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2019.05.20 切ったヘッダ聴いた

昨日髪を切って、改めて鏡を見ると似合っているのかちょっと不安。でも結局顔周辺の似合う、似合わないってのは見慣れる、見慣れないなんだよな。眼鏡とかもそう。お化粧は人それぞれに合うカラーがあるらしいけど。

録画していた消滅都市を見る。身支度しながら見ているのであんまり絵は見えていないが、ゲームを以前にしていたからキャラがわかるのである程度大丈夫なところはある。何がってアニメ消滅都市のOP楽曲ってすごく消滅都市って感じがする。イントロのギターとか歌声とか、全部が全部"消滅都市"を体現した音楽だなと感じる。なんでだろうね、聴いてください。

昼から稽古。授業の課題としての稽古は、うまくいってもいかなくてもやるたびに演劇をする意味を考えてしまう。大多数にとって娯楽である演劇を生業とするための勉強に、こんなに削られるものがあって果たして良いのだろうか?自分からこの道に進むためにこの学校に入ると決めたのだからそりゃそんな事野暮なんだけれど、そう、野暮なんだよな…。ウン…。がんばろ…。

人生を物語として見た時に、何かを削っている人生の方が美しく見える。美談には苦が付き物だ。課題を頑張るためには将来自伝を出すと思って行動すればどうにかできるんじゃないかな。自伝出すぞ〜。

夜。セブンのバカみたいなパッケージのアイス。

うまい。チョコクッキーが多すぎて固かった。クッキーが一番好きなので幸福。

店が寒くなる季節になりましたね。今日は冬物の羽織を着ていたのにイートインが死ぬほど寒くて冬眠してしまった。梅雨は特に店内が寒くて凍えてしまうので、厚手の上着を常に持っていないと困ってしまう。

イプセンの"ヘッダ・ガーブレル"という戯曲を読んだ。翻訳は長島確氏のもの。氏の授業を学校で受けているので、今回これを使って、上演する際の戯曲選びの段階で何をすべきかを学んでいく。

あらすじを書いていたのだがなんか消えてしまって萎えたのでやめます。とにかく、ヘッダという女がだんだん物語の調律が思い通りにいかなくなって最終的に自殺する話。この悲劇的結末の描き方がなかなかニクい。ウィキペディアに載っているほど有名な戯曲なので普通に言うが、銃を二丁持っているうちの一丁をレーヴボルクに渡しているのでラストシーンにも銃は存在する。そのもう一丁の銃でヘッダはこめかみを打ち抜き自決する。のだが、遠くで銃の音がするのみで肝心の死シーン(略して死ーン)は舞台上で見せはしない。遠くで銃の音がして、まーたヘッダが銃で遊んでらと思って見にいったらなんかこめかみを撃って死んでいるのだ。

死って残されたものにとっては一大イベントじゃないですか。残されたものって身内だけじゃなくて観客だったり読み手だったりも含まれるが。それをこんなに簡素に書く事で、なんというか死って唐突に訪れる恐怖があるなと感じた。し、彼らはヘッダが死んでもヘッダの死を今後の人生に引きずって生きていく事はないんだろうなという悲しさもなんだか見える気がした。

という一日。

本買ったりします、『不敬発言大全』が今一番気になっています。