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「なんで食べてんだろ俺」

私はカワイ一族の最初の孫だった。曾祖母あたりからたいそうかわいがられた。私が7歳か8歳の時に亡くなった。80歳。熱心な日蓮宗。ウチワのような太鼓もあった。経文も暗記していた。そばにいる私もその経文を覚えて披露したことがある。これが「門前の小僧習わぬ経を読む」の出どころである。諺もカワイから作られている。創造主じゃないのかと思うことがある。こんな妄想をしながら夕となり朝となる。七日目でもないのに毎日お休みになっている。
曾祖母のはっきりした記憶を持っている人間は、現在、この世で4人ほどいて、その中の3人はもうすぐ曾祖母と同じ場所へ行く。その3人がいなくなれば曾祖母のことを知っているのはこの世で私一人になる。最後の私が老衰で(←ここ大事)この世を去った時に、観念上の曾祖母もこの世から消滅する。確か似たようなことはすでに中国の学者がなんか書いてる。すぐ出てこない。
ともあれ、曾祖母がこの世からきれいさっぱり消えるのが私の意識の消滅と同時。
私が老衰で(←ここ大事。二回目)死んだあと、私のことを記憶に残している一番若いのはこの前まで教えてたところの学生と姪くらいだが、この際、その代表として姪にしておくけど、その姪が、順当にいけばこの世を去る数十年後に私はこの世からきれいさっぱり消える。
消えるなあ、と思いながら夕食を食べた。なんで食べてんだろ、っていう感じだった。イデオン発動篇の最後か!


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