通夜会場で私が躍ったくらいだぞ気にするな。父は病院で文字通りの孤独死をした

 父が死ぬ前には入院先の医師に呼ばれた。この数字であればいつ死んでもおかしくないが、それが30分後なのか半年先なのかはわからないが、二年先ということはない、のような話をした。
 たしかその危篤一回目は秋の雨の日だったが持ち直した。危篤二回目というより、そのまま瞬時に心停止でもしたんだろう。私が病院に到着した時はすでにあの世の人であった。そこからいろいろ手配をし、以下となる。

 父が、もう体がかったるい。病気もあるし、仕事は全部やめよう、あとはだらだら家で過ごそう、になったのがたしかこの十数年前なので、父は六十歳前後で全部の仕事を辞めている。ボケの症状が出始めたのは七十二歳くらい。好きに動いていろいろできたのはその前の十何年かだけ。ここらのことは私の腑に落とし込んである内容なので妙にしんみりしなくていいぞ。だって通夜会場で私が躍ったくらいだぞ気にするな。父は病院で文字通りの孤独死をした。孤独じゃない死など心中や戦争など特殊状況下にしか起こらないのに、孤独死を問題にするバカがいまだにいるが、誰かに見守られながら死にたいのかお前www学校や仕事場の食堂で一人で食べられない感じのやつかwww中学時代声をかけながら一緒にトイレに行ってたバカどもかと罵倒は限りなく続くので一旦やめる。

 相続手続きを自分でやり、火葬には私と弟妹と姪だけが参加し、そりゃ十数年前に仕事関係をやめて、細々とは知り合いと連絡でもとってただろうが、大勢来るような葬儀でもない。宗教的腐臭を取り払った通夜会場と火葬は理想的なものであった。
 書いておかないと父の死んだ日と父の死んだ年齢を忘れてしまうので記す。
 

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