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「分からなさ」に関する考察 ─《門脇邸》について─

1. 序
 《門脇邸》について、そこでの体験と『住宅特集2018年8月号』での論考『全体と部分の緊迫した関係を超えて』(以下、門脇邸論考)と合わせて、考察したいと思う。

 まず、《門脇邸》の話をする前に、門脇邸論考において取り上げられた「部分と全体」及び「全体性」について触れたい。なぜなら、門脇研究室が発足して以来、議論してきた、乗り越えるべき方法論に大きく関係があるからだ。
 「部分と全体」という概念は、建築に限らず、これまでも多くの議論がなされてきた概念であると思うが、私が門脇邸論考を読みながら思い起こしたテキストをふたつ取り上げる。

 一つ目は、原広司の『〈部分と全体の論理〉に関するブリコラージュ』だ。建築という分野に限らず、思考する上での道具立てとして、古くから議論されてきた部分と全体に関して書かれたテキストである。原さんはその中で「都市や建築を考察し、あるいは設計してゆくときには、〈部分と全体の論理〉を避けて通るわけにはゆかない。」とし、古今東西の部分と全体に関する論理が並べて論じられる。しかし、その中でも、完全に透明な論理場ではない事象界において、全体から切り取られた系をつなぎ合わせても、全体を構成し直すことはできないということが再三指摘されており、テキストの最後でも改めて、カルナップの「物理学の体系は、その構造の全部分が明確に視覚化されうるようなものであることを、もはや要求されていない。」という言葉を引用し、原さん自身も「素粒子の位置が確率的にしか記述できなかったり、観測する行為自体が観測している対象の状態を攪拌するといった事柄は、私たちの日常生活での現象の説明としてもたいへんうなずけるところであるがために、全体性についての考察は茫漠たる荒野へ投げ出されているように思われるのである。」と締めくくっている。

 二つ目に、青木淳の《杉並区大宮前体育館》を発表した際の論考である『現実を生け捕りにするには 建築をバラバラなモノとコトに開くこと』である。ここでは、《青森県立美術館》を経て《杉並区大宮前体育館》に至る中での「全体性」に対する考えの変容について触れられており、最終的に「とにかく、僕はこの建物で、排他的にならざるを得ない完成された全体性から、できるだけ遠ざかろうとして、直面する無数の独立項に開かれた建築のあり方を探ろうとしたのだった。そして、それが今のところ、僕が思い付く「はらっぱ」のつくり方なのだ。」とし、バラバラさを許容できる仮設的な「全体性」を試みている。

 上記のように、部分を使役する全体、という関係を通して浮かび上がる全体性には常に疑問が投げかけられてきたと言える。そして、この問題は門脇研究室においてもhk2(門脇邸の前身プロジェクト)、hk3(門脇邸のプロジェクトコード)の設計を通して、学生にも共有され、議論してきた内容である。そして、この問題を乗り越えるべく、原さんにしても青木さんにしても、複雑すぎる現実を都合よく純化することなく、ありのままに受け止めることができないかということを常に第一線で試み続けている。今回の《門脇邸》の試みも、根っこは同じところにあると言えるだろう。

2. 全体性の限界と不完全な建物
 門脇邸論考では、「全体性とは、実のところ、境界を規定することで内部とその要素を同定し、要素の制御を通じて内部環境をデザインしようとする、素朴な方法論の部品として現れる虚の焦点である。」とし、全体性によらない方法論の実験として《門脇邸》を位置付けている。
 そもそも、建物の全体性は事後的に見出されるものであると言えるが、設計のフェーズにおいて、全体性は便利な道具として機能する。その根本的な目的は、建物をつくるという複雑な行為をまとめ上げること、である。
 設計フェーズにおいても、現場において建物自体が建ち上がりはじめても、建物が完成していても、人間の認知能力において、建物そのものを抽象化することなく、ありのまま捉えることはできない。そこで人はいくつもの切断面(体験、図面、写真、模型など)をつくり、それらを通してその建物を抽象的に捉える。その時、特に設計フェーズにおいて、全体性は様々な切断面が適切に計画されているかを照合するための定規の様な役割を果たす。そうして建物に関するあらゆる物事をその定規=全体性に照らして検証し、その定規に即して建物を完成度高く実現する。そういう方法論である。
 内容が重複するが、自分なりにこの方法論の限界を改めて指摘すると、全体性は常に現実に完成する建物よりも純粋であることを暗黙の前提としており、建物をつくる行為は完全な全体性に向かってどこまで近づけるか、という実現できない目標に向かうことになる。明快なコンセプトを立てる建物のつくり方も同じ構図を持っているといえる。そうした視点において、現実の建物は常に不完全なものとして現れざるを得ない。
 このように全体性が孕む問題は、アイコン建築や建築の表層と深層の乖離などにも深く結びついている。それを乗り越える、または相対化する試みとして、《門脇邸》は一つの達成であると言える。

