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自分史書いてみた。2

こんにちは!可愛げがある、もにこです。

先週から「もにこの自分史」をお話しています。
今週も、どうぞお付き合いください。

まだ、先週分を読んでいない方は「自分史書いてみた。1」から読むと流れが分かりやすいかも…(?)

なんの問題もなく(ハプニングはあったけど笑)産まれた、私。
1歳頃に脊髄性筋萎縮症(以下、SMA)という診断がおりるも、当時本人は特に何の自覚もなかった、私。
病気がわかってから、障害児の通園施設に通うようになったけど超絶ママっ子だった、私。

今日はその続き…地域の幼稚園に通うことになった経緯からお話していきます。

物足りなさを感じてる…?

障害児の通園施設に通い続けていたある日、母があることに気づきます。
それは“もにこが暇そうにしている”ということ。

母曰く、大きくなり知能が発達するにつれて、暇そうにしていることが増えた、と。
たまに冷めた目をするようになった、と。

私は、そんなこと全く覚えてないし、通園施設に通っていて“つまらない”なんて思ったことないような気がするんだけども…
娘の表情の微妙な変化に気づく母親って、すごいですね。

そこで母は「この子は、このままここにいたらダメなんじゃないか」と感じたようで、地域の幼稚園に通わせたいと動きはじめます。

ですが、その思いを、通園施設の先生でさえも中々分かってもらえなかったみたいです。(理解してくれる先生もいましたが…)
「この子には、そんな健常者と同じ幼稚園に行くなんて無理だよ」
大抵の人に「無理だ」「厳しい」と言われ、それが悔しくて堪らなかったと母は話していました。

その通園施設では年に数えるほど、地域の幼稚園との交流会がありました。
通園施設に通う障害児と、その幼稚園に通う園児と一緒に遊ぶ機会があったんです。

通園施設の先生にしたら、その交流会で充分でしょ?という考えだったのでしょう。
そんな無理に幼稚園に通わせなくても…みたいな。

母が私に「幼稚園に行きたい?」と尋ねた記憶が私の中にまだあって。
その質問に自分が何て答えたのかは、ハッキリ覚えてないんですが…笑
“もっと色んなお友達と、遊んだりお喋りしたりしたい。だから幼稚園に行きたい。”という気持ちがあったことは覚えています。

私を地域の幼稚園に通わせるために、両親がすごい頑張って動いてくれたのでしょう。
どんな苦労があったのか、私は全く知らないんですが…嫌な言葉を言われることもあったんじゃないかな…と、何となく感じています。

両親の努力のおかげで、私を受け入れてくれる幼稚園を見つけ、私は通園施設を中退しました。

この時期の武勇伝(?)
人生で、最初で最後の“中退”を経験

念願の幼稚園児に!

2年保育の幼稚園に無事入園し、晴れて園児になりました。笑

普通のことかもしれないけど、ここまでくるのには一筋縄ではいかなかったわけだから…ね。

入園式のこととか、覚えていたら良かったんだけど、全く覚えていません。笑
ただ、たくさんお友達を作るんだ!とワクワクしていたような気がします。

今までは、母離れができませんでしたが、
「たくさんお友達いるし!」
「お友達だって、ママと離れてるし!」
と何の問題もなくスムーズに母と離れることができました。
成長したでしょ?笑

幼稚園では、手動の車椅子に乗り、介助員の先生に身の回りのサポートをしてもらいながら過ごしていました。

あ、ここで、車椅子デビューです!
それまでずっと赤ちゃんの頃から使っていたベビーカーを使っていたんです。笑

幼稚園での自由遊びの時間は、クラスの友達と好きなように遊んでいました。
ごっこ遊びや、工作や、ダンゴムシ収集や、草や花を使って、それはそれは自由奔放に遊んでいました。
(収集した大量のダンゴムシを家に持って帰って、母にドン引きされたことも…)

自由遊びの時間だけでなく、お絵描きの時間、お歌の時間、お掃除の時間等々、私はみんなと同じように同じことをしたいという気持ちが常にあったように思います。

これは、最近知った話なんですけど…

私は今まで、親から“障害(体調を含め)”を理由にして自分の行動に制限をかけられたことってないんです。
「危ないから」「しんどくなるから」「体調崩すから」って、親からストップかけられることがあっても不思議なことではないと思うんです。

でも、実際そういうことを親から言われたことがなかったので…
親に「なんで(ストップかけないの)?」と聞いたんですね。

すると、意外な答えが返ってきました。

「いや、なんでって、あんたが言うたんよ。どのタイミングで言うたか忘れたけど…幼稚園ぐらいの時に“しんどくなっても、風邪をひいてもいいから、私はみんなと同じことがしたいんや”って…だからやで。」

この子にとっては、自分がやりたいことをやることが何よりも(体調とか病気のこと関係なく)、優先してることなんだな…じゃあ、それができるようにサポートをしよう、と母は思ったみたいです。

そんなこと言うた記憶なかったけど、幼い私グッジョブ。
私は「やりたいことは、やる!」というスタイルで生きてきたけど、この精神って私が小さい頃から変わってないんだ、という驚き。

というか、私の言葉をきちんと聞いて受け止めてくれた親が有難いです。

そんな感じで、幼稚園時代は伸び伸びと好き勝手に自由に遊んでいました。

この時期の武勇伝(?)
なんでもやりたい!みんなと一緒に同じように遊びたい!精神ですが、唯一“泥遊び”だけ……
たった一度しかしなかった。
(汚れるのが嫌いだったんです…)


来週は、小学校入学から書いていきます!

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

可愛げがある、もにこ。

p.s 本日のお写真は、幼稚園でのお遊戯会での一枚です。車椅子を友だちに押してもらいながら、蝶々役をしました。

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