見出し画像

自殺願望と翌日のライヴ


その前日は1日中バイトで恵方巻きを巻いていて疲れた。疲れはここ最近のメンタルを刺激して、17時くらいから死にたくてたまらなかった。夜になるとダメなんだ、私は。

あれだけ楽しみにしてたライブも、高橋優に会うことも、仙台観光も全部やりたくなくてとにかく1日家にいたかった。課題も終わらないし、レポートも何書いたらいいか分からないし、明後日から集中講義も始まる。死んだらこれらをしなくていいんだ、と極端な考えに走る。
ここ最近ずっとダメだから楽しむことにも罪悪感があった。チケット代はとっくに払ったし高い交通費も払ったしホテルも取った。お金も貯めた。でも、明日ではない気がして。行きたくなかった。

弱音はインターネットに書くに留めてたけど我慢できなくて親に「明日のライブ行かないかもしれない。家にいるかも」と告げたら『あんなに楽しみにしてたのにねぇ。行けばいいのに』って言われた。親、優しいと思う。けど私の調子が悪すぎて『悲劇のヒロインぶってんじゃねぇカス』と言われてる気がした。とんでもない被害妄想である。涙が出たので自分の部屋に戻った。

1ヶ月前まで長い間、泣き方も分からなくなるくらい泣いていなかったのに1月になってからずっと涙が出る。その日は特に酷くて声をあげて泣いた。自分の声じゃないくらい泣いた。それが気持ち悪くてもっと泣いた。周りにいたはずのものが全部なくなって寂しかった。甘えてばかりです。動けない。悲しい。ごめんなさいって思いながら泣いた。

泣いたらスッキリするなんて、僕の死にたみはそんなもんじゃねぇと思っていたがだいぶマシになった。ダセェ。でも確実に明日はまぶたが浮腫む。高橋優に会うのに。だから湯船に長い間入ってむくみ取りの漢方をオーバードーズ(今風の言い方)して眠りについた。

起きて鏡を見ると、運良く二重のままだった。いつもの3倍時間をかけて化粧して、仙台に向かった。前日の号泣のせいで声がガッスガスだった。仙台ではハート目のドキンちゃんパン(バレンタイン限定のやつ)とコキンちゃんパンを食べ、お散歩した。途中で大学からメールが届いて吐きそうだった。たくさん歩いてたくさん食べて、ライブ会場へ行った。

その日の優くんは声が枯れていた。私も声が枯れていたのでおそろいで嬉しかった。ギターの弦は2回切れた。私が昨日壊れちゃったのと同じみたいで嬉しかった。私の手首が切れたのとおそろいだった。終わりの時には鼻が赤くなってた。私の髪の毛みたいで嬉しかった。

孤独じゃないって歌ってたり孤独だねって歌ってたり、明日はいい日だねって歌ってたり明日への希望が持てないって歌ったり、沢山の感情を歌にして肯定してくれる優くん。多面体の私を、そのままでいいよって歌ってくれてる気がした。

私は『友へ』という曲で肩を震わせて泣いた。声を出したら迷惑になってしまうから我慢したけど、隣の人には泣き声が聞こえたかもしれない。

悲しみに耽って 泣きじゃくるもいい
気がするまで 隣で待ってるから
肩の力抜いて 深く呼吸して
自分を責めることだけはしないで

涙はずっと出てたけど、特にここが耐えられなかった。ずっと1人で泣いて1人で回復しないとダメだったから、私に味方なんていないし、居ても邪魔だなんて思うくらいだった。でも泣いてる隣で待ってるイマジナリー高橋が私の味方だ。
私みたいなのがこの優しさに甘えていいのか。この優しさに救われていいのか。救われてごめんなさいって思いながら、思う存分救われた。私に対しての詩じゃないって思いつつも、やっぱりこれは私が救われるためにできた曲なんじゃないかなんて痛いことを思った。

曲を描いた高橋優を曲の中から消して残されたものを自分のものにするなんて卑怯で下品でこれをしている自分が嫌になるけど、でも、私はこれがないと死んでしまう。もういつ死ぬか分からないくらいスーサイドラインでグラついているんだ。

今までで1番ぼろぼろな状態で高橋優に会いに行った日は、私が見た中で1番必死に歌ってくれた高橋優を見た日にもなった。本当に行ってよかった。次会う時までなんとか生き延ばそうと思う。

戦争が始まっても、大きな病気になっても、高橋優が笑ってくれていたら私は幸せだ。
逆に高橋優が笑い方を忘れてしまったら、それは戦争より悲惨なことだ。
どうかいつまでも高橋優が幸せでいてくれますように。いつまでも大丈夫でありますように


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?