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源氏物語を読みたい80代母のために 38(源氏物語アカデミー2023レポ④)

 さあ二日目の朝が来た。
 六時にアラームをかけていたけれど、その前に目が覚めた私エライ。
 お部屋からの眺めは上々、村国山がすぐそこに(表紙画像参照)。
 カンタンに身支度して6:45くらいに朝食会場に向かうと、なんと既に結構混んでるじゃん!皆早くない?
 今朝はまだお一人様なので窓際の外向き席に座る。中々眺めがよき。泊ってる部屋より少し高いせいか、此方からは日野山がバッチリ見えた。山なみに白雲がうっすらかかって、なんとも荘厳な雰囲気。
 大変有難いバイキング朝食をたっぷりいただきコーヒーも飲んで、ダラダラと部屋に帰る。この時点でもまだ七時台。講義開始まではまだまだ時間がある。
 が!
 今日こそは!ちゃんと席を確保しなくては!
 なんせ母も参戦だからね!
 というわけで八時過ぎには会場に向かい、一応スタッフの方に断って二人分の席取り。当然誰一人いなかったが、よく見たらもういくつか机の上にテキスト。皆早い、超早い。
 開始十五分前にホテル前で母と落ちあい、車上の兄に土産物を渡して見送る。さあ、80代母と共にこれからまた平安への旅へGOよ♪
 土曜朝九時からの講義に会場はほぼ満席。多分去年よりかなり多い、気がする。いやホント凄いですわ。

垂れ幕の字が良い!

 二日目のトップバッターは山本淳子先生、
「原文購読 『若菜上 ~六条院の蹴鞠の場面を読む~」
 柏木が女三の宮の姿を垣間見る、あの場面ですね。
(よろしければ
「源氏物語テキトー訳・ひかるのきみ」の該当場面「若菜上 十七
ご覧くださいまし)
 今回も懐かしの三段組形式(解説・原文・訳文)。以下、レジメとメモから。※は私見。
〇前提として:完成したばかりの六条院描写
・四町の建物は破格→光源氏の権力が規格外であることを示す
※一町が1ヘクタール(1万㎡)なので、ほぼ東京ドームの大きさとなります。
・西南の町は元々六条御息所の土地なので秋好中宮の住まい、東南は光源氏の住まい、東北は花散里(夕霧の教育係)、西北は明石の御方(財産管理係)というように、六条院はハーレムではなく「権力に関わる人々が集められた場所」である。
・紫上の住まいは東南の「春の町」だが、引っ越すのが八月(秋)のため、秋の草木も植え込んだ。→紫上の扱いは別格!
・六条御息所は秋のイメージ:
「賢木」巻での別れの場面は秋。
「薄雲」巻での秋好中宮と光源氏の春秋優劣論にて、中宮は「はかなく消えた母への思い」を秋という季節に重ねている。
・秋の町には六条御息所が棲んでいる(!)→紫上の危篤時に語り出した物の怪がそれ。
※六条御息所、ようは地縛霊か?(違)個人的には、この物の怪は光源氏の罪悪感が作り出したものと思ってます。来るものは拒まず、基本的には誰も見捨てないという「美点」がこの場合仇となって、「忘れたい過去」が「忘れ去ることのできない記憶」として残ってしまうよう自らやっちゃってる。そういうところ、如何にも光源氏らしいといえばらしい。
 そも「源氏物語」の中では、美点や欠点・善いこと悪いことが絶対的ではなく、その時の状況や人間関係によってどう転ぶかわからないものとして描かれてる。歴史を学ぶと同時にたくさんの物語を読み、現実の事象もその鋭い観察眼でしっかり見据えてきた紫式部だからこそ、このような類まれなるバランス感覚を持つことができたんじゃないでしょうか。
〇蹴鞠当日の六条院の様子:
・明石東宮妃は子供ともに宮中へ戻ってしまい、寝殿東側は無人。
・光源氏41歳、柏木25、6歳、夕霧20歳、女三の宮15、6歳。
・暇を持て余した源氏が、蹴鞠をしている若者たちのことを聞きつけて呼び出す。「乱りがはしきこと」(どうもあれは騒がしいものの)と言いつつ。→「乱れる」がキーワード
〇蹴鞠とは:平安末~鎌倉初頭に作法固定。6~7.5間(11~13.5m)四方、角に桜、柳、楓、松をたてる。
〇参加していたのは武官だけではなく、普段事務仕事をしている弁官も。光源氏は「弁官たちすら我慢できずに参加しているのだから、(そのトップである)夕霧や柏木も」とけしかける。
〇蹴鞠の一団は少しずつ東側から西へと移動(女三の宮がいる西の対に近づいている)
〇冠が少しずれるほど(冠のない状態は裸頭らとうといって大変恥ずかしい)熱中していた夕霧は寝殿の真ん中あたりの階段で休息。柏木もそれに続いた。柏木は女三の宮のいる辺りが気になって仕方がない。
〇後世の源氏絵にはこの「階に座る二人」が描かれているものはない?
→(風俗博物館の展示で再現された際の画像を加工したスライド提示)
〇御簾の内で騒ぎが起こり女房達がざわつく。→「耳かしがましき心地」は柏木の感覚。
〇この辺り、語り手は柏木に。夕霧より少し下の段にいた柏木からはまず宮の横顔、振り返った際に真正面が見えた。
〇蹴鞠に身を投げる若者たちと恋に身を投げ出す柏木との対比。
〇夕霧の位置からも宮の姿は見えた。御簾が閉じられて残念な気持ちとともに、柏木に対する同情の念(以前、官位の低さで婿候補から外されたことを知っていたため)。

(スライドより書写)位置関係。光源氏からはこの様子は全く見えないのがわかる。

〇柏木は宮の猫を抱いて、その匂いに宮の存在を感じる。
〇蹴鞠後、若者たちに椿餅などの菓子がふるまわれる。
→普通、食べ物の場面はあまり出てこない。ここであえて出したのは「羽目を外す」「猥雑さ」を表すため。
→ここにおいて柏木の五感はすべて刺激された。宮への「憧れ」は「すきずきし」いものに変化。
 以上、ここまで淀みなく進行し、時間通りピタリと終了(お見事!)。

 この図解入りのわかりやすい説明、母はいたく気に入ったらしい。すごいわー面白いわーと感激しておりました。
 私としては、
(しまった、やっぱり一日目の「打出」の講義も受けてたらますますよかったよね)
 と思わないでもなかったが、十分楽しんだようだしまあいっか。後で私の記事読めばいいしね(いいのか?)。
 それにしても柏木の「恋に落ちた瞬間」、こうして細かく分析していただくとまた非常に味わい深い。たまたま寝殿の東側がぽっかり空いていた(明石の姫が滞在中ならそもそも庭に入れない)、たまたま春で桜の盛り、たまたま蹴鞠で遊んでた、たまたま猫が逃げ出した、どの条件が欠けてもこうはならない。そして何より驚きなのが、身体を動かし汗をかき、五感を大いに刺激される、このような「乱れた」状態の時だからこそ「恋に落ちる」という図式。これ、現代でも余裕で通じる機序じゃないでしょうか。
 これが紫式部自身の経験から得られた感覚なのか、それとも数多の物語から得られた発想なのか、両方なのか、はわからないけれど、とんでもなく優れた心象表現だと思います。

 あ、午前中すら終わらなかった。いつ書き終わるんだろうコレ(謎)。
<つづく>  

「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。