3. 体験としての《門脇邸》
 《門脇邸》は東京都世田谷区の住宅街に建っている。私は学生の頃から設計のための調査で何度か訪れことがあるので周辺の街の雰囲気も、建物が建つ以前から知っている場所である。竣工後、初めて訪れた時の外観の印象は、周辺の環境をポジティブに引き受け、馴染みつつも、その存在感は周辺のそれとは明らかに異なり、静かに際立っている、というものだった。
 建物に入っていく。1階は通り土間が貫くプランになっているが、体験としては、角地なので外部の道路と合わせて回遊できるプランというイメージであり、気が付けば建物から道路に出ていたり、路地から続くように建物に入っていったりする。通り土間に面するいくつかの扉うちのひとつが2階へ繋がっている。通り土間から脇道にそれ、お風呂場と洗濯機の間をくぐり抜けるような階段を登ると、大きな空間に投げ出される。2階は南側隣地の外壁に向かって全面的に開口を設けているため、外部との境界が曖昧になる。ワンルームの空間であるものの特定の輪郭を持つようなものではなく、隣接する建物との隙間や隙間のような吹き抜け、構造体と同じ存在感を持つ手すり、隣地建物のドアなど様々なものがあちこちから顔を覗かせている。3階から降りている階段は斜めにかかる桁によって仮設的でありつつも、分厚い鉄板の踏み板が整然と溶接されている。3階へ登っていくと、光を引き延ばして反射する中空ポリカの竿縁天井が目を引く。2階と同じくワンルームがベースのプランであるが、腰高の本棚と家具のようなトイレと収納のユニットによって空間を分節し、また天井高さ、開口の絞り具合、麻の床仕上げによって寝室としての親密さを獲得している。しかし、ここでも収納ユニットが通り抜け可能なことで回遊性を失わないようにしている。このようにぐるっと《門脇邸》を回ってみると個性あるものたちが次から次へと現れてくるようであり、それらのものの組み立てに通底する意識を感じた。
 前述したように建物を体験するとき、人は抽象的に建物を捉えようとする。特に建築に携わる人は、そのことに慣れているので、建物を読むことで設計者の思考を辿り、遡ろうとする。しかし、《門脇邸》について、この試みは非常に困難であったように思う。目を向ける各々の部分ついては、そこに働く力学を読み取ることができるがそこから建物の全体へは遡ることができない。そういった感覚を覚えた。それは、単一の経路辿って建物全体を捉えることを拒んでいるかのようである。さらに、我々が捉える部分は、ひとつのあり方、存在論理に固定されておらず、気が付けばまた別の断片的な理解へとスライドしていく。階段の手すりは、次の瞬間、本棚の支えになっている。
 また、そこでは空間というより、建物の物的な部分と体験者の間にその都度、発生しては消えていく関係とその連なりを意識させるものだった。私は、こういった状態を構築することが可能である、ということ自体に非常に勇気をもらうことができた。
 しかしそれと同時に、《門脇邸》にはどこか、それだけでは腑に落ちないような感覚を覚えた。体験から少し時間をおいて考えてみるに、その要因は、ある種の「分からなさ」に対するポジティブな態度にあるのではないかと考えるようになった。

