自由ヶ丘と私たちの夢
ここ数日、少し無茶なスケジュールで動いていたが、考えてみれば、それも夢を追っている部分はある。
川根本町→東京→高知→東京→千葉(南房総)→千葉(浦安)→川根本町。高知はイエナプラン認定園の訪問・研修。南房総は子ども中心の新たな教育を求める民間プロジェクト主催の講演・ワークショップだった。
南房総では、講演の際に映画『窓際のトットちゃん』の予告編も流し、かつて日本で展開された大正自由教育についても少し触れた。こうした教育は100年くらい前、日本には既にあったし、それが今再び求められていると説明した。
その後、不思議なことが起こった。午後の親子ワークショップで、参加者の1人の方から声をかけられた。その方は、なんとトットちゃんが通った「トモエ学園」の前身である「自由ヶ丘学園」を創始した方(手塚岸衛さん、という)のひ孫だという。今の「自由が丘」の地名は、この「自由ヶ丘学園」が由来なのだそう。
「応援しています」
というひ孫の手塚さんの言葉に、人間の巡り合わせを感じた。人は確かに、夢を追い続けてきているようだ。そして、それは決して、独りよがりな夢ではなかった。人々の幸福を願う、公の類のもの———私たちの夢だった。だから、地元の人はこの「自由ヶ丘」という名前を地名にして守り続けてきたのではなかったか。
手塚岸衛さん。
Wikipediaに載っていた横顔は、ひ孫さんとそっくりだった。