友達がダサい

友達がダサい。
私には2人の幼馴染がいる。
2人ともオタクで、やや内向的で出不精、どちらかというと趣味にお金を使う方だ。

私は飛び抜けてオシャレだったり可愛かったりするわけじゃないけれど、パーソナルカラー診断や骨格診断を受け、値段にかかわらず評判のいいコスメを自分のPCに合わせて買い、ヘアアレンジも練習し、ダイエットだって筋トレだって頑張っている。
一緒に遊んだ男の子に、「アニメを好きになる人の気持ちってよくわかんなくね?」と言われたりしたし、見た目が明らかにオタクということはないつもりだ。

私がこれだけ躍起になって見た目を人並みにしようと足掻くのは、中学生のときクラスメイトに容姿についてからかわれたからであり、それはまあ今別にどうでもいいのだが、ともかくその経験もあって私は人の見た目に敏感だ。
見た目というのは、生まれ持った顔の造形のことではない。
髪型やメイク、服装から滲み出る清潔感や品のよさ、つまり「垢抜けて見えるかどうか」である。
顔が可愛いのに芋っぽい女の子もいるし、その逆もたくさんいる。
私が好感を持つのは、元が可愛くて垢抜けない子よりも、顔は普通でも洗練された雰囲気を漂わせている女の子だ。
雰囲気可愛いとでもいうのだろうか、まあ雰囲気でもなんでも可愛いんだからこの言葉は不適切だと思うけれど。

さて、本題に戻ると、私の2人の幼馴染は、顔はとても可愛いのに破滅的にダサいのだ。
2人とも寝癖はつけたまま外出、推定イエベなのに黒髪、すっぴん赤リップ、ベージュの服。
なぜダサい子はベージュや紺しか着ないのだろうか?
なぜダサい子はアクセサリーを異常につけるのだろうか?
なぜダサい子は異常にロングスカートやワイドパンツを好むのだろうか?
しかも、GUやハニーズで売っているような安っぽい奴を。

私は最近この子たちと外を歩くのが苦痛になってきた。
皆さんも、異様な格好をした人と一緒に歩きたくはないだろう。
真冬にマフラータンクトップホットパンツ赤ハイヒールグッチのバッグの人と並んで歩きたい人なんていない。
何回ふんわりと最低限の身だしなみは整えるべきだと言っても、「まだ早いかな〜」と濁される。
大学生だぞ。いつまで中学生の見た目でいる気だ?
眉を整えてほしい。髪を染めてほしいし前髪の巻き方も覚えてほしい。写真を撮るときに敬礼や顎ピースをするのをやめてほしい。体型を気にしているのか知らないが、首から足首まですべて隠すのは逆に太って見える。
体型を気にしているような口ぶりなのに、実行に移す気配はない。太っているのを気にしているならどうして痩せようとしないのか。「運動をしている」アピールをされるが、結果は正直出ていないし、どうして最近食べたスイーツの話をするのか。どうしてデパコスの知ったかぶりをするのか。「そのブランド知らないや」で済ませばいいのに、「う〜ん、忘れちゃった〜」っていうのはなぜか。ブランドはコンセプトや商品と一対一で覚えるのが普通だと思うが、忘れるってどういうこと?
(自分ツッコミの矢印もやめてほしいし、銀魂ツッコミもやめてほしい。私は詳しくないのに2人で延々と声優の話をするのをやめてほしい。2ちゃんで使うような顔文字を使うのをやめてほしい。)

正直縁を切ることも考えないでもないが、10年以上一緒にいるから親同士も仲がいいし、2人とも性格はいい子なので踏み切れない。中学生のときの経験で美意識に過剰になってしまった私はただただ、2人の全身合わせてしまむらで3400円、みたいな服に耐えられないのだ。
どちらも元の顔がとても可愛いので、本当に勿体無いと思う。