 ここまででは、回想になってしまうので、これらの状態がどのような要因で引き起こされているのか、「分からなさ」とは何なのか、自分なりに分析的にアプローチしてみたいと思う。そのことによって極めて具体的な体験から少しでも抽象的な物事をを拾い上げ、知性として援用可能とすることができればと思う。ただ《門脇邸》の厄介な点は、それ自体がいくつもの読み方を許容するので、如何様にでも都合よく編集できてしまうことだ。であるので、これも《門脇邸》の一つの切断面だと割り切って話を広げていきたいと思う。

4. 《門脇邸》についての3つの切断面
 この文章では《門脇邸》で体験された状態を元に掘り下げていく。そして、上述のように《門脇邸》ついて回想したが、そのうち以下の3点に興味を絞る。

1.《門脇邸》と都市の関係
2.エレメントとその組み立て
3.断片的な体験が連なる状態

この3つの観点から《門脇邸》について、そして私が感じた分からなさについて、考えていきたい。

 具体的な検討に入る前に、方法論の出発点ともいえる「エレメント」の概念に触れておく。門脇邸論考では次のように述べられている。「エレメントは、建物の部分であると同時に、複数の部材が組み合わさったまとまりでもあり、その構成部材の組み立ての手順や、まとまりと見なされることの合理的理由や歴史的経緯などの、独自の存在論理をもっている。つまり、エレメントは半自律的な存在である。不完全な全体性をもつといってもよい。」そして、《門脇邸》はエレメントの概念をベースに展開する「複雑な要素を複雑なままに、排他性を発揮する自明な境界をなるべくつらないように、建物をデザインすることはできないか。」という問いへの挑戦である。

4-1. 《門脇邸》の越境性
 まず《門脇邸》と都市の関係について考える。回想部分で触れたように《門脇邸》は都市環境をポジティブに引き込み、周辺に馴染んでいるが、しかしその存在は際立っていた。
 この特徴について考える上で、2016年の建築夜学校での発表をまとめた10+1の記事の中にある『接続と切断のパラドクス』を参照する。
 ここでは直接、言及している訳ではないが《門脇邸》の設計方法に関わる内容であり、その中で都市についても触れられている。
 そこでは、マルチレイヤーな都市の中で、周辺の互いに無関係なコンテクストを拾い上げ、その延長として建物の設計を行うことで、建物に統一的な力が働くのを避け、部分が切断的な状況を持ちつつ、それでいて周辺との連続性を獲得する方法論が示されている。ここでの周辺は「多次元的近傍性」という言葉で示されるように、単一の次元(例えば、地理的、記号的など)に限ったものではなく、それを限定せず多次元に渡って「近い」コンテクストを指している。そのため、この方法論に則っている《門脇邸》は多次元的な近傍にその出自を持つ存在といえる。
 かといって、実際の体験の中では、直感的にエレメントやそのまとまりの出自を了解できる部分もあれば、そうでない部分も、もちろんある。これは、多次元的な近傍を読み切れないということもあるだろうし、エレメントは単一の出自、単一の論理に紐付いている訳ではなく、それらを苗床とした上で設計されているからである。論理が独立し、かつ輻輳するつくりは前述したように、《門脇邸》について読み取ろうとする試みを困難なものにする。正確にいうと断片についてはそのつくりについて読み取ることができるが、かと言って建物全体を見渡す回路へは繋がっていない。という感覚を呼び起こす。
 門脇邸論考にあるように一貫した論理によって構築された建物は建築表現として「分かる」ものになる。これはつまり、建物を読み取ることによって「分かる」対象に行き当たるということだ。しかし、《門脇邸》についてはこのレベルにおいて「分かる」対象に行き当たることはない。このような感覚について、全体を見渡そうとすることが不毛であると考えるのではなく、むしろ《門脇邸》の断片を読むことは、それらの出自である近傍へ向かう視点を獲得することだと、言えるのではないだろうか。つまり、《門脇邸》を覗くことは、周辺の都市をはじめとした近傍を覗くことに他ならないのではないだろうか。
 そう考えるに至る具体的な例を挙げよう。最も分かりやすいのは、看板建築を模した西側立面である。敷地西側に面する道路には、古い店や既に店を畳んだ看板建築が建ち並んでいる。このコンテクストを引き込み西側の立面は看板建築「らしく」つくられている。しかし、それは単に看板建築を引用しているだけにとどまらない。まず西側のフラットな立面は、エレメントが解けた南立面への始点として設計されており、それは立面に紐付いたひとつの論理である。しかし、これだけでなくこの西側立面は、開口を一つしか持たないことから、通りに建ち並ぶ看板建築の中でそのコードに乗りつつも、異質な存在感を持っている。これは、単に《門脇邸》が目立つという話ではない。
 この道路において、本来の商店に付随した看板建築は既に廃れ始めており、建売住宅が混ざって建ち並ぶような状況である。つまり、ここでの看板建築というコンテクストは、もはや人々の意識には上らない、弱いコンテクストなのである。しかし、その中に《門脇邸》の異質な看板建築的立面が出現することよって、通りに建ち並ぶ看板建築というコンテクストは再び意識されるものとなっている。つまり、《門脇邸》の存在は、コンテクストに批判的に介入することで、それ自体を活性化し、《門脇邸》を読もうとする私たちに、それを通り越して、看板建築という都市を眺める視点を提供していると言えよう。

