リリックのない音楽(#6 ブーム)
音楽はいつでもかたわらにあった。どの時期を切りとってみてもそこに結びついた音楽がある。ひとつの旋律に、ひとつの詞に、ひとつの記憶が保存されている。ひさびさに聴いた音楽が過ぎ去ったはずの時間へと私を運んでいってくれる、それはとても尊い瞬間だと思う。
この2年間くらいだろうか、インストゥルメンタルの音楽を好んで聴くようになった。インストゥルメント、つまり楽器のみから成る、リリックのない音楽である(ボーカル曲のオフボーカル版ということではない)。
とるにたらない嗜好の変化のようだが、これはわりに革命的な変化かもしれない。音楽に記憶を託す先がまるっきり変わってしまったのだから。ひとつのフレーズを手帳に書きつけることも、脳内で反芻することも、もはや叶わない。「あの頃の私を支えてくれた一節」のようなものは存在しえない。機能的な手すりとしてのリリック=言葉はもうどこにもないのだ。インストの曲を聴くとき、その旋律の揺れに、上昇と下降に、凝縮と拡散に、私たちは全身を同調させなければならない。そのコミットメントの仕方はキャプションのない絵画を観ることに似ているかもしれない。
すべての歌詞がお節介的説明にとどまっていると言うつもりはない。まったくない。問題は作り手が何を意図しているかではなく、聞き手が何に反応してしまうかにある。すくなくとも私という聞き手は歌詞に反応してしまう。曲を聴くときに重視するのはメロディー派か歌詞派か、ということで言えば私はメロディー派だと思うのだが、重視云々の前に、ひとつひとつの歌詞が頭に投げこまれ、意識の焦点を自らに引きつけていく。小石の形をした重力みたいだ。
いつからかそれを少しだけ煩わしく思うようになった。もっと自由に飛んでみたかった。森として、草原として、大海原としての旋律の上空を、吹き上げられるままに漂ってみたかった。あるいは曲を聴く段階にはすでに頭のなかには他の言葉=思考があり、さらなる言葉=歌詞を受け入れる余地のないことが増えた。そのようなわけで歌詞のない音楽、インストゥルメンタルを好んで聴くことが増えていった。
この場を借りて好きなインストの楽曲をいくつか紹介してみたいと思う。
1.Uncle John / SPECIAL OTHERS
私のインストプレイリストは4人組のバンド、SPECIAL OTHERSから始まった。同郷出身(神奈川県横浜市)と知ったのはそれからしばらく経ってからだ。「Uncle John」は2005年に発売されたアルバムの表題曲。訳せば「ジョンおじさん」となるが、その人物がいったいどのような存在なのかは語られていない。個人的な想像にすぎないけれど、この曲はもしかしたら、出会い別れそして出会い直し必ず再び別れがくることについての、誰にだってあるささやかな月日の経過についての賛歌なのかもしれないなと思う。印象的に繰り返されるギターの軽快なリフレインは、光沢のある多幸感の粒がつらなっているようでありながら、胸を掻きむしってむせびないているようにも聞こえる。そしてゆるやかに感情の水位は高まってゆき、ラストのコーラスで切実に決壊する。オリジナル版を聴いても素晴らしいが、日比谷野音におけるライブ映像が神がかっている(そうとしか言えない)ので、ぜひ観てみてほしい。
2.Alone Together / haruka nakamura
haruka nakamuraの紡ぐ音はどういうわけか魂に効く。彼は青森の田舎で育ち、現在ピアノを主体とした曲作りをしている。本人が各所で語っていることだが、音楽家としての彼の原風景は青森の夕陽だった。そして凍てつく雪の世界。過去のアルバムには『twillight』『afterglow』『スティルライフ』といった、静寂や光を連想させる名前がつけられている。紹介した「Alone Together」という曲もまた、四季を主題とした一連の四つのアルバム『Light Years』のうちのひとつ(冬が主題)に収録されている。そういえば私がharuka nakamuraを知り、引きこまれるように聴き、彼の音楽が生活のメトロノームとして欠かせない存在になったのも冬だった。当然のように寒かったし、くわえてそのとき私はけっこう孤独だった。宙ぶらりんの状態だった。唯一の予定といえば、隔週の土曜午前、駒澤のとある書店に通うことくらいだった。その書店は最寄り駅からだいぶ遠く、30分は歩かなくてはならなかった。冷たく澄んだ蒼穹の下、儚くそそぐ陽の光の中を、彼の音楽を聴いて歩いた。その反復が私をひとつの方向へ動かしていったのだと思う。これは余談だけど、haruka nakamuraのホームページには、それぞれの作品の制作背景について自ら記した文章が多く載っている。こんなに贅沢なライナーノーツはない。
3.祝祭広場のクリスマスマーケット / H ZETTRIO
日常的に聴くというわけでもなく、深い思い出があるわけでもなく、単に気に入っちゃっているだけという曲は皆さんにもあると思うが、インストにおける私のそういった曲のひとつは、H ZETTRIOの「祝祭広場のクリスマスマーケット」である。聴いていただければ説明は要らないはず。なんだか無性にウキウキしてきてしまう曲なのだ。言葉がなくとも音楽そのものに世界が詰まっている。ちなみにH ZETTRIOというのはピアノ・アコースティックベース・ドラムからなるトリオなのだが、ピアノ担当の青鼻ピエロことH ZETT Mの奏法が観ていて癖になる。重たいはずの鍵盤を、まるで触れただけかのように脱力したまま押さえ、しかもそのゆるさのままに超絶的な速弾きをこなす。顔は半分眠っているようなとぼけたような表情のままだ。彼の奏法は俗に「無重力奏法」と称されている。
かわねの生きモノ6000分の1 サエキ