見出し画像

源氏物語を読みたい80代母のために 37 (源氏物語アカデミー2023レポ③)

 初日最後の講義は、大妻女子大学准教授・赤澤真理先生による
「御簾の下からこぼれ出る女房装束」
 うわータイトルからして心惹かれるううう。
 さらに、赤澤先生は日本工業大学大学院で建築学を専攻されており、工学博士である。そこから日本住宅史・住文化史、源氏物語絵に描かれた空間の考証へと繋がっていったというのが面白い。ホントに色んなジャンルがありますよね源氏物語研究って。尋常じゃないですわ。
 以下は例によって適当なメモ書きですが、ここでひとつだけお願いが。
 私のどうでもいいメモ内容は忘れ去っていただいて全然かまいませんので!
「打出」(うちいで・うちで、調度として「うちいだし」ともいう)
という言葉とその意味だけは!
覚えていってほしい!
なんなら画像ググってどんなのか見て!(誰に言ってるんだ!)
※は私見。

〇平安時代、高貴な女性たちの居所には禁忌と規範が存在した。
〇当時の貴族の住居形態である「寝殿造」には、明確な部屋分けはなく一つの大きな空間を調度によって区切りしつらえていた。床も、板敷の上に置き畳や敷物をしく形。今のように一室に畳を敷きつめるようになったのは応仁の乱以降である。
〇「打出」とは:元々は、御簾や几帳の下から外にはみ出している着飾った女房達の袖のつまを言う。自然な姿から転じて、殿舎の装飾の一種となった。
〇有職故実書(古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・週刊・官職・儀式・装束などのことを書いたもの→※要するに貴族の公私に役立つうんちく本?)によると、
〇打出の飾り方:
・一間に二具
→柱と柱の間に二つ出す(あたかも姿の良い二人の女房が向かい合わせに座っているかのような)。
→当時の女房の姿勢は床に這いつくばるような低い形
・打出を出す(飾る)ことのできる条件
→大臣家以上、納言以下は不可。北政所(正室)がいること(女主もしくはそのお付きの女房だけが袖を出す)。
・打出は来訪者へのもてなしである(御簾の内外を装飾)
〇「打出」の成立:
 摂関期には男性官人の日記に登場無く、公的な性格とは認知されていなかったが、院政期の「家」や「家格」の成立に伴い女房の序列や役割が明確化、統一的組織的な打出がなされるように。平家が外戚となり建春門院、建礼門院が宮廷文化の中心となると、宮廷の豪華さを誇示する過剰な装飾の集団美となった。
 実際に袖つまを出す「打出」は後一条天皇(1016~1036)の御代に頂点を迎えるが、後三条天皇(1068~1073)の治世下で人の着る装束の贅沢禁止令が強化されたため、禁制逃れとして人不在の「装飾としての打出」が成立した。
〇物語文学に示された打出
10世紀末「うつほ物語」、「枕草子」→※割と好意的?
11世紀前半「源氏物語」の「花宴」→右大臣家の御局の袖口は宮中の踏歌のようでふさわしくない(派手すぎ!と批判)。
※「若菜下」での蹴鞠場面でも、見物に夢中になるあまり端近に出て袖をはみ出させている女三宮の女房達を「軽々しい」というニュアンスで描いてる。紫式部からしたら「はしたない」行為だったのかも?ただ、同じ時代の「栄花物語」では晴れがましい感じで描写されてたりもする。TPOの問題が大きいかもしれない。
〇装飾としての打出もどんどん華美になり、「褄の重なりは枕冊子のように、袖口は火桶のよう」だと問題に。
〇厳格な儀式の際はしない。
〇わざとらしく出すのは好まれなかった。あくまで自然に、さり気なく。
〇打出は時代が下るとともに大きくなり、丈が高すぎて外の景色が見えないということも。
〇打出の人数合わせに伺候を依頼されることもあった。
〇男性にとっては好ましい装飾とはいえなかった。派手過ぎ・やりすぎなど批判されがち。その家で不祥事があったとか、東国逆乱、略儀の際には出されない。行事の際に華やぎを添える程度のバランス感覚が求められた。
〇多くの絵画に打出の演出空間が示されている。
〇指図(絵図面)にも打出の演出空間が描かれている。実際に女房が座っているわけではなく、儀式空間の立ち位置や動線を確保するために置いたか。女房とのやりとりの場としても使われた。
→上皇が入ると打出を撤去、女院が入ると出す、といった女院の座所を示すサインともなった。
→宴なり儀式なりが、女院主催であることを表す(女院本人は姿を現さない)
〇時代が下るとともに「打出」は「押出」となり小さくなっていった。源氏絵で描かれる打出も小袖のような短い袖に。寛政四年(1792)の内裏小御所・管弦の舗設図では女房座は締め切られ、よって打出も出されなくなっている。
〇打出は平安時代後期までは実際の装束の袖をのぞかせる形で、院政期にかけて華やかになるとともに人不在の室内装飾へと転じ、室町時代後期にかけて姿を消していった。
〇空間の境界としての打出の機能は男性も許容。
〇中世後期以降は天井・欄間・建具などの新たな装飾にとってかわられ、儀式空間も部屋単位となる。
〇女院・后妃・斎院などの公的な女性の地位消失により儀式空間に女性の場を確保する必要がなくなった。→宮中のみ
〇打出の消失は寝殿造で展開した文化が変容する一側面ではないか。
〇2021年8月に三重県立斎宮歴史博物館にて特別展示された「姫君の空間-王朝の尾はなやぎと輝きの世界へ-」で打出を再現。
→2024年2月、東京富士美術館「源氏物語展」にて再展示されるとのこと。
※これは見たい!ちょっと遠いけど!

