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瓦と私
●久居という街
筆者の故郷、三重県津市久居(旧久居市)は、久居藩5万3千石の小さな城下町であった。
筆者が幼かった頃は(30年ほど前)、市内に武家屋敷の遺構がまだ残っており、独特の雰囲気があった。また、市内を通る街道沿いには、古い商家が多数軒を並べ、当時の繁栄を容易に想像することができたものである。
現在は武家屋敷の遺構はほとんど姿を消し、古い商家もその数を減らした。昔ながらの久居の街並みは失われつつあるように思う。
武家屋敷の遺構にせよ商家にせよ、それほど造りの良い建物というものではなかったが、大変趣があった。とりわけ、その屋根に葺かれた瓦は古く、またそのデザインが秀逸であった。そして、それら瓦の多くが久居で生産された「地の瓦」であった。
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現在は土蔵のみ現存
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●久居の瓦産業
野村町周辺で生産されていた久居瓦。江戸時代から始まった瓦生産は、昭和30年代には年間200万枚もの生産量を誇った。当時は犬の顔のような形をした達磨窯が多数見られたという。
久居瓦は、三河の古い瓦とデザインが似ており、瓦の生産技術が三河から伝わったのではないかと筆者は考えている。
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●「瓦好き」の始まり
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古い瓦が多く見られる環境で育った筆者であったが、「瓦好き」の始まりは、この1対の鬼瓦にある。もちろん久居瓦である。
この鬼瓦、実に素性がはっきりしている。実家の裏手に残っていた武家屋敷の長屋門に据えられていたものである。筆者が小学生の頃、武家屋敷の解体が決まったのだが、その際に父が所有者から譲り受けたものである。
中央に琴柱の家紋を配置し、蕨手の部分は若葉を重ねたような複雑なデザインが特徴的である。簡素な造りではあるものの線が美しく、バランスの取れた姿に当時の筆者は感銘を受けたものである。決して高級品というものではないのだが、昔の職人の心意気を感じることのできる作品である。また、付属の鳥衾になんとも言えない強い魅力を感じたのを覚えている。
この鬼瓦との出会いをきっかけに、筆者の瓦への関心が増していくのである。
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●瓦観察のはじまり
瓦観察のはじまりは、鳥衾を探すことから始まった。
最近では葺き替えや解体により、古い鳥衾が見られる屋根はずいぶん少なくなった。ほんの30年前までは、農村部の古い集落や街道沿いの古い商家には、鳥衾が据えられた屋根がいたるところに残っていた。父と出かけるたびに、「あっ!鳥衾!」と言いながら鳥衾を探したものである。同時に鬼瓦の観察をすることも楽しみの一つであった。
久居の鬼瓦は鬼面が少く、鏡の部分は、竹串でついて梨地風にしたものや水の字、家紋、宝珠を配したものが殆どで、小振りで簡素ものが多かった。しかし、意匠が独創的で不思議な魅力に溢れていた。
瓦の観察は、その種類(役瓦)や形状、葺き方の違いなどにも興味関心が広がっていった。鬼瓦、鳥衾がきっかけとなった、瓦の世界はますます筆者の心を引き付け、虜にしている。
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●Instagramをはじめて
大好きな瓦の写真を撮りはじめたのは小学生の頃である。多気郡多気町にある神宮寺(丹生大師)境内にある建物の瓦を撮影したのが初めてであったと思う。また、古い久居瓦を写真に撮り、記録したこともあった。
最近では、西日本各地を回り、屋根瓦の撮影を行っている。単なる個人の趣味ではあるが、その瓦写真を通して瓦・瓦屋根の魅力を多くの人に伝えたいと考えるようになった。その一つの手段がInstagramである。
筆者が2021年に運営を開始したアカンウトはおかげさまでフォロワー800人近くなった。Instagramは華やかな写真をサラッと投稿するものであると思うが、長文の解説(素人の蘊蓄)をつけてしまうのが筆者の悪いところである。どうしても、瓦への有り余る想いが溢れてしまうのである。ご興味のある方はぜひご覧いただきたい。
●今後について
瓦・瓦屋根の魅力を伝えるため、そして現代に残された貴重な古い瓦屋根の記録を残すため、今後も瓦写真を撮り続けたい。そしてその写真はInstagramに淡々と投稿する予定である。
このnoteというものには初めて投稿を試みたが、自分の思いを存分に書けるところが魅力的である。折を見て今後も投稿していきたい。
屋根瓦というのは雨風を凌ぐという一番の目的に加え、装飾や魔除け、呪いの目的を持つものもある。地域性にも富み、鑑賞の対象としてもっと表舞台におどりでてもよいのではないだろうか。
Instagram: https://instagram.com/mikkushi33?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==
Instagramもよろしくお願いします。
みっくし
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