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2019.11.20 身近なアイドルの

めっきり寒くなったなぁ。もう完全なる「冬」が来たでしょ。

コンビニでホットコーヒーを買いたい欲を抑えて早足で道を歩く。ポケットに手を入れて歩きたくないので明日からは手袋をしようかな。マフラーはまだ大丈夫かも。

いやでも、わりとマフラーをしている人を今日は見たな。マフラーもしたほうが良いのかしら。サブアイテムの使い所のわからなさたるや。


ナン。

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家でナンが食べられる日が来た。

カレー屋に行くと必ず「ナンうめーナンだけ食べたいな」と言う。ナンはうまい。トースターで焼くピザが売っているところに売っていたのだが、このナンはわりとポテンシャルが高い気がするなぁ。油が足りないので明日はオリーブオイルを薄く塗ってからトースターで焼こうと思います。

マジでナンだけ食べたいな。


二次元のアイドルの話。

12月30日、品田遊氏がコミケとは関係なく同人誌を出すらしい。架空のアイドルの目撃情報をまとめた本だ。目撃情報は主に氏が開いているディスコードの専用部屋にて集められたものである。

どういう事かと言うと、幻覚を見ているオタクの幻覚が本になったよという話だ。側から見ると完全にヤベー本なのだが、そのヤバさがなかなか面白い。

現実に存在するアイドルはもちろん我々と同じ世界に実体があるので目撃できるし、アイドル自身に完全に自由に行動できる意志がある(できない状況だとしてもそう考える事ができる)。しかし架空のアイドルは我々と同じ世界には実体が無いし、アイドル自身は「キャラクター」であるため自由意志を持たない。なぜならそれは制作者から与えられるもので、制作者の意図によって動かされているだけだからだ。

そんな架空の自由意志を持たない者の行動を、現実世界のしかも制作者ではない人々がまるで自由に行動している瞬間を見たかのように誰かに話す。しかしそれもその架空のアイドルの「キャラクター」を損ねないようにオタクが与えただけで真実でも現実でもない。

架空のアイドルの架空の目撃証言が集まれば集まるほどその架空のアイドルの存在性が強くなる一方で、話している人も聞く人も全員が架空である事を理解しているのでどこまで行ってもその存在性は虚なんだよな。ないものをあると言っているだけなんだから。

全てが架空である事を誰もが知っているこの状況でその同人誌は何を目的として作られているのだろうと考えたが、キャラクターの造形を深めるためなのかな。存在性が強くなればなるほど「そういう場所に行きそう」「そういう事しそう」が高まれば高まるほど、今ある公式でキャラクターが語っている事や行動に厚みが増す。なぜ公式でこの行動を取ったのか?もしかして日頃こういう事をしているからなのか?みたいな。我々の解釈なだけだけれどさ。

あとは「リアルさ」とかかなぁ。全ての者は私が認識していない時間も連続しているが、架空のアイドルは認識していない時間に連続はしていない。しかしその連続していないはずの瞬間を夢想する事で架空のアイドルたちはよりリアルに、我々と身近になっていくのかもしれない。オタくってリアリティあるキャラクター好きでしょ。

積読してるアイドルの本に昔のアイドル雑誌のことが書かれていたけれど、昔のテレビやラジオの音楽番組ってたくさんのアーティストを紹介するために歌ったら次の人歌ったら次の人で目まぐるしくってアーティストのパーソナルをあんまり見られなかったらしい。なのでアイドル雑誌ではインタビューをたくさん載せて、こんな女の子なんですよ、みなさんとあんまり変わらないでしょう?って「身近さ」を押し出そうとやっていたらしい。アイドルは身近であるべきなのかもね。



本買ったりします、『不敬発言大全』が今一番気になっています。