「転ぶ」
こんばんは。毎日暑いですね。深夜のオリンピックTV観戦と暑さで、寝不足気味のkayoです。
昨夜はサッカー男子スペイン戦。細谷選手の1ミリオフサイド判定に、転ぶを重ねてみる。あのゴールが認められていれば、日本が勝っていたかもしれないと思ってしまう。日本びいきの見方かも知れないが。過去には三苫選手の1ミリ判定もあった。あの時は、賞賛の嵐だった。あの1ミリを疑問視することは自分の中ではそれこそ1ミリもなかった。
どちらに転ぶかは、ちょっとしたことで起こるものなのかもしれない。そして、それは、予測できないものであるとしたら、転んだ先を肯定していくことが前に進むことになるだろう。
草間彌生の即興パフォーマンス表現に「ハプニング」というものがある。現代アートを専門とする知り合いから、「起こったことをフラットにそのまま受け入れることなんだよ。」とその人なりの解釈をきいたときに、素敵なとらえ方だな、と納得し、明るい気持ちになれた。
「転ぶ」で、今の自分が一番身近に体験したことは、昨年の耐久サッカープレイベントの時。マサルさんも記事にされていましたが、私が参加した時間帯は早朝。大雨のあとの水たまりだらけのぬかんるんだグラウンド。サッカーはもちろん初心者、運動すら何年ぶりかという状況。転んだら最後、大怪我をすること間違いない、と、兎に角転ばない様に努めた。なので、私の目先はボールでもなく、ゴールポストでもなく、プレーヤーでもなく、足元。それでも、パスは回ってくるので、懸命に足元を気にしながらボールに向かって走っていき蹴るのだが、蹴ったつもりがボールにヒットしないで空振りに。マサルさんのように、思いっきりプレー出来たら気持ちいいだろうな、と思いつつ、何だかんだ楽しめたのは、誰もが楽しめる仕組みを作ってルール化してくださったからだと思う。
今はLIVEでオリンピック女子バレー。ストレート勝利で決勝トーナメントへの可能性が出てくるそう。どの国の選手も全てをかけてこの場にのぞんできている。自力のみでは突破できない状況で、さて、どう転ぶか?