 《門脇邸》では例に挙げたようなコンテクストがエレメントやそのまとまりに紐付いて多次元的に展開している。私たちは、その内のほんの一端を断片的に捉えるに過ぎないが、このような、主体が建物を通してその外側への視点を獲得するような体験は、その建物が「越境性」を持っている、と表せるだろう。
 このような越境性は、均質化する都市に再び重層性を与えるものであり、その都市の体験にも大きく寄与するものだと言える。
 
 《門脇邸》はこのように都市やその近傍に働きかける存在である。しかし、視点を変えてみるとそこからは、そのような越境性が有効性を持つ、現在の都市の状況も見えてくる。
 この場所に限らず、成熟しきった都市のなかでは、背後の構造を読み取る視点だけで、その状況を捉えることは非常に困難であるように思う。特に都市圏近郊の住宅街では、恒常的にミニ開発などの力がかかり続け、街のあり様は均質化する一方である。そして、そこで目の前に広がっているのは、どこまでも具体的なものが織りなす、どこからでも何かが読み取れてしまいそうな曖昧模糊とした風景なのである。
 しかし、如何様にでも解釈できてしまいそうな風景を前にして、それらを都合よく編集することなく、引き受ける力強さを《門脇邸》からは感じることができる。そう考えると、その設計は、どこまでも具体的なものの風景から、多次元的なコンテクストを丁寧に解きほぐし、それらを建物を構成するエレメントが根を下ろしている豊かなコンテクストと引合せ、結びつけるような作業だったのではないかと思える。

4-2. 抜き差しなる関係
 続いて、エレメントとその組み立てに着目する。《門脇邸》は、その前提から、いわゆる仕上げがしてある部分もあれば、仕上げ材がないことによって一般的な建物では、隠されているエレメントが現れている部分もある。そこでの体験は、建物がいかに多種多様なエレメントが寄り集まって組織されているかを思い起こさせる。各々のエレメントを注視すると、それらの組み立てや納まりは全体に資するためのものではなく、各々のエレメントに紐付いた多次元的なコンテクストとその部分における局所的なコンテクストの上に設計されている。
 例えば、階段の木の手すりは105角の材で構成され、構造体でないにも関わらず外部吹き抜けの鉄骨柱、室内の鉄骨柱と同じ強さの現れを持っている。ここには、構造部材/非構造部材という見方は数ある視点のうちの一つに過ぎないという意思が込められているようで、私が普段いかに、合理的、機能的視点のみによって建物について思考しているかを意識させられ、鼻を明かされる思いである。
 《門脇邸》では、その根本において論理の輻輳、未完結、折衷を肯定することによって、限定的な視点からでは制限されてしまう思考にその広がりを取り戻している。そういった思考は、あらゆるエレメントとその組み立てに浸透しており、その結果、《門脇邸》には「抜き差しなる関係」が生じている。

