2020.07.09 昨日のディズニーランドの話。
昨日はディズニーランドで遊び倒し、疲れ切って倒れるように寝た。
朝起きたら電気も冷房もつけっぱなしでコリャ相当だなとちょっと心配になったが、日記を少しでも書いていたのは偉いと感心した。
今日は昨日の日記を書くわよ。
状況が状況なので人がぜんぜんおらず、こんなにガラガラのディズニーランドなんて岡山のチボリ公園(もう閉園してる)かよと思った。場所によっては本当に誰もいないゾーンがあって、雨も相まってもの悲しささえ感じたほどだ。
しかし状況が状況なのでキャストの数は多く、なんか客よりキャストが多くてちょっと笑っちゃったりもした。あと写真を撮るとき人があまり映り込まないので、写真撮りやすいんじゃないかな。
でも私は人がたくさんいる方が好きだ。
アトラクションの待ち時間が全くなかった。一番待ったのが清掃待ちの五分。待ち時間十五分とあるアトラクションも、待ち時間というより入り口から乗車までの道のりをゆっくり歩いている時間のことを言っているんじゃないか?と疑ってしまうくらいノンストップでバンバン乗れたのですごい。ランド三大マウンテンに合計で六回乗ったが?合計六回乗ったし他のアトラクションもほぼ乗ったが?
ビッグサンダー・マウンテン。
河合の各マウンテン絶叫集。
スプラッシュ・マウンテン
「風呂かい!」
「襟がビチャビチャ」
ビッグサンダー・マウンテン
「なんで水があるんだよ、お前スプラッシュ・マウンテンじゃないだろ!」
「(めしが)出ちゃう!出ない!」
「ここを墓場にしてくれーッ!」
スペース・マウンテン
「何もわからないしここがどこかわからないし下が奇麗」
「行け行け行け!勝て勝て!」
「ここ好きぃ〜〜〜!」
ビッグサンダー・マウンテンの裏にいるおじいさん。
「うるさいぞい」
一緒に行ったディズニーオタクの人が「骨の髄まで味わいましたね」と言っていたのでマジで乗りつくしたんだと思う。フィルハーマジックだけ行けなかったのが惜しい。
そういや初めてイッツアスモールワールドを体験した。
何か元の映画があるのだとばかり思っていたのだけれど、アトラクション先行の絵本化らしいですね。
以下写真。
リニューアル前よりもシーリングが増えて顔の照明が良くなったらしいけれど、なんか怖い写真ばっか撮れて嫌だった。
しかしそれはそれとして世界感がとても良い。子どもたちしかいないのも良い。やっぱ子どもに幻想を抱いてしまうんだよな。
無知ゆえの無垢というか、人生経験が少ないので大人たちが見ている「嫌なところ」を知らないというのが大きい。しかしそれは同時に大人たちが見ている「良いところ」も知らない可能性は大きくて、道行くベイビーたちを見ていると子どもの見ている世界って狭いんだなとしみじみ思うものだ。
イッツアスモールワールドって「小さな世界」という意味だけれど、そういう事なのか?
ダンボ。
猫。
島流しレストランで食事をした。カリブの海賊のところのやつです。客が出港するところを横目に食事ができる。
夜をモチーフとしているので暗く、幻想的だがめしの写真が何がなんだかわからん感じになってしまった。ローストビーフです。
あとはまぁミッキーたちの挨拶を見たりしました。ちょっと泣いた。
代表的なキャラクターが、挨拶だけでもとかなり簡素な乗り物でサーッと通るだけのものだった。音楽が流れる中我々に手を振り、キメのところでポーズを数回取る。そしてまた手を振る。こんなに質素なのにやはり巨大ブランドの顔というプライドはあって、客一人一人にきちんと手を振り気持ちを届けてくれている様子は本当に涙が出そうなくらい素晴らしいものだったしキメのポージングのダンスはキレキレでかっこよかった。
ディズニーランドのアトラクションってぜんぜんミッキーがいない。ミッキーメインはフィルハーだけで、ライド型は海外にあるがそれも今年の3月まで作られていなかったらしい。それでも彼はディズニーランドのメインで、ランドの街中やおみやげ、アトラクションの隠し要素なんかで一番顔が出ている。
パークのそこらじゅうにいるのに会いに行こうとしても気軽には会えなくて、けれどショーやグリーティングで決まった時間になら会える。
なんだかアイドルみたいだなと思った。
70年代のアイドル史しか知らないのでアレだが、アイドルって人間らしさを出して我々と同じだという身近さを演出している。まぁ実際同じなのだが、じゃあなぜ身近さを出さなければならないのかというと「テレビの中(舞台の上)という手の届かない場所で歌って踊っている」からだ。歌って踊るのはエンターテインメントで、その行為は日常ではない。しかしアイドルの一番目にする姿はエンターテインメントをしているシーンなので、どこか遠くの人として感じてしまう。
ミッキーは色々な作品でドジやったり焦ったり、コミカルではあるが感情の動きがある。しかしディズニーランドでのショーやグリーティングのミッキーは舞台の上で踊る表情の固定された着ぐるみであり、至って日常とは離れている。
そのぶん彼は動きで巧みに感情を表し、顔の動きで表情を伝える。ツイッターとかでたまに見かけるミッキーのグリの動画ってすごいんですよ、なんて言ってるかなんとなくわかるもの。それに加えてパーク内の隠れミッキーやらグッズやらでたくさん顔を出し、物理的に身近になっている。
しかしね…なんか、さっきまでは身近だったのに挨拶として簡素な乗り物と音楽に合わせてミッキーが来た途端「あ、そうか、遠いのか」と思ってしまった。どちらを本当として見れば良いのだろう。
アイドルであれば身近である姿が本当で舞台の上ではいつもと違う姿なのだけれど、ミッキーはな…グッズとして、ショーとして、そういうキャラクターとして作られているので……。
今日のめしはサイゼリヤのスープだよ。
確かドーバーみたいな名前だった気がする。海峡かな?
本買ったりします、『不敬発言大全』が今一番気になっています。