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自分史書いてみた。1

こんにちは!可愛げがある、もにこです!

私はTwitterで、noteにどんな記事を書いて欲しいかのアンケートをとることがあります。
今回のアンケートでは「自分史」と「恋愛話」の票が多かったので、今月は「自分史」来月に「恋愛話」を投稿していこうと思います。

ということで…
今月のテーマは「もにこの自分史」

今日は、私の出生〜乳幼児期について話をしていきたいと思います。

頭でっかちorテナガザル

母のお腹にいる時は、何の問題もなく、すくすくと成長しておりました、ベイビーもにこ。

なんと、すくすく成長しすぎたらしく、お医者さんに「この子巨大児だ!早く産まないとえらいことなるよ!4000g超えだよ!」と巨大児宣告。

母曰く、私の出産は無理矢理だったそうな…
母曰く、お腹の上にガンガン乗られてマジしんどかったそうな…(なんかごめん、母よ…)
で、産まれてきたのは3165gの赤ちゃん。
母も、医者も、あれ?なんか想像と違う…となったそうで。

頭の大きさとか、腕や脚の長さから体重を割り出すようですが、頭が大きかったのか…テナガザルだったのか…。
ちなみに、頭が大きいのは今も変わりません。

この時期の武勇伝(?)
まさかの巨大児宣告

巨大児宣告からの余命宣告

私の脊髄性筋萎縮症(以下 SMA)という病気がわかったのは1歳頃。

産まれて6ヶ月頃までは普通に問題なく発達していたみたいです。
両親が違和感を感じ始めたのは半年過ぎたぐらい。

病院を受診しても何の病気かはすぐには分からなかったようです。挙げ句の果てに「この子20歳なるまでに死ぬよ」なんて余命宣告されたり…。

病院や医者を変え、ようやく1歳頃にSMAの診断がおりたそうな。

SMAって障害が分かるまで、そんな長い時間かかってないように見えるけど、親にしたら何も分からない状態で(余命宣告もされるし)、苦しくて不安な長い時間だったんだろうな…って思います。

この時期の武勇伝(?)
・お風呂の中でよくウ○コをしていた。
・寝転んでウ○コをしては、ウ○コがお尻につっかえて寝返りができなくなり、よく泣いていた。

※お食事中の読者のみなさま、ごめんなさい。

ママのくっつき虫 もにこ

SMAと障害が分かってから、障害児が親子で通うような通園施設に母と通い始めました。

こういう通園施設って、障害児の療育はもちろんだけど、親に、親の時間を持ってもらうことも目的にしてると思うんです。
だから、親子通園していても、子と親が離れて別々の部屋で過ごす時間もあるし、年齢が上がれば子どもだけで通園する日もありました。

はい、そこで問題(というほど問題ではないけど)が起こります。
もにこ、母離れができない笑

母親と離れる時間になると、泣き叫ぶもにこ。
先生も母も、さぞかし困ったでしょうね。
みんな、親の付き添い無しで先生と一緒にいるのに、私だけ母が隣にいました。

この頃から、うっすら私の記憶にも残ってます。
はい、ただママと離れたくなかったんです笑 
なんで離れないといけないのか、分からなかったんです。

母は、周りの子はみんな出来てるのに、うちの子だけ泣き叫ぶし、ママいないとダメだし、当時は悩んだらしい…。

いや、でもさ?
これ、まだ2歳とかの話よ?
そりゃ、ママと離れるとなったら泣くでしょ。笑

それから、この通園施設には色んな障害を持つ子がいました。 
できることも、できないこともみんなバラバラで、食事の仕方、コミュニケーションの取り方、好きなもの、何もかもが違っていました。

当時の私は、ママさえ隣にいれば良いという感じで、周りの子達に対して特に何も思っていなかったような…。

でも、この時の出会いは今の私に繋がっています。

この時出会ったお母さん達には、私が大きくなってから、たくさん助けてもらっています。
私が困っていると、快く手を貸してくれて、
有益な情報は、出し惜しみなく教えてくれます。

それが本当に有難い。
そのお母さん達からは、学ばせてもらうことが本当に多いです。

当時の同級生には、意思疎通、コミュニケーションをとることが難しい子もいました。

相手が私のことを認知しているのか、私のことをどう思っているのかは分からないけど、
私は彼、彼女達のことを友だちだと思っています。(一方的かもしれないけど笑)

名前を呼び合ったこととか、言葉を交わしたことはなくて、ただその幼かった時期を一緒に過ごしただけなんですけども。

彼、彼女達が、こちらの言葉を理解しているかは微妙だし、それに対して何か返答があるわけではないけど「無」ではないと、そのお母さん達の言動から学ばせてもらいました。

ただ表現する、表に出すことがないだけであって、私たちと同じように「心がある」んだなって。

だから、向こうから返事がなくても、挨拶をするし、名前を呼ぶし、言いたいことがある時は話しかける。
それで良いんだと学べたのは、当時の経験おかげかなと思います。

障害児の通園施設に通い続けていましたが、私はこの通園施設を中退します笑

通園施設の中退の経緯、その後のことについてはまた来週お話します。

この時期の武勇伝(?)
・事あるごとに「ママいいー!(ママが良い)」とママを指名(パパよりママ)
・「私、ママと結婚する!」発言


ここまで長くなりましたが…
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

可愛げがある、もにこ。

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