慣れりゃ誰にでもすぐにできるものだ(4ツイート分くらい)

 寿司が回転してるのではない、寿司の載った皿を店内で回転させているのだそれが回転寿司だ。レトロニムとしての「回らない寿司」屋は一般飲食業の中からは今後消えていくだろう。寿司なんて生魚の切り身を酢飯に載せただけの食べ物だ十数年の熟練技術などまず不要なのが回転寿司大盛況の証拠だこれ以上の証拠はない。残るとしたら、「自分だけ選ばれた特別な人間」とバカに勘違いさせるレベルの「会員制」とか「招待制」とか、しかも、価格がバカ高いほどその勘違いバカは喜んで金を払うのでそのレベルでだけ回らない寿司屋は生き残るのだろう。個人的には「あれは炭水化物の分量が多すぎるお勧めしない食べ物」なのでみんな食わなくなりゃいいのにと思うが、他人の健康なのでどうでもいい。食いたいやつはたらふく食ってぶくぶく太っていけばいい。(重要単語は「熟練技術」
 テレビ経由でくらいしかそんな情報を見てないのできっとテレビだろうと思うが、その技術をほめたたえる系の番組の切り出し方に「この寿司職人、一握りの米粒の数が同じ!計量してもいないのに!」があった。ご丁寧に握ったシャリを分解して米粒を並べている。誤差1粒か2粒。

 仕事柄しかたなくなのだけど、私は学生にプリントを配布する機会が多かった。ただ以下のことも何十年続けてきたから、ではなくて、はじめた初期にすぐ身についた。親指と人差し指ではさんだ紙の枚数がほぼわかる。10枚なら10枚、誤差の1枚の多さ少なさもない。何回かのそれですぐわかる。誰にでもできる。似たようなことは各ジャンル各分野できっとあるんだろう。ただの売油翁(←知らん方はクリックするといい。確か高校あたりの教科書に採録されている)的技術。さっきの寿司の米粒の数も同じ。手はそのくらい微妙な感覚がすぐにわかるものだ。な、熟練技術でもなんでもないだろう。慣れりゃ誰にでもすぐにできるものだ。
 
 味噌がなくなったので、ネットスーパー経由で知らん味噌を買うた。味噌にも硬いゆるいがあって、お湯の分量はその味噌ごとに違う。さっき初回のそれを作った。作りながら上記を思い出した。紙の枚数などもう私には不要の熟練技術なのだなあと思いながら味噌汁を飲んだ。


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