 「抜き差しなる関係」は長坂常さんの言葉であり、門脇先生によるインタビューの中で語られたものだ。建築家と建築との緊張した対峙関係から生み出される抜き差しならない関係に対して、おおらかな関係から生まれる自由さや楽しさとともに建築を実現する姿勢から見出された言葉である。
 《門脇邸》では、異なる論理が共立することで、エレメント同士のヒエラルキーは無効となり、それらは等価な関係にある。そういった関係は、前述した例のように、慣習的なものの見方だけでは捉えられない部分を至るところに発生させる。むしろ、そういった関係は積極的に定着されており、その結果、体験者にとって誤読性の高い状態が生まれている。それは建築の重層性と言い換えることもできそうだ。
 誤読性が高い状態は、建物について誤った認識を誘導するということではなく、ひとつのあり方に対して、別のあり方を積極的に肯定するための方法である。このような状態は常に住み手に働きかけ続けるものであり、ある時の関係と、またある時の関係が一致するとは限らない。これは言わば、人と建物に生じるコミュニケーションであり、誤読が複合的に発生する《門脇邸》では、人と建物の関係はリアルタイムに生成され続けるものとなる。そこには、新たに加わる家具や植物、そして出来事までも、あらゆる事物が気兼ねなく参加し、また退去することができる状態が実現されていると言えよう。そして、これはまさに抜き差しなる関係の実現なのだと感じた訳である。

4-3. 弱い構成/アドホック
 三つ目に、断片的な体験、理解が次々にスライドしていく様な体験について考察する。
 建築について構成という言葉が使われることがある。言葉を使う人によって言葉の正確な意味は様々だが、先ほども取り上げた青木さんの文章では、「全体性をつくるものを普通、構成と呼ぶ。建築の場合で言えば、それは、その建築全体の組織構成の、神の目による捉え方つまり「抽象」のことだ。それは抽象であるから、人の目には見えない。(中略)建築には、そういう構成あるいは抽象が、少なくとも今のところ、欠かせない。建築をつくる時に、また建築を見る時に、僕たちはどうしてもそういう抽象化に引っ張られるからだ。構成感というのは、構成に引っ張られる時の、引力のことを指す。」とある。複雑な現実を受け止めることが目指された《杉並区大宮前体育館》では、ある構成によって完成に向かわないよう、異なる解像度のレイヤーを慎重に重ね合わせることで構成の生む引力場を相殺し、仮設的な全体性を実現する。
 このことを踏まえて、《杉並区大宮前体育館》を思い起こすと、そこで体感される構成は非常に研ぎ澄まされたもののように思える。公園の様な場所の中に、ふたつの背の低い楕円の建物が建っている。飛び出た庇の下に入り口を認め、大きい方の建物から中に入る。そこで初めて地下に埋め込まれた巨大な体育館の塊とその周囲を周るクレバスのような吹き抜けを把握する。そして、楕円の平面から体育館の長方形を差し引いた時に残された切れ端のような周辺部分をぐるっと回っていくと、吹き抜け越しに、プールまで地下に埋められていることがわかり、先ほど地上に現れていた小さい方の建物はほとんどスカスカで、プールの巨大な吹き抜けを形成していたことが了解される。この一連のシークエンスによって、重なるはずのない、公園に建つ背の低い2つの建物というイメージと大きな空間を持つ体育館とプールというイメージが見事に架橋される。この体験から私は、青木さんの中での構成のイメージは建物全体に血を巡らせるような存在なのではないかと感じた。
 この体験に対して《門脇邸》を思い起こしてみると、ここでは建物に行き渡るような構成は影を潜めている。だが、構成的なものが完全に失われているとは思わない。私が思うに、ここで感じられる構成的なものは、全体に届かない弱い力でエレメントに働く、弱い構成とでも形容すべきものに思える。
 ひとつを例に挙げると、1階にある通り土間は、西側から入って、始めは床、壁、天井が存在しトンネル状の輪郭が明確にあるが、奥に通り抜ける中で天井はなくなり、見上げれば鉄骨の梁や木の根太、その面戸越しにリビングが見えている。エレメントがいくつか集まって構成のようなものをなしているが、気がつけばエレメントは構成に支えるのを途中で止めてしまった、というような具合だ。このような弱い構成が感じられる部分が《門脇邸》にはいくつもある。それらは、散らばって多中心をなし、互いに異なるあり方を持っている。
 その上で重要になるのは、弱い構成がその影響を及ぼさない領域である。これは門脇邸論考にあるように「たまたま隣り合ったものの関係を構築する作業」であり、そこでは「アドホック」でありつつ「部分と部分は、お互いの存在をクリティークするものになる」ことが意識され設計される。そして、この手続きこそが《門脇邸》が持つ「分からなさ」のひとつの要因になっていると思える。
 まず、一般的に新築の建物の設計において「たまたま隣り合う状況」が生じることはほとんどなく、仮に生まれたとしても、それは設計からこぼれ落ちたネガティブなものとして捉えられる。しかし、《門脇邸》ではこの状況を、多次元的近傍性による無作為なコンテクストへの接続と、設計における視野狭窄的なアプローチによって、意図的に生み出している。視野狭窄的な設計は、全体を見ないかつ、その部分では完結しないよう、注意深く行われる。そしてこの部分が先ほど述べた弱い構成の影響を受ける領域に対応していると考えられる。そして視野狭窄的につくられた完結しない部分=弱い構成の領域がいくつも存在し、それらの接合においてアドホックな設計が要請され、その結果としてアドホックな状態が建物に生み出される。このように意図的に視野狭窄的なアプローチを採ることで、結果として、そのネガの部分にたまたま隣り合う状況を生み出している。
 そして、アドホックな設計は、その前提として教科書的な状況が存在せず、常に目の前の状況があるだけであり、そこでの設計は非常に高度で具体的なものとなる。そして、そのような状況を訳も無く乗りこなしていることと、門脇耕三が構法のプロフェッショナルであることは決して無関係ではない。原理と慣習の境目を解きほぐし、その都度、新たに定着し直すことによって初めてアドホックな設計が可能となったのではないか。その結果として部分に付与されるアドホックな状態は、弱い構成がエレメントに与える構築へ向かうベクトルではなく、建築を未分化の状態へ差戻すベクトルを持っていると言えるかもしれない。
 このように捉えると、《門脇邸》は、エレメントに対して弱い構成またはアドホックな状態へ向かう2つの力がまだらに展開する場として捉えることができそうである。そこに身を置く主体は、エレメントを介して、背後にある2つの力の濃淡を感じ取っていると思われる。主体のシークエンスには常に、濃から淡、淡から濃という変化の傾きが作用し、それはつまり、目を向けた部分からまた次の部分へ次々と理解がスライドしていくような体験に繋がっていると考えられる。

