見出し画像

2019.05.23 生きてる舞台人、オシャカフェへ行く

アラームをセットしたので朝起床。(一句)

向かう途中の電車内で飢餓ってくらいの空腹を感じたので急いでコンビニで飯を買う。急ぎすぎてパンに溺れかけた。食道が悲鳴をあげる量を一気に飲み込んでしまうのが原因なんだけど、これは自我が芽生えた頃からそういう食べ方をしてしまうクセなので一生治りません。残無(残念無念)。

日焼け止め買わなきゃ。スプレータイプのを使用しているのだが、サラサラしていいけど室内で吹くと迷惑がすごい。スプレーがブワッてなって私もウワッてなるし、スプレータイプの日焼け止めを室内で付ける時にハッピーな人は誰一人いない。

朝パンを食道悲鳴食べしてしまって食事に関する臓器がバグったので昼はサラダで茶を濁す。

午後、佐藤信氏の演技ゼミ。俳優は舞台上でどう生きるか、という話が出た。しばしば演出に役者が埋もれて魅力が見えない舞台がある。逆にそういう全体としてのパフォーマンスなんかに重きを置く舞台もあるが、そうでないのなら基本的に演出家というのは役者にああしろこうしろと指示するのが仕事ではないのだ。
画一的な演出や舞台美術、照明や音響等全てを排除した何もない舞台の上でさえ俳優が魅力的に見えないのならそれは演出家が役者の伸び伸びとした演技を邪魔してしまっているか、まぁ単に役者が悪いのか。という話。

演じていて、自分自身に演出をつけている(と接していて感じる)役者というのは一定数いる。しかも発想を殺すタイプの演出。私はセリフ一つ一つの感情は戯曲上で定まっていないと思っていて、相手の話し方やその時々の立ち位置なんかで結構変わってくると思っている。だがそれを良しとしない役者もいて、ある程度の言い方なんかは今後の展開を見る限り定まっている派。まぁ流石に矛盾が出たりとかの大きく逸脱した言い方はそりゃ違うけど、それじゃあ対話ができないんじゃないかなぁ…。演劇するロボットみたいじゃない?生きてないよ。本の読み込みとはまた違うところの話なんだよな私がしたいのは。

と言いつつ、他人事のように書いているが私も背を正して考えなければならない。私は自分が可愛いから自分の事を正当化したいが、他人から見れば私はやりにくい相手なのだ。折り合いをつけていきたいね。


HATTIFNATT(ハティフナット)というカフェーでお茶。

オシャ〜。

他人の頼んだタコライスが美味しかった。プラリネラテというアーモンドとヘーゼルナッツのラテと、生チョコを焼いたやつを食べた。ラテには細かく砕いたナッツが入っているので風味たっぷりで美味しい。生チョコを焼いたやつは何も言う事はない、至高さに言語を失ってしまったから。

本当に美味しすぎてなんかのヤバいゲージが溜まってしまう感覚があったので、熱冷ましとしてお冷が本当にありがたかった。喫茶店のお冷、美味しすぎるもののための小休止用説ある。


具、簡略化しすぎ。


本買ったりします、『不敬発言大全』が今一番気になっています。