あと400年生きたい。(加筆修正あり)

 集団教育を最初に受けたのがたしか4歳の幼稚園だったと思うが、そこで名を知った仲良くなったいつも遊んでいた人らの名前はほぼ覚えておらず、小学校入学でその人間関係は断絶してるなあと思い出しながら、ああ、たった一人だけ、それほど仲がいいわけでもなかった当然悪いわけでもない、普通の知り合いレベルの幼稚園時代の同級生の川上君をみかけたのは確か高校の通学時の地下鉄の中で、幼稚園児時代の面影はたしかにあったその川上君にだ、「やあひさしぶりオナヨウ(同じ幼稚園、の意。いま私がとっさに造語した流行れ)のカワイだよ元気そうだな」などと声はかけないじゃないかなぜなら私とはもう無関係の人だからだ他人だからだ。
 小学校は6年間もあり、途中クラス替えなど行われ、いろいろ入り混じったまま同じ学年ならだいたい知り合い、くらいになったが、そこも中学入学でその人間関係は断絶する。たまに同じ学区でオナショー(同じ小学校卒業生の意、こっちはまだ使われてそうだ検索して確認はしない面倒だから)の同級生が中学にもいたがそこでまた新たな人間関係が構築され、私の場合は三年間、学習塾という別の世界も持っていたのでそっちの人間関係も出来上がるが、ここらは高校受験で一気になくなる。同様に大学入学で高校での人間関係がなくなる。ここらあたりまでだと一般にはまだ付き合いの残ってる方がいるのだろうが、私には特にない。(長いだろうもうすぐ終わるので我慢してください)

 父が死んだ時の話になるが、それまでの父はもう持病もあって早めに会社を辞め、好き勝手に過ごしていた。仕事上の付き合いの人らの人間関係は徐々に薄くなっていった。あと父の年齢的にこの世にいない率も高くなっていった。最後は認知症のようになったままあっちにいった。葬儀は私ら兄弟のみで行った。父の兄弟も通夜にはきたが火葬までは来なくてよいと断った。父の人間関係はほぼゼロであっちにいった。

 大学時代の仲のよかった今でも交流のあるのが数人、声をかけて集まるのがその他数人。高校時代のそれ、中学時代のそれ、にはほぼ興味もないので基本見ず知らずの他人と同じ。小学生時代のもっとも記憶に残る親しい友人は十数年前事故死しているのでそちらでの人間関係もない。

 たかがネットでSNSで見かけただけの人らだ。そこに上記学校レベルの知り合い感情くらいしかない。先日、イスラエルが勝てばいい、よく知らないけど、と書き込んだバカとそれを全肯定したバカの名前は忘れない。そして、それに関係なく「俺の知り合いに文句つけた許せねえ」レベルのバカが山ほどいたのも忘れない。お前ら全員、今後の私の人生に不要な連中。気に入らなければ不要ならば見えなくする関係を断つ私には今後不要だから。必要な人は別に取っておいてある。幸運なことに向こうも私が必要なようだ。ありがたい。その数人でいい。その数人のネットの人間関係だっていつなんかで断絶するかもわからない。

 別にいまのSNSの知り合いがばらけてもいいじゃない集団移住しなくてもいいじゃないのwwwきっと私はこれ以上の人間関係を増やすことを望まない。

 でも安心、私は一人で大学食堂で食べれる人(私は一人で食べたいのに、わたしを見つけて大学同級生がテーブルで埋まってしまうことの方が多かった)で、一人でトイレに行ける人。こうやって、自分用の読み物を自分で書く人。

 もうすぐおわる。

 先日、流れてくる投稿を読んでる時間より、自分の投稿と自分のnoteを読んでる時間の方が長かった。自分への読み物の役割は十分だ。そして部屋には読まなきゃならない古典がいっぱいだCDがいっぱいだ。あと400年分くらいはある。あと400年生きたい。

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