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識字率女子vsコンセンサス女、富国強兵女子決定戦

明治維新以降の識字率の向上は、
日本人の価値観を一致させ強力な大日本帝国という国家建設を成就させた。
表意文字である日本語は文字による刷り込み効果が極めて強く、価値観を一致させるのにもってこいだからだ。

例えば、
「好き」という単語。

好きとは何か?
「好き」とは「女」の「子」である、、
と文字が光の速さをもって目に教えてくれるのだ。

古の教えが、検索エンジンを使わずともわかる。
これが日本語のすごいヤバさ。

他にも日本語による価値観一致例は枚挙にいとまがない。


あ、、
あん?

なんだと??

リンクに飛ぶのがめんどいから、
ドラゴンボールに例えた級の具体例を示せ、、だと???

・・・
・・

「女」という文字を見てほしいっ。



「女」という文字をまじまじとよく見るのだっっ。



「女」



これはアレだ。

どう考えても、
アレに違いがない。



・・・
・・




「アレ」だといっとろおが。。



、ということだ。


テレビ新聞メディアや池上彰を使わなくとも、
「アレ」だけで概念や価値観を一致させ洗脳させられている。
いわゆる国民皆阿吽ヌレヌレウェット状態。
コレが日本語の卓抜したところなのだ。


価値観の一致こそが富国強兵の下地


筆者の研究によれば、
強力な国家をつくるためには2つの下地が必要だ。

1つ目が富と権力の分離。
2つ目が価値観の一致。

この2つが富国強兵の二大源泉である。
富と権力の分離刀狩りによる富国については、下のリンク記事を参照して欲しいっ。


さあ、富と権力の分離によって国富が拡大する理路は既に述べた。
では、価値観の一致による富国強兵についての説明に入ろうではないか。

価値観や概念が一致しない状況というのは、国内で諍いいさかいが絶えない。
「好き」」という同じ言葉を使っていても、それが指す意味合いが異なっていては公共の秩序が保てない。
「女」という同じ言葉を使っていても、それが指す意味合いが異なっていては公共トイレの秩序が保てないからだ。
価値観の一致がなければ国内が諍いだらけで、一致団結できない。
つまり、価値観の一致がなければ国家は外部進出どころではない。

(これを裏返せば、欧州列強が植民地にした地域で言語を複数残した理由がよくわかるっ)

すなわち強力な国家を作るためには、価値観の一致が不可欠なのだ。



価値観の刷り込み 文字か?カミか?


価値観を一致させる有力な方法論は2つしかない。
1つが文字による洗脳。
1つがカミの指示宗教による洗脳。

文字によって人々に同じ価値観を刷り込んで、共同体に秩序をもたらす。
これが王道だ。
だが、なんらかのアクシデントによって文字狩りなどがなされ、文字から意味が奪われ、
表意文字から表音文字にダウングレードした場合。
仕方なく宗教洗脳による価値観の一致という方法論がとられるのだ。


例えば、欧米。
欧米ではアルファベットなどの意味を含有しない表音文字を使っている。
だから文字による価値観一致効果はなく、文字だけで秩序を保つことができない。
そこでカミの指示による価値観一致と秩序構築が必要になった。
だから欧米にはキリスト教という強力な宗教が君臨しているのだ。



日本の場合、
わざわざカミなんぞに頼らなくとも、文字で秩序が保たれている。
だから、日本人は無宗教だと言われても静かに微笑んでいられるのだ😉





なぜ日本は列強に追いつけたのか?


日本は1870年の開国から凄まじい成長を見せる。
1906年には欧州最強()のバルティック艦隊を日本海にほふみりさった。

わずか30年で大和の国はニコライ二世を押しのけ列強の仲間入りを果たしたのだ。


なぜ、大和の国はこんなにも急激に強力になったのだろうか?


その1つ目の理由は、「富と権力の分離」刀狩りがなされた唯一にして無二な共同体だったということ。
2つ目の理由が「日本語の奥深さと驚異的な識字率の向上」だ。



識字率向上と価値観一致、その相互互恵関係


識字率とはある共同体における文字を扱える人口比率のこと。
日本では明治維新以後、驚異的な勢いで識字率が向上していった。
この識字率の向上は「大日本帝国が教育にコレでもかと力を入れたからだ」という文脈で語られがちだ。
だが、これは間違いとまでは言わないが優等生による模範解答の域を出ない。

例えば、読者諸賢は学校の英語の授業を楽しいと思ったことがあるだろうか?

ないはずだ。

勉強というのは基本的に苦行である。
あんなもん、はっきり言ってどうかしてる。

「学ぶは楽しむにしかず、楽しむは好むに如かず」と孔子がのたまわっている。
学ぶより楽しむ方が圧倒的にパフォーマンスが高く……、というニュアンス。
暗に孔子は「学んだって身につかへんがね」と教育を皮肉っているのだ。

ではどうすればいいか?


好きになることだ。


明治維新以後、日本は教育に力を入れた。
だが教育に力を入れたからといって、他国では識字率はなかなか上がらなかった。
しかし日本では識字率が瞬く間に5割を超えた。

なぜか?

それは日本の先輩たちが日本語を学ぶのが楽しく、瞬く間に好きになったからだ。


「好き」とは何か?
「女子」である。

「女」とは何か?
見たまま「女」にきまっとろおおおがっ。


といった具合に、日本語は文字を覚えることで飛躍的に面白くなる。
こんな俗でバカっぽくて楽しい言語は他にない。
好きという感情のようで、そのくせ具体的な意味が盛り込まれている。

どこまでも入れ子構造で、意味が可視化され、自分で深堀りしていける。


「好き」とは何か?
「女子」である。
「女」とは何か?

見たまま「女」にきまっとろおおおがっ。

感情の中に理屈があり、理屈の中に感情があり感情の中に理屈が埋め込まれ…
どこまでも入れ子構造で、意味が可視化され、自分で深堀りしていける。
言語文字自体がすでに素晴らしい学校なのだ。
日本語は身贔屓抜きで素晴らしい言語体系だと言い切れる。

まさか先人が紡いでくれたこの宝物をおろそかに扱っておるおバカさんは居なかろうな。

江戸時代にフワッと大和の国に存在していた共有の価値観を、
先達は文字を学ぶことで可視化確認してあらためて皆で共有できた。

文字の学び ⇨  識字率の向上 ⇨  価値観の一致
⇨    識字率の向上 ⇨ 価値観の一致 ⇨ 識字率の向上 ⇨ 価値観の一致・・・

表意文字世界における、識字率向上と価値観一致の好循環

こんな楽しいことはない。

楽しいと仲間を誘う。
仲間に誘われると、学校に来るようになる。
どんどん学校に来る奴らが増える。
文字を用いるのが楽しいから識字率が向上する。
識字率が向上すれば、価値観がより一致してつるんで語らうのが楽しくなる。
楽しくなれば、学びの効率が上がり識字率がより向上する。
識字率が向上すれば、価値観がもうワンランク上で一致してもっともっと楽しくなる。
楽しくなれば、学びの効率が上がり・・・

要は皆で日本語の文字を学ぶのは楽しく、好きになれる代物だった。
だから明治維新以降の日本ではどんどん識字率が向上し、価値観が一致し、強い紐帯が生まれたのだ。


これが日本が列強に瞬く間に追いついた大きなファクターだと言っとろおおが。

こうした富国強兵の流れは、表意文字のない欧州各国では見られないオンリーワンな事例である。




昨今の英語偏重教育は?


嫌い





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