でも、それを伝えることはできない。
2人を傷つけてしまうことはもちろんだが、ファッションは自由でなければならないからだ。
化粧をするのもしないのも自由だし、PCに合わせて髪やコスメ、服の色を決めなければならないという法律もない。
私がどれだけ彼女たちに肌に合った色の化粧をし、骨格に合わせた服を着、ファッションの調和を乱さないアクセサリーを身につけ、簡単なヘアセットをしてほしいと願ったところで、それは私のエゴでしかない。

ツイッターでは、「男ウケより自分ウケ」「男のためにダイエットなんてしてない」「ネイルもメイクも自分のため」という意識が少しずつ広がっている。
もちろん誰を喜ばせるためのファッションであってもいいのだから、自分のためだけに大衆受けを捨てたファッションをしてもいいし、男の子にモテるためだけのメイクやファッションをしていても構わない。

私はこの思想に強く共感するからこそ、2人との接し方に戸惑っている。
「ダサい人と一緒にいる私」が嫌だ、という自分中心の考え方をしている部分ももちろんある。
それはそうだろう、だって真冬にマフラータンクトップホットパンツ赤ハイヒールグッチのバッグの人と歩くのは誰だって嫌だ。

でももちろん、一番は彼女たちのことを考えているつもりだ。・・・いや、一番と胸を張っては言えないかもしれない。
結婚が人間のいちばんの幸せではないけれど、彼女たちがそれを望んでいるなら今の清潔感のない容姿のままでは絶対にダメだし、社会はまだ女性に「TPOに合わせたメイク」を求める。
こういう考え方は変わっていくべきだけれど、今はまだ「変わっていくべき」の段階であって、今現在この社会規範から逸脱してしまった女性は幸せにはなりにくいのではないか。(いい会社に入って出世することだけが幸せではないけれど・・・)
面接の際にすっぴんなんて受かるわけがないし、取引先との挨拶にすっぴんで行くと無礼だと思われるだろう。
もちろん、未来では、こうした「女性はメイクをすべき!」みたいなルッキズム的な考え方は破られるべきだが。

多様性は認められるべきだ。タトゥーはクールで格好いいと思うし、ボディーピアスはとてもオシャレだと思う。刈り上げの女の子なんて惚れそうになるほど格好いい。逆に可愛らしいロリータ服は今でも憧れだし、原宿系も個性的で素敵だと思う。ダサくても本人がいいなら別に構わない。

「大衆から逸脱したことによる弊害」を受け止められるのなら。

あくまで一般に幸せと言われて思い浮かべるような幸せを求めるなら、大衆に迎合していくしかない。オタクくさいファッションをしていることで不利益が生じたとしても、それで構わないというならそれでいいと思う。この性別のこの年代の人々はこういう格好をすべきだ、という誰かの理想にも似た圧力はあってはいけないし、クソ喰らえだと思う。

でも、誰にでも好印象を与える無難なファッションというものは確かにあって、それを選ばないことで負うリスクの存在を無視してはいけない。あくまで、最大限トラブルを避けるために、最低限の身だしなみは整えておくべきだという話だ。彼女たちは普通に就職したいと言っているが、そのためには社会から逸脱しないこと(人並みの格好をする)が求められるのではないか。
(ちなみに私が思う最低限の身だしなみは、髪のセット、メイク、ダサくない服装だ。)
一緒にいる人を恥ずかしくさせない程度のファッション、それが求められるのだと思う。
最低限の身だしなみの尺度がずれていることも問題だろう。
彼女たちは多分、最低限の身だしなみの範疇が歯磨き、洗顔程度なのかもしれない。


まあともかく、私はインスタグラムのフォロワーが4桁いるような女の子になれと言いたいのではなく、とりあえず外を歩いていてダサくないな、と思う格好をしてほしい。
それは将来、失敗を防ぐ上で必要になると思うから。



・・・でも言えない。



長年積もった思いを書きなぐっているので乱文で申し訳ありません。

文中にも書きましたが、自分のエゴだということはわかっています。

ただ誰にも言えない気持ちを発散したかっただけで、誰かを傷つけようという意図はありません。井戸に向かって叫んでいるようなものです。

私のファッション観で嫌な思いをされた方がいらっしゃったら申し訳ないです。あくまで個人の意見なので、聞き流してください。


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