新人セールスマンはやがって全国6位になり、のちに全国ワースト3になった
学生時代は人前で話したり面白い話をするのが得意だった。
不安で飛び込んだ営業職だが、いきなり新人で全国6位になり完全になめきった。
はじめて提案書を作り、近畿営業6課内で行ったロールプレイングで課長以下課員から絶賛をもらった。
「新人にしてはすばらしい、2,3箇所なおしたらそれでいけると思う」
と課長からおすみつきをもらった。
はじめての商談は断られたが3店めで初の受注を得た。その後も高い勝率で受注を決めていった私は有頂天になり、営業なんて簡単だとなめまくった。
はじめての最難関級の商談
そしてさらにもっとアゲアゲになる商談についにむかうことになった。
「河村。今回のは今までと違うぞ、これが決まればきっと流れにのれるから慎重にな」
と上司に言われて送り出された。そしてクライアントとの商談の場についた。緊張しながら事務所の扉をノックした。30代後半の女性社長だ。私は24才。
「どうぞ」
と呼ばれた
「失礼します」
と入室した。時間がないからすぐに商談にはいってと言われ、用意した提案書をだして、何回も練習したのをなぞるように提案した。
社長は熱心に話を聞いてくれた。ほーとかなるほどとかの相槌も適宜くれ、私は順調に話を進めた。そしてついにクロージング。
「いかがですか?」
社長は一瞬考えたあと
「わかりました、それでいきましょう」
っしゃ〜〜、と声をだし、飛び上がるほど嬉しかったがそれを抑えいつもよりさらに低い声で
「ありがとうございます。ではそれですすめますね」
とお礼を言った。
時間がないからと提案書に判子をもらい、私は部屋をあとにした。店内にいる従業員にわらってしまいそうになるのを必死で抑えてお礼の挨拶をして店をでた。
車にのりこみ、駐車場をでて
「やった〜」
と大声をはりあげた。喜び勇んで帰社し、上司に報告。上司はよくやったとほめてくれて、それがやがて課員に伝わり、彼らからも祝福の声をいただいた。
大型新人の誕生
新人にとってそれは快挙だったらしく、その成果は部長の耳まで届いた。部長から連絡があった。
「河村くん、やったな。すごいやないか、来月の会議でどうやってとれたか発表してくれ」
といわれた。ええ、そうなのか、緊張するなあと思いつつ名誉なのでがんばろうと思った。そして発表した。結果は上々で、部員のかたからもほめてもらって、もう少し詳しく話ししてくれとなり、いいっすよと話しまくった。
事実は違った
これいじょう登れないのではないかと思うくらい私は天に登った。そのあとも、その女社長さんとは何度か商談をしたり、雑談をしたりしてなかよくなった。
そして、商談から3ヶ月くらいがたったころ事件が起きた。いつものように雑談をしていたとき、ながれで一番最初の商談の話になった。あのとき河村くん緊張していたよねとか、そりゃもういちばん最初の重要な商談だったから必死でしたよとか。
すると社長の口から衝撃の事実が告げられた
「弟に似てるんだよね〜、みさおくんって」
えっ? ってなった。そうなんですかと答えた私に社長は続けて
「商談ね、はっきりいって何言ってるかよくわからなかったし、それほど魅力を感じなかったんだけど、みさおくん必死でがんばってたし、東京で働いている弟のことが目に浮かんで、もう買ってやろってなったんだよ」
まじか。
死んだ。その瞬間私の心が死んだ。課長への報告、部長からの評価、それに対して調子に乗って、先輩に同僚に、部の会議で、いかに俺の商談が提案がトークがすごいのかというのを自慢しまくってたシーンが走馬灯のように頭をぐるぐるかけめぐり、本当に顔が真っ赤になったのではないかというほど恥ずかしくなった。
「そうなんですか! うれしいです。それは光栄です」
とこころにもないことでその場をとりつくって、その場にはいられないようになって早々に事務所をあとにした。
あながあったら入りたかった。
めちゃくちゃ恥ずかしかった。何をえらそうに語ってたんだってなった。その日は帰社せず直行で家に帰った。
そう、あの快挙は、私の提案書がすばらしかったからではなく、企画がよかったからでもなく、プレゼンが最高だったからでもなんでもなかったのだ。
むしろ逆に、ちょっとなにいってんのかわかんないんですけどばりに、まったく話すら通じてなかった状態だったのだ。
おちこんで、悲しんだ。そして自身をはじた。わりとしばらく立ち直れなかった。
結局そのことについては触れなかった
どうしようかと思った。3ヶ月前のあの商談、実は私のカン違いでしたと皆に発表するか否か。
えらそうに言ってたのだからそれが事実無根となったのだから訂正スべきだという思いと、もう3ヶ月も前のことだから今さらいいだろうという思いとが交錯した。
結局私はどうしたのだろうか。誰かには言ったような、部では発表していないような記憶があいまいでどうしたかははっきりしない。今となってはもうどうでもいいのだが、私が思っていたのと全然違ったという記憶だけは今もまったくなくならない。
ビジネスはわからない複雑系
たまたま、商談相手から購買理由を聞けたから今回の件はわかったが、結局商談の結果が何が要因かななんてわからないのだ。
購入したクライアントがたまたま商談に来ていたセールスパーソンが、もろタイプだったからそれ買ったんだよなんて、あきらかにすることはないし、たまたま経費を今期中に使い切らないといけないから、大した商品でもないし、たいした提案でもないけど買ったとか明かすことはないだろう。
この二人のセールスは会社に帰って意気揚々と
「やりました、売れました」
と発表するだろう。
ビジネスはとても複雑だから、何がどうなって、こんな商品が売れたのか、売れてしまったのか、逆に素晴らしい商品が売れなかったかなんて、推測するくらいしかできないのだ。
そこからは坂道を転げ落ちるように
この事件をきっかけに私は不良営業マンへの道を転げていった。うまくいくときもいかないときもあるのはあたりまえなのに、売れたときは自分のおかげ、売れないときは先方のせいというふうにするようになってしまった。
弟に似てるから買ってくれたそのクライアントからも徐々に足が遠のいた。その後も引き続き提案はしていたのだが、買ってくれても、弟に似てるからやろうなとひがむようになり、いけなくなったのだ。
商談がおもしろくなくなった。受注に心が踊らなくなった。
そして新人セールスマンみさおは、やがてほとんどクライアントを回らなく、回れなくなってきたのだ。
いかにしてここから底辺まで行くかはまた書くことにする。
クライアントの関係者に色々似てたらもっと売れたのにと思う末期状態をやがて迎えるようになった。
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