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2020.08.29 かさばる未来パターン…。

古本屋に行くとつい、本気で読む気のない本でも買ってしまう。

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ユリイカのダダイズム特集と新しい世界の文学シリーズ「マルコムの遍歴」を買ってしまった。ま、まあ、ダダイズムは好きだし気になるし、新しい世界の文学シリーズはナボコフの「絶望」読んで面白かったから同じシリーズなら面白いと思って…ねぇ……。

本はかさばるのでできれば電子で読みたいって言ってるんですよ。じゃないと積ん読が増える一方で。持ち運べないんですよね、常にカバンがパンパンなので。パンパンではない。
しかし分厚いユリイカとか持ち歩くの嫌じゃないですか?紙束って思いの外重い。

あと、紙は目に反射して眩しいのでサングラスしないと読めないのもつらい。夜の電車の中でいちいちサングラスかけるのって長時間移動じゃないと億劫だと感じてしまう。その点Kindleは良いですよ、いくらでも調節が効くから。

本当に積ん読まみれである。厚めの本ばかり買うのも良くないのだけれど。でも積ん読でも、本棚に並ぶタイトルや背表紙のデザインを見るだけでインスピレーションは湧くのでそこはすごい。まぁ読んだ本であればなおのことなんだろうけれど。

読まなきゃね。反出生主義の本とアイドル雑誌研究の本は本当に読もう。いっそ自炊した方が読むのではないだろうか…。


親。

最近親を思う事が増えた。単に世が世なので心配だし、最近の父や母からの電話によると地元は三日連続三十八度を超えたらしい。茹だるどころではないんじゃあなかろうか。帰省する予定はいつまでも先が見えないままなので、顔を見るのもままならない(父も母も機械に疎いのでビデオ通話ができない)。
それに、大人になってきて親になかなか言いづらい事というのが変化してきた。今までは学校のことや友人の事だったのが、今ではそういう属している社会の話ではなくもっと個人の内情の話になってきている。言うなれば将来のビジョンだとか、結婚…だとか。うーん。

今まで父は私にベッタリで、休日になると必ず二人でドライブをしていたものだ。そんな父から初めて「孫」というワードが出た時、私はもう単に「可愛い我が子」ではいられなくなってしまったのだとひどく落ち込んだのを覚えている。誰かの家の血や遺伝子を半分注いだ人間を製造するのに、本格的に腰を上げねばならない歳になったのだ。
できる事なら一生、父にとっては手放しで可愛い子どもでありたい。しかし孫…孫か…。今のところ自分の中にそういった願望は生まれていないのだが、まだ大丈夫にしろいずれは願望など無くとも子を成さねばならぬ時が来るのかも知れない。

そろそろ、今だけではなく自分には未来もあるのだという事を念頭において生きていかないといけないのかもね。単に将来はもっとこういう事がしたい、とかではなく、将来誰かと結婚するパターンも見据えて生活を意識していく…みたいな。

シケた事考えながら生きていくよか、今を謳歌して気がついたらそうなっていたって感じの生き方をしたいのは山々。


本買ったりします、『不敬発言大全』が今一番気になっています。