5. 「分からなさ」について
 ここまで、私の主観的な体験を出発点にして、3つのポイントからそれぞれ考察を行ってきた。最後にそれらを無理やりまとめてみようと思う。
 
 《門脇邸》の試みは、如何様にも読めてしまう都市において、それを都合よく編集せず、その質の延長として住宅をつくる。如何様にも読める状態=全体を志向しない断片的な論理の共立をエレメントをベースにさらに展開して、弱い構成とアドホックな状態が展開する場を生み出す。そこでのエレメントの組み立ては、誤読を広げるような手つきが意識され、建物と事物との間に抜き差しなる関係を呼び起こす。そして《門脇邸》は、少なく見積もってだが、以上のことを実現している。
 そして、ここまで《門脇邸》についてじっくりと読み解き、それをさらに深めようとする姿勢で文章を書いてきたが、実際の《門脇邸》は何よりもまず人が住む場所として存在している。そのことを鑑みると、断片的な読み解きの先に全体性を見据えることができないという感覚は、「分かること」に重きをおいた見方である。しかし、《門脇邸》の主眼はそこにはなく、むしろその時々の断片の読み解きは、建物の持つ汲み尽くせなさとして豊かさへ接続している。長い時間を過ごすその場所で、生まれては消える断片は人の無意識のレベルと呼応して、生活をかたちづくる。私は、そういった意味で《門脇邸》は真に都市と住宅を架橋する存在だと考える。

 ここまで来ると当初、私が《門脇邸》に感じていた「分からなさ」は、構成が影響しない領域=アドホックな状態を帯びた領域の存在や汲み尽くせないことによる豊かさ、建築家の意図を伝達するメディアとして存在していないこと、に由来していたということが分かってきた。しかし、それでもなお少しだけ腑に落ちないように感じているため、ここから先は、さらに仮説的な話となってしまうが、最後に悪あがきをして文章を締め括りたい。
 
