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スカラベ昔話(#8 転ぶ(というか転がす))


ある先生が生徒たちにこんなことを言っていた。「七転八倒の学生生活を」。救いがない。甲立高校カブトムシ学園ではもっとひどい。「一転卒倒」をまず叩きこまれる。いかに転ばないか、万が一転んだときはどうするべきかを学ぶ。

攻撃こそ最大の防御である。一握りの成績優秀者は、いかに転がすかを学ぶ段階に進むことができる。

ここについてはちょっとした権威がいる。スカラベ先生という。スカラベだなんてすかしているけど、まぁフンコロガシだ。無論その実力は折り紙、というかトイレットペーパーつき。週に1回、非常勤で来てくれる。

「いいですか、筋肉というのは腕よりも脚の方が発達しています」
「ふむ」
「ですから腕を支えとし、脚で転がすこと。まず何よりも逆立ちができなければいけません」
「ふむふむ」
ふむ、というのは先生の口癖が伝染したものだ。

スカラベ先生はよく昔の話をする。昔も昔、大昔の話だ。「かつて私の遠いご先祖様が砂漠で糞を転がしていたころ、」とその話は始まる。当時も味のいい糞はラクダのそれと決まっていた。スカラベたちはラクダが行くところにはどこへでも付いていった。彼らはたいへん大らかな性格で、糞の出し惜しみはしなかった。まさに砂漠のキッチンカー。彼らは立ち止まり、厨房に繋がる穴が開き、そしてほかほかの飯の提供が始まるのだ。もっともその場で食べたわけではなく、いまでいうテイクアウト方式だったが。あるとき、見慣れぬ生き物がラクダのコブの間にまたがりだした。何やら言葉を交わしながら、重たい荷物をあっちへこっちへ運んでいるみたいだった。ラクダをこき使っているのは気になるが、荷運び屋という点では好感が持てないでもない。しかもその生き物も糞をする。ラクダには劣るが食べられないことはない。糞をしてくれさえすればそれ以上言うことなんてない。

その生き物(「そう、ヒトのことです」「ふむ」)とは、しばらくはラクダを介して繋がっているだけに過ぎなかった。彼らがいるのはラクダの上であり、こっちはラクダの後ろに用があるだけだから、これという交流もなかった。でもあるときから彼らがなにやら真剣な目つきでこっちを眺めるようになった。なかには両手を合わせて何かを呟く者もでてきた。彼らも糞を食べたくなったのだろうか。スカラベたちの脳内にはヒトが逆立ちして糞を転がす映像が流れはじめ、いずれ来るかもしれない大災厄の前兆として恐れられ出した。糞球の壁面にその映像を掘りはじめる者も現れた。だがそれは杞憂だった。ヒトは相変わらず肉を食べ、乳を飲んでいた。そうではなく、ヒトはスカラベを崇めだしたのだ。なぜ?そう、ここが最大の神秘だ。ヒトは糞球を太陽だと考え、スカラベを太陽の運行を司るものだと考えたのだ。とんだ勘違い、なんという誇大妄想。糞は糞であり、スカラベは生きていくために必死こいてそれを転がしているだけだ。

それからさらにしばらく経ったころ、砂漠に落ちていた一枚のパピルスの噂がスカラベ界を駆けめぐった。パピルスには大小さまざま、奇妙に引きのばされたり、輪郭だけになったりしたヒト型の像がごちゃごちゃと書かれていたのだが、その中の一人の顔のところにわれわれスカラベが貼りついているというのだ。顔そのものがスカラベだったというほうが正確だろう。スカラベ人間、ホモ・フンコロガシヌス。当時のスカラベ長のコメントが伝わっている。「ふむ、こいつは何を食って何を出すんだね?」

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その画像がこれです。太陽神ラーの朝方の姿だそうです。寝起きの顔はブサイクなんてよく言いますけど、こんなに?

かわねの生きモノ6000分の1 ウミ

ウミの生態(プロフィール)
1997年神奈川県横浜市にて、何も考えず、生まれる。2023年5月川根本町へ、何も考えていないふりをして、移住。現在、町内にて、何か考えているふりをしている。散らかった日常をいくつか切り分けるならば、学校で教えたり、話を聴いて文章を書いたり、畑や木工に挑戦したりしている。言い訳ですが、転ぶで考え出したら、転ぶ→転がす→フンコロガシ、と思考が転々とし、フンコロガシを調べてみたらとても面白かったので、それを伝えたいばっかりに、こんな感じになりました。よろしくお願いいたします。