私にあと100年の余命があって老眼がなければ
父の思い出や母の思い出を何度となくここにかいているのだけど、私としては一番大切な父や母の思い出や、あの時の父母はこういう気分だったのか同じような年齢になって今わかったぞみたいな個人的にかなり重要な部分はまだ書いていないきっと今後も書かない書くつもりもない。それらの多くは私だけが思い出して楽しむための記憶であって、弟にも妹にも伝えないし、まして他人なんかに伝えるのなどもったいなくてしょうがない。私だけがそれを楽しむ。
というのを、さっきお絵描きの練習の模写をしながら思い出して(その行為とは直接関係はない)、ああ、あの当時の母はこんな気分だったのか、いま生きていれば伝えたいし、伝えたところで母はクイズ番組で解答者から正答を聞いた時の児玉清のように「その通り!」っていうかどうかもわかんないし、それほどの重みでそんな行為をしてたのかどうかももう確認もできないし、もしかすると「そうかい?なんにもその時は考えてなかったわwww」かもしれない(たぶんそっちの確率が高い)のだけど、確実に、この年齢になって「ああそうだったのか」というのがわかったような気がするし、確認しようもないので、この「わかったような気」を正解とする。そうかそういう気分で母はあれをやっていたのか。
本題。
上記模写をしていると、徐々に、すごく徐々に、一か月前よりはうまくなったような気がする。でも始めたばかりなので、上手下手でいえばまだまだかなりのヘタクソの部類なのだけど、ヘタクソもヘタクソなりにほんの少しは訓練してれば上達するものだなあと感心した。私にあと100年の余命があって老眼がなければ、すごい人になってるのになあと一瞬思ったのだけど、いいや違うわ、残り100年の余命の90年分くらいは大嫌いなやつをパソコンの前で罵倒してるわ。すごい人になれないわ。
これ、どういうことかというと、今まで生きてて、一番ハードで忙しかった時に一番勉強してる。余裕が出来てた時代はさほど勉強してない。だからきっと余命100年あって潤沢な生活資金があったところで、きっとそうなるんだろうな、と思った。
あの忙しく動いていた時に、よくあんな量の勉強してたものだな、立派なもんだわ若い時の自分。