 少しだけお腑に落ちないのは、なぜかを改めて考えると、成立している状態は理解できるが、やはりどうやって設計していったのか、イメージすることができないからであり、設計をする端くれから見ての分からなさのように思える。そこで最後にその設計とプロセスについて考察を行いたい。

 上述したように《門脇邸》はその設計を見通すことが非常に困難である。しかしその上で、ここまでの考察と合わせて思うに、その設計プロセスは、経路依存であり、一回性が高く、再現性が低いように思える。
 なぜそのように考えたかというと、《門脇邸》においては、例えば部分aと部分bは概念的に独立しており、互いを基本的に考慮しない。しかし、ここで思い出されるのは「建物はひとつのつまみをひねると全然関係のないつまみがずれる」という門脇先生の言葉だ。これはつまり、建物には、概念的な構成などとは全く無関係に、物的な側面だけについての関係の束が存在していること、この関係の束は、個別の建物についてその都度立ち上がるものでその完全な把握が困難であることを表している。この建物についての関係の束は、建物が建物として成立するための秩序であり、ここでは差し当たりビルディングの秩序と呼ぶことにする。
 そのことを踏まえると、建物について部分aを先に検討した場合、部分bは部分aの影響を物的にはなんらかの形で、受けることになる。しかし、《門脇邸》の設計プロセスで重要な点は先に検討された部分aは次に部分bを検討する時すでに「既存」や「コンテクスト」のような扱いとなっていると思われ、ちゃぶ台返しは起こらない。そのことによって、次に検討される部分bは、部分aに対して概念的に辻褄を合わせるようなことはなく、独立して検討される。このことで部分は概念的には独立性を持つが、物的には部分同士で影響を受けるというねじれた状態を持つことになる。また、部分の検討順序は恐らく場当たり的に決まっていくものなので、部分が物的にどのような影響を受けるのかについても予測することは難しい。
 この2点は、全体性の下につくられる建物においては問題になることがない。なぜなら、まず、部分同士は概念的にも物的にも全体性によって取りまとめることができ、この時ビルディングの秩序についても同じく全体性の統制の下にある。検討順序の問題もすべての順序に先立って全体性が存在するため、影響があるにしても誤差の範囲程度のものになるだろう。

 しかし、その2点は、《門脇邸》の現れに大きな影響を与えていると私は考える。
 まず、検討順序の影響について。《門脇邸》のかたちには、絶対的な必然性があまり感じられないが、かと言って、なんでも良いという訳ではない、という感覚がある。特に、アドホックな設計を行ったと思われる領域はその感覚が強くある。繰り返しになるが、アドホックな設計は、教科書的な状況が存在せず、常に目の前の状況があるだけである。そのため、検討順序がかたちに与える影響──対角に検討することはその影響を少しでも抑えるためとも考えられる──を正面から受けることになる。そして、論理的には、検討順序がひとつ異なるだけで、生まれるかたちも異なるものになる。だが、恐らく検討順序の違いによって無数のかたちが生み出されるとしても、建物の持つ質は、いま実現されている《門脇邸》と変わらないものになるような気がする。また、そうした仮説からは《門脇邸》の質を持った建物は、潜在的に群れとして存在しており、実現されたのはそのうちのひとつと考える視点を持つことができる。
 そしてこれは、先に述べた、かたちについての必然性がないが、かと言って、なんでも良い訳ではない、という感覚を裏付けることにはならないだろうか。つまり、言い直すとすると、それらはオルタナティブを背後に携えたかたち、なのだと思う。
 ただ同時に、この視点には、検討順序によって生まれ得る無数の枝分かれ同士を異なる案として取り出し比較するスタディが可能なのか、という疑問も浮かび上がる。少なくとも、単に複数のスタディ案を作るのとは別の次元で異なるかたちが生まれるため、いまのところ私にはあまり具体的なイメージができないが、おそらく《門脇邸》には、異なるスタディ案を並列の関係で比較するのではない、経路依存を生かした前後関係を意識したスタディの仕方があるのではないか、と考えている。

