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2019.04.17 予約臨終

東京戻りました。3時間だけ眠れました。絶対夜行バスで眠れない呪いにかかっている。

家に帰って午前中は寝直して、溜まっていたアニメや教育番組を見て、15時から美容院の予約をしていたので出かける。実家と比べて狭いし散らかりすぎているけれど、こういうのが落ち着くんだよね〜というわけでもなく。きったね。手に負えねぇ。

美容院に向かう途中で警察官二人が私の横を走り抜け、目の前のATMに入っていった。おばあさんが電話をしながらお金を下ろしているのが見えた。まさかこんな何でもないタイミングで振り込め詐欺を目撃するとは思っていなかった。今この瞬間にも犯罪は発生しているのだと常日頃思いながら過ごしているが、本当にその通りですよ。

美容院で髪をいじっている間、隣の女性客が女性スタッフと延々イケメン俳優の話をしていた。女性らしさってこういう事なのかしら、と思った。
顔面の美醜ってどういう観点から物を見ているのだろう?う〜ん、整った顔立ちとかって比率が大事な気がする。各パーツがどう配置されているか、横顔のシルエット、パーツの形と大きさ。そう考えるとデザインと一緒かも。顔面デザインの黄金比、あるんだろうなぁ。

晩ごはん。かつや。

ここ十日ずっとカツ丼が食べたかったので食べられてよかった。
カツ丼が食べたいと思ってカツ丼を食べる時いつも「私は本当にカツ丼が食べたかったのか?」と疑問を抱きながら食べてしまう。違うことも多いし、食べている最中に疲れて息を切らすことも多い。でも今日はチーズ乗せてカルシウム摂ったし食事中に違うなとも思わなかったのでよかった(食べたかったのか?とは思った)。

バイト先のお客さんと両親の話をする。
「年一回くらいしか会わないと、だんだん親が小さく見えてくる。身長は変わんないのにね」
ウッ……。なんだか涙が出そうになった。子どもの頃は一番身近な大人だったし、そう思って生きてきたのだから今だって例え近くにいなくとも一番身近な年上は両親という認識がある。自分が大人になっているということは両親もそのぶん年をとっているわけで。

おそらく両親が今後何か病気で倒れてしまったら、もう助からないと思ってしまうだろう。上京する前は毎日一緒にいて、しかも私が18までの記憶だからもちろん元気な姿ばかりだ。なのに突然(きっとずっと会っていなかったから突然に感じるのだろう)病気で倒れてしまったら、倒れ伏して弱々しく息をする父か母を見て、自分の記憶の中の姿とのギャップが大きすぎて「死ぬのでは?」と思うに違いない。

現代医療がエグいほど急に発展して、予期せず病気になっても死のタイミングはある程度選べるようになったらいいのに。

医師「お母様はもう助からないでしょう」
私「そんな、今からそっちに帰るとして、飛行機のチケットだったり取ってたらその間に死んじゃうじゃないですか!」
医師「では今から三日の間で死の予約ができますので、何日の何時でしたら都合がつきますでしょうか?」
私「ええと…明後日の午後二時とかでも大丈夫ですかね?」
医師「では二日後の午後二時までにお母様を看取りにいらしてください」

頼みます、現代医療。

本買ったりします、『不敬発言大全』が今一番気になっています。