのことはやってきた(麻雀、パチンコをギャンブルと言って良いものかは別として)。
筆者も長い期間ハマって抜け出すのに苦労したのが、パチンコ・パチスロである。

ギャンブルにハマると思考がオカシなことになる。ギャンブルをやらない人にとっては「アタマ大丈夫か?」というギャンブル脳を少し紹介しておこう(筆者体験)。
●負けと投資は違う
読者の周りにもパチンコ・パチスロにハマっている人がいるだろう。彼らの口から負けた話を聞いたことはあるだろうか?
「負けたのが恥ずかしいという気持ちから話さない」というなら救いようもあるだろうが、少し違う。
ギャンブル脳に”負け”の二文字はない。
パチンコ・パチスロで一度もフィーバーしないというは珍しい。数時間やっていると1度2度はアタリを引く。しかし、連チャンしない。結果、連チャンを求め注ぎ込んだ分が負けなのだが、その時の思考は「負けた」じゃなく「連チャンしなかった」である。
ギャンブル脳では、一度もアタリを引かなかったのが負けであり、一度でもアタリを引いた場合負ではないのだ。
場合によっては「なるほど、このパターンでは連チャンしないのかぁ。それが分かっただけでも投資した甲斐があった」と・・・
「これを知ったからには、次回からは同じ轍を踏むことはない=もうマイナスになることはない」と変換されてしまうのだ。
●マイナスが武勇伝
パチンコ・パチスロをやらない人には負けたことを話さないが、パチンコ・パチスロをする仲間には負けたことを話す。しかし、肩を落として話すのではない。
戦闘に出撃した兵士が命からがら帰還したかのように「右肩、左足を撃たれたが、俺は帰還したぜ」と、戦場でのやり取りを話すのだ。そして、仲間は「マジかよ!よく帰ってこれたなぁ」と、負傷兵の話を食い入るように聞く。
負傷兵「いやぁ、昨日はヤラれた」
仲間「どうした?」
負傷兵「設定いい感じの台打ってたんだけど(根拠なし)、いきなり3万吸い込まれてよ」
仲間「マジかよ」
負傷兵「でも、その後連チャンして盛り返したんだよ(盛り返した=その場でヤメてもマイナス2万)。だけど、その後がダメ。全部持ってかれて、更に3万飲まれちったわ」
仲間「うわぁ最悪だな」
負傷兵「〇〇演出出たのになぁ※1」

※1:パチンコ・パチスロにはアタリ前に出る演出というものがある。しかし、1回のアタリが保証されている演出であって、決して連チャンを約束されたモノではない。そればかりか、アタリとは何の関係ない演出が連チャンの前兆であるかごとく広まっている場合もある(信じていない者には、オカルト演出と言われている)。

仲間「えっ!あの演出出たら確定じゃないの?」
負傷兵「100%じゃないんだなコレが」
「俺が発見してやったぞ」と、言わんばかりに話す。
仲間「へ〜、勉強になるわ」
と、ギャンブル脳になると負けたことも武勇伝として話せるので、金がなくなったことを考える隙がないのだ。

そんなギャンブル脳がコンビニ経営をするとヤバイことになる。

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