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集落

 わたしの暮らす集落は沢間(さわま)といいます。いくつかの細い沢があり、沢と沢の間に人が棲んでいるような集落。沢間の水はおいしいね、とよく言われます。

 地元の方は意外と部落って言う、この「集落」という考え方が、北海道から川根本町に引っ越してくるまでわたしの中にはありませんでした。北海道の「八雲町」で生まれ、「函館市」の高校に通い、就職で「斜里町」に行き、育休中は「上富良野町」で過ごしました。これらは自治体名で、静岡県の「川根本町」にあたる単位です。(この自治体名は、アイヌ語由来のものがかなり多くあり、それはそれでおもしろい。)
 さらに、実家は八雲町のなかでも「東町」にあり、高校は函館市のなかでも「杉並町」にあり、就職した斜里中学校は斜里町のなかの「文光町」で、上富良野町に住んでいたときは「泉町」に住所がありました。これらが、川根本町のなかの「沢間」、つまり集落名に当たるかというと、そうではないのです。
「東町」や「杉並町」はハガキを出すときの住所ではあるけれど、それ以上の意味はあまり持ちません。いっぽう川根本町では、集落名がハガキを出すときの住所とは限りません。沢間も、住所でいえば「千頭」です。でも、集落単位でお祭りをしたり飲みながらの総会をしたりお通夜のお世話をしたりします。「東町」で誰かが亡くなったときは、一人の人が亡くなったという意味で悲しくはあるけれど、「沢間」で誰かが亡くなるのは、時として遠い親戚が亡くなるより強い喪失感があります。古くからここに住んでいる人はなおさらです。

 川根本町に移り住んでよかったことはたくさんあるけれど、なかでも、この集落単位での心のつながりを感じられたことはとりわけ新しい発見で、暮らしを豊かにしてくれました。
 自分の家が、家の建物だけではなくて、集落内にゆるやかに広がっている感じがとても好きです。沢間のなかではパジャマで歯磨き、いけちゃう派です。息子が一人で出かけて姿が見えなくても、沢間のなかにいる限りは家の二階にいるくらいの感覚です。「てんでんこ」の行事として人が集まることを企画するのは緊張感があって楽しいけれど、沢間の住民としてみんなに何かを呼びかけるのは、ただただ気楽でとても愉快です。

 遠出をしての帰り道、桑野山(隣の集落)からの橋を渡って沢間が見えてきたときの安心感。ああ、わたしはここに暮らしているのだなと思います。
 川根本町といえば、あたたかい集落。


かわぐちまいこ
1987年北海道八雲町東町生まれ。
川根本町沢間の空き家+隣の物置を購入し、改修して「本とおもちゃ てんでんこ」を営んでいる。