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2019.04.22 演じるというイデア

九時に起きた。最近真昼に起きる生活が続いていたから、なんか昼なのに夕方の気分だった。

うさモン。

今日から授業!松本修氏の演技ゼミを受けた。
演劇に抱いている問題意識や疑問についての質問を一人一人したのだが、私は「MVとかの映像に比べ舞台はノーカットで進んでいく分表現に不自由な部分があるが、どうしたら良いのか」みたいな事を聞いた。MVや絵画等はパーツが作品のそこらに落ちていて客が拾って組み立てるが、舞台は物語に落ちているパーツを演者が拾って組み立てて差し出すという捉え方を私はしている。映像はカットがいくつも重なる事でつなぎ目で描かれていない部分を客が想像する余地があるし、カメラで写したいところのみをクローズアップしたり編集で効果を足したりとやりたい放題でなんかずるい。というのを話したら、
「演者はそういうの気にしないでいいよ、メディアの違いだからね」
ハイ。

よく、はじめて古典演劇をする人とかは仰々しい発語をしてしまうらしい。邪智暴虐の王らしい喋り方とか、高貴な夫人の喋り方とか。とか、映像に多く出ている俳優が舞台に立つと舞台用の喋り方をしてしまう、とか。それはなぜか。劇というイデアを演じてしまっているから、と氏は言っていた。
自分の声と自分の体で発語していれば、セリフは嘘でも真実足り得るのだ。なので発語までもを真っ赤な嘘にしないために、現実に即した状況にセリフを置き換えてからだんだんと戯曲に描かれている状況に寄せていく訓練をしたりするらしい。

電信柱の足元にある鳥居。これなんだろう、犬とかがおしっこする時の的?

調べた。あぁ、野ション防止だって。神聖な物を貼れば罪悪感で二度としなくなるだろうという。いや〜もっと直接的にかけたくない物を貼った方がいいんじゃないかしら。かわいいハムスターの写真とか良くない?かわいいから。

お農茶という単語がある事を今日初めて知った。濃いお茶じゃない、お農茶。なんか良い。

本買ったりします、『不敬発言大全』が今一番気になっています。