 続いて、部分は概念的には独立性を持つが、物的には部分同士で影響を受ける、というねじれた状態について。このねじれた状態は《門脇邸》においてそのまま定着されている。
 例えば、2階のキッチン上部を流れる梁のあり方が分かりやすい。梁は外壁を突き抜け、外部吹き抜けの独立柱にずれたかたちで接合されている。そして、室内側の梁には熱橋を防ぐため、断熱材が吹き付けられている状況だ。ここで梁は、外壁とも独立柱とも関係ない振る舞いをするが、それを建物として成立させるために梁には断熱材が吹き付けられ、柱の接合部分では製作の金物が使用される。ここに私は、ビルディングの秩序の現れを感じるのだが、話が飛躍しすぎるので、私が思い浮かべるビルディングの秩序について少し説明をしたい。
 まず私は、建築家がいなくても建物はできあがるという感覚を持っている。日本の、特に木造の建物においては、棟梁の指揮の下、建物をつくっていた時代が長く存在し、その生産体制は、建築家の登場後、現在においても、多くが引き継がれている。在来木造は、職人の仕事と建物の寸法体系の整合など長い淘汰の中で培われた非常に高度な構法であり、そこにはもはや、建物の自律性を見ることができる。日本に限らず「建築家なしの建築」はおしなべてある種の自律性を獲得しているように思える。そういった状況と先に触れた先生の言葉や実際の建築現場での経験を背景にして、建物にはその構法や生産体制、現場体制を含めて物的に建物が成立しようとする秩序があり、それは個別の状況に応じてその都度立ち上がるものなのではないかと考えている。私がビルディングの秩序という言葉で指したいのはこういった事柄である。
 私が思うに《門脇邸》の設計が特異な点は、ビルディングの秩序に対する向き合い方にあるような気がしている。ビルディングの秩序は高次元の関係の束であるので、容易にその全容を把握することはできない、しかし無数のスタディを繰り返す中でそれを身体化することは可能であり、それは古典的に建築家が有してきた能力である。その能力の下、目指すべき姿と建物に生まれる不整合を取り除いていった先に、洗練された建物を実現するのである。この時ビルディングの秩序は、建物の設計に合わせて丁寧に構築されることもあれば、力技で押さえ込まれることもあるだろう。
 一方、《門脇邸》においては、ある程度までビルディングの秩序に建物の組み立てを委ねている面があるように思われる。それは、ビルディングの秩序を設計の中で「他者」として扱っているのかもしれない。各々の部分が独立性を持ち、解けていこうとする時に、ビルディングの秩序はそれらを建物としてなんとかまとめ上げようと働く。上記の例の場合、梁が外壁を貫通しても良いので屋内部分には断熱材を、柱と梁がずれていても良いのでそのための金物を、といった対応である。これは、破けた服にパッチを当てるような手つきであり、ともすると素人仕事になりかねない。しかし、このようなビルディングの秩序をギリギリまで引き受けた上で、ものとものが交わるその点におけるジャッジに、私は、最も門脇耕三という建築家の姿を見るのだ。検討順序によって潜在的に無数の《門脇邸》が存在すると書いたが、それらがどれも《門脇邸》と同じ質を持ち得るのは、無数のそういった類のジャッジに切り離せずついてくる建築家の無意識によってなのかもしれない。

 こういった仮説を立てて進んでくると、《門脇邸》は、門脇耕三とビルディングの秩序とのやり取りが寄り集まったもののように思えてくる。最も分かりやすくかたちが与えられているように見える、弱い構成は、ビルディングの秩序を呼び出すためのきっかけに過ぎず、エレメントの仮止めのようなもので、それ以降は、それらを苗床に勝手に育っていく。その中で必然的にビルディングの秩序は、無数の関係をとり結んでいくが、それらをその都度、導くのが門脇耕三である。そのようなやり取りの先に生まれてくる空間は、与件を満たしつつも、どこか副次的に生まれたものに感じられるだろう。
 そして、この試みはビルディングの秩序への理解と信頼があって初めて成立するものだったと思われる。そして、それは門脇耕三であったからこそ、為し得たことであると私は考える。

2018.11.11
川又修平

#建築 #門脇邸

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