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億万長者は儚い夢?お金が集まるシステムとグローバリズムへの批判

反グローバリズムという言葉が散見されるようになった。「今だけ、金だけ、自分だけ」こんな標語で今の世の中を批判する人がいる。言葉の響きは冴えているが、私には今の世の中の実態を表しているとは思えない。巨万の富を稼ぐ人が何をしているか、それを考えるにあたって宝くじを例にあげてみたい。
宝くじはギャンブルの一種で、けんを買ってワクワクするだけの一種の娯楽だ。自己満足するだけなので採算がとれなくても平気である。
一方、宝くじを売る会社は採算が取れないと収入にならない。「当選者がいるらしい。自分にもそんなチャンスが?」買う人にそう思わせるために、時々当選させて臨時収入を得る人が現れるようにしている。宝くじを運営する会社にとってはそれは商売なので、当選者にお金を払ってもそれをはるかに上回るだけの収益を得ているから成り立つ。というか、当選者が出ることが、更なる収入につながるのだ。以下のような仕組みだ。

夢を見る人→宝くじの会社→当選者→夢を見る人の購買欲を誘う→夢を見る人がさらに宝くじを買う

このようなサイクルがあってはじめて成り立つ。つまり、巨万の富を得るには、お金が集まるようなシステムや構造が不可欠である。俗に言う成金とは、このようなお金が集まるシステムや構造を自ら作り出した人、あるいは誰かが作ったシステムに組み込まれて大金を得る人ということだ。どちらも大金を得たには違いないが、宝くじに当選した人はシステムの一部であり、宝くじを運営する者はシステムを管理する側である。ここには大きな違いがある。前者が大金を得る過程には再現性がない、つまり偶然だが、後者には再現性がある。しかも、持続できる。「夢を見る人」から集まったお金が、また新しい「夢を見る人」の購買欲を誘うために使われる、そして宝くじを買う人が増えて自分たちの収入になるというふうに。

また別の考え方をしてみよう。巨万の富を築く人が作り出す、あるいは利用する、組み込まれる、システムにはサイクルがある。そしてそのサイクルの中には3つの要素がある。

1、お金を取るターゲット
2、一時的にお金が流れる場所
3、最終的にお金が流れる場所

世の中のビジネスはたいてい1、2、3の要素が複雑にからみあってできている。

1のお金を取るターゲットは一番重要だ。誰にお金を払わせるかによってどんな商売、あるいは詐欺に近いもの、つまりどんな方法をとるかが決定される。一方的に搾取するのか、相手にも益があるのか?

2の一時的にお金が流れる場所とは先ほど述べたような宝くじの当選者のような、1のターゲットに購買欲を誘う仕掛けの部分、お金を稼ぐためにお金を使う、そういう部分だ。

3は最終的にお金が流れる場所、つまり自分だ。2の部分に使いすぎると3の部分に回ってこなくなる。このバランス、3に回ってくるお金を2に比べていかに高めに設定できるかだ。あるいはバランスではなくてもよい。売る単価は安くても売る量を増やすやり方もある。それによって収益が決まってくる。

さて、「今だけ、金だけ、自分だけ」という標語であるが、コンビニ強盗とかがその最たるものではないか。

今だけ→強盗に入って奪った金額までしか稼げない。そしていずれ捕まる。

金だけ→お金だけのために危険をおかす。いずれ捕まる。

自分だけ→自分のお金のために他人を犠牲にする。犯罪だから捕まる。

先ほどの宝くじと比べると、なんともお粗末である。

つまり、巨万の富を築くような人に対して「今だけ、金だけ、自分だけ」という批判をするのは少々的外れだ。彼らは巧妙なシステムを作り出し、計画的に、そして俯瞰的に物事を進めている。そこには共犯関係にある人もいれば一方的に損をする人もいる。納得してお金を払う人もいれば騙されてお金を払う人もいる。

今だけ→今だけではない。入念に、時間をかけて計画し、システムを作り出した。宝くじで刹那的な収入を得る人の影には長きにわたって持続するシステムの存在がある。

金だけ→金だけではない。システムが持続し、サイクルが回る過程で新しいお金を取るターゲットや、次なるシステムが次々とやってくる。それはビジネスの人脈であったり、つまりは自分の影響力、権力である。

自分だけ→自分だけが得をするようでは成り立たない。巨大なシステムになるほど、儲かる共犯者が必要になる。また、システムに組み込まれた人をお金を払う気持ちにさせる、あるいは払わせるような仕組みがそこにはある。それは「買いたい」と思わせる印象操作であったり、契約やルールなど事務的なものも含まれる。それは実にたくさんの人間を巻き込んで関わらせる、ある種の計画、シナリオ、筋書きである。

このように考えたところで私は新しい標語を考えてみた。

「長期的な計画により、権力を拡大して、人を巻き込む不平等」

世の中はお金が全て、というのは嘘だ。お金というのはすなわち見えない権力の一部が数値化されたもの。そして権力を作り出すシステムの道具にすぎないのだ。計画や筋書きの中にいかに人を組み込むか、それが巨万の富を築く人々のやっていることだ。

こういいかえられる。
「世の中は計画が全てだ」と。
世の中で起こる事件やニュースはたくさんの人の思惑や計画でできている。

もしもあなたが人を傷つけず、損もさせず、騙すこともなく、価値あるものを売って巨万の富を築くのなら大変素晴らしいことだ。しかし、残念ながらたいていの場合、短期間に巨万の富を得た人々のやってきたことの中には不平等な取り引きや小賢しい仕掛けが存在する。平等な取り引きでは先ほど述べた
1、2、3のサイクルのバランスの中で2と3の差を大きくして自分の取り分を増やすことは難しくなる。だから、今あなたが突然、億万長者になることは万に1つもない。システムを作ることができるような天才でもなければ。億万長者になれるのは長い歴史を持つ、システムを熟知した家系に生まれた人、あるいは宝くじのように、ある種の効果を期待されて億万長者としての役割を誰かに与えられた人だけだ。
世の中で「成功者」として持ち上げられる人間ははたしてこのどちらのタイプなのか。顔写真もばっちりとられて名前が世界にしれわたる。世界のみんなが夢を見る。そして同じ成功モデルを目指してビジネスを始める。その業界に世界中の資本が集中する。
それが計画の一部でなくてなんであろうか?
「成功者」は宝くじの当選者か?それともそのシステムの管理人か?果たしてどちらなのだろう?

さてさて、単純に考えて、人間一人が働ける時間やうみ出せる成果なんて限られたものだ。億万長者になりたいということは、人間一人が働ける量を越えて成果が欲しいということである。そのためのシステムであり、お金を取るターゲットの設定や仕組みなのである。
もうそれは歴史が証明している。次の3つの単語で充分だ。

△東インド会社
△三角貿易
△アヘン戦争

「長期的な計画により、権力を拡大して、人を巻き込む不平等」

グローバリズムへの批判はこのような言葉でもって締めくくります。最後までありがとうございました。
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