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友情

武者小路実篤よろしく、友情はやがてほつれて行くのが常、とされているように思う。
X(Twitter)でたびたび同じような投稿を目にする。要約すれば、「中学校まで仲良しだった子に久しぶりに会ったら、特に話すこともなかった。嫌なところが目に付いて縁を切った」というようなもので、成長と共に友人関係が整理されることを嘆いたり、寂しく思ったり、同時にほっとした、そんなような投稿である。
中学の時に、親しい友人がいた。同じ吹奏楽部に所属し、同じ楽器を担当していた。小学校からの付き合いで、きっかけこそ覚えていないものの妙にウマが合い、当時好きだったアニメとか、小説とか、時には恋愛話など、他愛のない話を毎日して、メールをして、土日にもどこかでずっと喋っていた。そんな友人だった。

10年ぶりの再会は、共通の友人の結婚式だった。
それまで、一切連絡をとらなかったわけではない。成人式の前後で、同窓会の話をした。結局相手が来なかったので、同窓会で会うことは叶わなかった。そのうちに私のLINEのデータがすべて飛び、音信不通になって、結婚式で再開した。年相応の大人っぽさはあるものの、全然変わってなかった。
「久しぶりだね」
話しかける時に、なぜか妙に緊張した。向こうはそんな素振りはなくて、10年の時間などなかったかのように「おお~久しぶり!」と言った。ちょっとだけ悔しかった。
ずっと連絡を取りたいと思っていた。疎遠になったききっかけすらない。出会いのきっかけもなければ、関係が断たれるきっかけもないまま、宙ぶらりんの状態がずっと続いていたのだ。
私が勝手に壁を作っていたのかもな、などと思いながら、そこからまた2年経って、二人で会おう、という約束をした。ここまで来るのに12年間。

友情が自然消滅したり、縁が切れたり、そういうことは大人になるにつれ、当然起こりえるものだという意見には大声で反対したい。
少なくとも私は、小学校の時の友達も、中学の時の友達も、高校の時の友達も、ずっとずっと大切にしたいと思っている。全員が大人になってもおんなじ距離感で話せるとはさすがに思ってないけど、大事だから友達になったのだ。友達なら、大事にしなければ。

そうして昨日、12年ぶりにご飯に行く予定だった友人が体調を崩し、約束はやり直しになった。う~ん、まあいいか!
諦めが悪いので、年明けに必ず連絡しようと思う。執着かな?でも、誰かが積極的に動かなければ、生まれない縁はある。私は彼女との縁を、まだまだ大事にしていきたい。

その夜同じく小学校からの友人と食事をした。楽しい夜だった。
いろんな近況があって、結婚とか、仕事とか、話題はいろいろ変わったけど、私たちをとりまく空気は一切変わらないと思った。それが本当にうれしくて、原点に戻してくれるような、私はこういうアイデンティティなんだよって教えてくれるような優しさがある。
友人の一人がデザインを頑張っていることを知った。大学の時建築を専攻していたことすら知らなった。建築、私も大好きなんだよって、いろいろ教えてほしいとか言いたいのに、さっきえらそうに「積極的に動かなければ」なんて言ってたのに、いざLINE開こうとすると、親指って動かなくなるんだよね。
ずっと大事にしたいから、まずは自分の話をしたいと思う。今度また、ご飯に行こう。

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