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2019.08.30 大人情報、逡巡図。

毎朝携帯のアラームで起きているのだけれど、今日は音量をゼロにしたまま寝てしまったようで遅刻してしまった。

遅刻まみれ。


宇宙の話。

広すぎる宇宙ではもちろんどこでも効果なんて当たり前に起こるので結局疑わしい結果にはなってしまうのだが、それにしたってロマンがすごい。

宇宙という規模は1人の人間にとってかなり大きくて、壮大で、思いを馳せても果てがない。私は今までこの宇宙がこの世界で、宇宙ができる前は無であったと思っていた。

ま〜、無じゃないんだろうけどね。0から1が生まれることはほぼないから。

なんか、ただでさえ1人で抱えきれない世界が数十倍なんてもっと途方もない規模になってしまって、エグすぎると思った。


水槽の脳って思考実験があるけれど、脳に認識の規模の拡大をさせるのって処理の問題として、場合によっては結構重くなってしまうんじゃないかしら。

もしも私の脳が水槽の中にあったとしたら、送られている情報はこの瞬間ばかりは膨大になった気がする。

わかんないけどね。宇宙の情報量が膨大だと私が思ったところで、私の脳が実際にその情報量を感じているわけではないから。


よシまるシン氏のニュー図7月号が出た。

こんな8月もあと2日って日に!

傘の中にも雨が降っているのは、芸人界隈の話、傘下である内部の現状を表しているのかなと思ったりしたり。


夜飯、すき家。牛カルビ丼だ!

ネットホームページのメニュー欄には記載がない、一部店舗限定のやつらしい。さっき知りましたけど。

こういうのを意図せず食べた事を知った時の、もっとちゃんと食べとけばよかったな感ってあるよね。


バイト先で、たまにコレ(日記)を読んでくださっている人に「中二病だよね」と言われた。悪い意味ではなく。

人間誰しもぐ〜るぐる考える時期というものはある。当事者である私からしたらかっこつけてなんておらず全く真剣なのだが、その時期をとっくに通り過ぎた人から見れば中二病でかっこつけている子どもを見るみたいにむず痒い気持ちになるのだろう。

私は早くこのフェーズから脱却したい。脱却して、この日記を見返してむず痒くなりたい。それが成長というものだから。

自分の書き記す言葉に酔っているという事は全くなくて、むしろなんでこんな恥ずかしいものを書いているんだという気持ちにさえなりますわよ。

悩みをさらけ出すのは若者の特権的な部分があるが、それにしたってもう青い年頃は過ぎたのだからいい加減大人にならなければいけない。私は子どもぶり過ぎているフシがある。


若さにも種類があって、青年前期と青年後期の若さは明らかに質が違う。周りの環境と言うか、社会と言うか。

学校の中で暮らしているのか営利集団の中で暮らしているのかみたいな事なんだけれど、学生と比べて社会人として立っている方がよっぽど大人と呼べる。

なぜなら年齢に層のある集団内で過ごしている以上学校内で許されてきたものが通用しないことを学んでいるからだ。

でもまぁ大学生とかなら全然青年前期に位置する若さなんだけれど、私は就職経験があるのでストレート大学生よりも多くの荒波を体験しているはずで。

学校生活では得る事の無い経験を摂取してしまっている以上、今学生であったとしても私の若さは青年後期のものなはずなのだ。

ところがどっこい私は自身が18歳の多感な少女だと言うようにふるまってしまう時がある。というかほぼそう。いつまで自分を子どもだと思っているんだろう。もう大人なんだよな、若い大人。


私大人なんですよ。嫌ね。



本買ったりします、『不敬発言大全』が今一番気になっています。