人情と食と時代劇

ブログに書くのがピンと来ないので
こちらにメモ程度に書き残そうと思う。

小さいころから本を読むのが好きだ。
新しい本を開拓するというより
何度も何度も同じ本を読み
あるシーンのところで想像するのが
とても好きだったらしい。

震災の後から、本を読めなくなった。
今自分がここにいる、というところから
常にズレていたのだろうと、今は分かる。

そしてようやく
集中して本を読むことが出来るように
なったと思ったときに
小さな頃に読んでいた児童本を探して
それを読み返した。

ああ、そうそう。

こういう読み方、したかったんだよね。

そう思ってから、以前読んだ本を
探していたりする。

昔読んだ小説本はあまり思い出せないけれど
小学校の時から読んでる「ひめゆりの塔」は
今だ何度も何度も読む。

主人公が同じ名前だからという親近感と
のまれるような戦争のなかにいた人々の生きざま。

人の心情と行動と。
そういったところが
善しも悪しきも素直に出ているのは
時代小説のような気がする。

髙田都さんの時代小説でも
ベストセラーの「みをつくし料理帖」のおかげで
震災後、まともに台所に立てるようになった。

読書も料理を作ることも
震災後に出来なくなってしまったことだ。

読書と料理と
どんな共通点があったろうかと思えば
そこに自分が居るかどうか、というところか。

想像することが出来なかった、もしくは
想像したくなかったんだと思う。

過去ばかり見て
ようやく現在を見れても
未来を見る気力がないまま
生きていたのだと思う。

だから、未来に結果出来上がるご飯の
献立を想像することがまったくできなかった。

材料は購入して冷蔵庫にいれても
それを何のために使ったらいいのか
想像ができなかったのだ。

時々、夢のような一瞬を起こしてくれる
音の世界にすこしずつ足を踏み入れていくのも

結局、何度道を反れても
音の世界に引き戻されていく自分に
納得もいかなかったのもこのころで。

そんな中、ご飯を美味しく食べながら
人のあたたかい情に触れる読み物は
すこしずつ心を安定へ動かしたのだろう。

もちろんそれだけではなく
様々なことが経過して
今に至っているのも重々承知。

食が出てくる本も映画も
そうやって少しずつ心を動かしたのだろう。

そうやってようやく
台所に立って献立を考えられるようになってから
「深夜食堂」という映画を見て

更に、献立を考えるのが楽しくなった。

それまでほとんど日本映画は観ることが無かったのに
そこから、アマゾンプライムに上がっている
食が関わる時代劇の映画を目にし、
そしてその先に、いろんな時代劇映画があって


そんな中で、最近。

ひとり内内で仕事をしているときの昼食時は
時代劇の映画やドラマを
繰り返しみている。

内容は食から離れているけれど

「ふたがしら」の時代劇ドラマが
何度見ても面白い。

早乙女太一の所作と言葉運びが
きっとこのドラマの隙間を埋め尽くしている。

長きに渡っての仕事として
彼はその所作が身についているものの

舞台と映像は違うといえども
いつも「すごい、この人」と見てしまう。

もちろん他の配役のバランスも良いのだが
今日も、遅い昼食をとりつつ
見てしまう。

そうしたら、他の時代劇の
そういった所作を全部見たくなる。

ひとつはまると、全部チェックしたくなる。
良し悪しではなく、皆どうしてるのかなって。

それが結果、自分のなかに
何の実を結ぶのかは分からない。



昨夜もそうだ。
昨夜は12時間くらい、歌っていた。
4時間かける3回。

深夜に自宅に戻ってきて
たまたま家族が見ていた歌番組を目にしたら

そこから登場する全ての歌手の発声を
チェックしはじめてしまった。

自分は声を出すことのこれがこう思うけど
みんなが出しているそれはどうなんだろうか、とか。

きっと合唱隊がでてきたら
ひとりひとりアップで観察したいものだ。

おかしなところにはまると
他にも派生していってしまう。
フェチまでいかないけれど
仮フェチっぽい。


話はもどり

ありがたいことは。

読書もできなかった
台所でご飯をつくれなかった

それすら忘れていま

身体が動きたい方向へ
はまっていることに楽しみを抱き
ああ、あの時代小説のあの場面、
「ふたがしら」のあの場面の所作を観たいと

それを身心のどこにもロックをかけず
動けている自分が有り難い。

人間とはなんと
繊細でリアルで
変化進化していく生き物なんだろうと。

現代、時代劇の所作を
伝えていける人が少なくなってきていて

この現代の社会で
出来ないものはないと思える
便利になりつくしたの世の中なのに

ドラマも映画も
時代物がつくれない時代になっているのに
ちいさな違和感を感じている。

きっと同じようなことが
他にもいろいろあるだろうし
自分自身も、そうなっていることに
気づかない物事があるのだと思う。

個人的には
髙田都さんの
「銀二貫」を実写で観たいものです。


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