私の美醜感の変化



小学校中学年くらいの頃まで、私は自分のことを可愛いと思っていた。
末っ子なのもあって、家族や親戚に可愛がられて育ったため、自信たっぷりの肉らしい子に育った。
しかし、今思えば幼心の悪気のない発言だったと思うが、「目が小さいよね!」というクラスメイトの発言によって、小学校高学年からあれ?と思うようになっていく。

転機は中学生になってすぐだ。
きっかけは本当に些細なことで、私でなければならない理由も特になかったのだと思う。
ただそいつとたまたま隣の席になってしまっただけで。
目立ちたがりで、クラスの中心でいなければ気が済まないような男子に退屈しのぎで容姿をからかわれ、ちょうどいいオモチャを求めていたクラスメイトたちは喜んでそれに乗っかった。
私は学校に行くのも怖くなり、不登校になりかけすらした。
朝家を出ようとするの涙が出てきた。
家族に理由は言えなかった。
可愛い可愛いと育ててきた娘が容姿のことでいじめられているなんて言えない。
幸いにして、三年生になってクラスに恵まれ、学校を楽しいと思えるようになったし、成績も良かったのでいい高校に行くこともできた。

高校生になった。
心機一転学校生活を楽しもうと決めたが、いじめの傷はそう簡単に消えない。
初対面の人と話すたびに心臓が痛くなる。
私と話しているのを見られて恥ずかしい思いをしていないかなと思う。
SNSのフォロワーの数、友達の数が異常に気になる。

このままじゃいけないと思い、ツイッターでいわゆる美容垢を始め、コスメやダイエットに関するたくさんの情報を集めるようになった。
前髪も巻くようになったし、髪色も変えたし、メイクも始めた。
今写真を見返すと恥ずかしくなるくらいダサいけれど、今の私の土台となったことは間違いない。
美容垢と整形垢で重複する層がいるので、踏み込む勇気もお金もないけれど整形の情報も集めるようになった。
整形垢は夜の仕事をしている方が多く、他人事ながらに色んな闇も見た。
だんだんと見ているこっちも病んでいく。
タンパク質や炭水化物を摂らなくなった。
サラダで一日過ごした。

でも、高校の友達も、塾の友達や先生たちも、容姿のことなんて全く気にしてないみたいだった。
すっぴんでも普通に話してくれるし、遊びに誘ってくれるし、誕生日には、私には可愛すぎるような小物やコスメをくれたりする。
思い返してみると、確かに私も友達と話しているとき、二重幅の広さなんて、人中の長さなんて、鼻先の向きなんて気にしていない。
そう気付いたとき、なんだか吹っ切れた気がした。
初対面の人ともそれなりに話せるようになった。
敬遠していたデパコスのカウンターに堂々と入れるようになった。
メイクの目的が人並みの顔になるためから、自分が楽しむために変わった。
渋谷や横浜ですれ違う可愛い女の子が怖かったけれど、今は多分その一部になれてる。
コスメボックスには大衆受けしない色のアイシャドウやリップが増えていったし、近々全ブリだってしてやろうと思ってる。
ダイエットだって、食べないんじゃなくて運動して痩せることが一番だと気付いた。
一時期はルッキズムに過剰になったりしたし、結構いろいろ悩んだけれど、今は出かけるたびにオシャレするのが楽しい。

人のためじゃなく自分のためだけに可愛くなるのって幸せだ。


私はこれに気づくのに随分遠回りしてしまったけれど、人は意外と他人の容姿に無頓着だ。
ルッキズム的ツイートを見ないこと、病んだいない、明るい美容垢やコスメ垢のみを参考にすること、自分のために生きること。
これが私のメンタルを保つ教訓。


人間はみんな可愛いしかっこいいです。

でも私をいじめた中学の同級生はマジで許さない。

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