 講義内容は以上。
 なんかいいですね、打出。
 そもそも部屋の区切りがあってなきがごとし、女性でも動かせるようなチョロいもので仕切られてるだけ、という時代ならではって感じ。あからさまに姿をみせない、象徴となるものだけちらりと見せて存在を示すっていうやり方、呪術ぽくて痺れます。
 こういった「お約束」を理解していればこそ、光源氏は
(ああ、あのあたりに藤壺の宮がいらっしゃる)
 と密かに胸をときめかしたり、酔ったふりをして御簾の際までにじり寄り、
(きっとこの辺だろう)
 と当たりをつけ、見事朧月夜を探し出すことも出来たわけで。
 見た目に華やかなだけでなく、そこに隠されている素敵な誰かに思いを馳せる……実は男性にも好評だったんではないかしら。でないと年寄りがケシカラン!って苦言を呈することにもならないもんね。
 男女とも色んな慣習や決まりによってガチガチに縛られているようで、案外それぞれのエリアの内側では好き勝手にしていたんじゃなかろうか。制限があるからこその楽しみや自由といいますか。区別をまったくなくした世界って、思いのほか味気ないかもしれないなあ。

 さて今回の予習本はこちら(図書館で借りました):
「講座源氏物語研究 第10巻 源氏物語と美術の世界」

 この本、複数の研究者の方々が論文を寄せておられるのですが、すごく面白かった。この後の講義にも通じるところがあるので、ちょこちょこここから引こうと思います。
 赤澤先生の文はこの本の最後、「江戸前期における寝殿造への憧憬と理解」。
〇絵に描かれた住居は、その時代ごとの理想とされた「あるべき上層住宅」が具体化されたものである。
〇江戸前期の上流階級が理解した古代貴族住宅とはあくまで、近世の宮廷文化を基礎として構築された理想像だった(歴史的理解は不要)。 
〇18世紀後半の復古大和絵派に至って復古表現(史料に基づいた考証をした)が主流となった。

 なるほど、絵の変遷をみていくのも面白そうだなあ。上野でやってる「やまと絵」の展覧会早く行かなくちゃ。

 ということで一日目がようやく終わりました。
 お部屋に戻り、買っておいたビールをぷしっと開けて、白エビ味のご当地ポテチをつまみつつ独り宴会。
 ラク!!
 なんてラクなんだホテル泊といふのは!ラクにもほどがある!最初からこうしとけばよかった!
 ああ、独りサイコー!!!
 と感動に咽びつつ、一日目の夜は更けていくのでした(その後シャワー浴びて爆睡)。
<つづく>

「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。