私はまだツイッターと呼びたい

ツイッター、もう世間ではXに移行しつつあるが、私はいまだに「ツイッター」と咄嗟に呼んでしまうし、咄嗟でなくても私の中では「ツイッター」だ。
ちなみに、「ふろてら」「てらあり」の頃から滞在(常駐)しているので、「いいね」になったことも、アイコンの形が丸になったのも、つい最近のような気がしている。いわゆる老害かな、と思いながら、「ふぁぼ」の親しみやすさが忘れられない。

さて、Xの在り方には賛否両論ある。私が思うこととしては、Xの中で表現されたことが、まるで世間の常識であるかのようになってしまったのは、少々息苦しいなあ、ということだ。今や昼のワイドショーも、夕方のニュースも、Xのなかで話題になったことや、バズった投稿が取り上げられることも少なくない。
かつてのSNSは、どこか実世界と切り離された存在だった。日常では言えないこと、ちょっと友達本人には言いづらいこと、会社では話せないオタクな話など、まさに心情を「つぶやく」場所だったように記憶している。
それが、いまでは実社会と密接、いや、イコールといってもいいくらい、お互いの世界が近づいてしまった。それによって、Xでつぶやかれたものは文字通り、世界に発信されることとなり、つぶやきなどとはけた違いの「発信」となって、インターネットの海を泳いでいる。

その変化すべてが悪いことだとは決して思っていない。世界に発信しやすくなることによって、社会に改革が起こせるようになったり、マーケティングにつながったり、各々の立場によって、メリットはある。
単純に、私がその変化についていけていないのだ。悲しいかな。
急速にネットが普及して思うのは、いままでは町や組などの近所の共同体、あるいは会社や学校など、社会的に所属している組織、そういった場所でおおっぴらに話せないことをいうのがインターネットだったのに、今や「ネットにかけないからここだけで話すんだけど…」な~んていう逆転現象がおこっている、ような気がする。

さて、前置きがながくなってしまったが、私が最近Xを見てよかったことを備忘録に置いておきたい。

秋葉原というと、すっかりオタクの街という印象があるが、やはりこれだ。電気街。一週間ほど前に、「アキバで一万円以下でパソコンが買えるので、スマホしか持っていない知人に買わせたい。」というポストがバズっていた。
同時に掲載されていた写真に写っていたのは、パナソニックのレッツノートである。瞬間、胸がときめいた。私がずっとほしかったレッツノートって、一万円で買えるんだ!と、急に視界が開けたような気がした。
私がレッツノートを欲しいと思ったのは、単に軽いから。そして、葛城ミサトが「破」で使っているのが、レッツノートである(ように見える)から。
ほんのそれだけの理由だけど、ただそれだけのために買うには、新品はあまりにも高すぎる。生協で買っておけばよかったな、と思うも、卒業したのはもうずいぶん前。
さてどうしたものかと思っていた時の天啓が、ツイッターの有識者によるつぶやきだったのだ。
言うまでもなく、ツイッターにはフェイクも多い。その嘘を楽しんでいる部分もあるが、時折こうして新たな発見がある。私の引き出しには、これまで、中古パソコンという選択肢はなかった。
もちろん、中古のリスクはある。セキュリティや、バッテリーや、そもそも劣化しているから安いのだ。それでも、単にちょっと文章を書くだけの私にとっては、これだけで充分である。

ということで、さっそく秋葉原に行ってきました。
やはりバズっただけあって、当該のパソコンやセール品はそっくりはけていたが、これだ!と思うものに出会えた。Officeソフトも入れてもらえた。ほくほく。
もちろん、レッツノートでなければもっと選択肢があるだろうし、もっと安くて軽い中古パソコンなんて、いっぱいあると思う。でも私には、レッツノートでなければだめだったのだ。私はこれがほしかったから。

ありがとう!ツイッター!こういう奇跡があるから、ツイッターがやめられない。最近はちょっと心にグサッとくるような、悲しくなるようなおすすめが流れてきて落ち込むことがあるが、たまに心や人生を救うような光がある。混沌としているから、思わぬ出会いがあっておもしろい。

中古で言えば、今は富士フイルムのコンデジが欲しいなと思っている。富士フイルムの色を、自分でも楽しんでみたいが、コンデジですら、数十万という値段だ。とてもじゃないが手を出せない。
そもそも私は一眼レフを持っているので、ただでさえ持て余している一眼などの立派なカメラを、これ以上もう買う必要がないし、気軽に持ち歩けるような軽いものが欲しいと思っていた。そしたらコンデジ、いいんじゃないの?と思ったわけだ。
ちなみに、中古のカメラという選択肢も私の中にはない引き出しだった。教えてくれたのは、これもまたツイッターだった。

まだツイッターと呼んでしまうのは許してほしい。これからも私のペースで、SNSと付き合っていけたらいいな、と思う。



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