ブーマー・ウェルズ 海坊主は三冠王
うぉっデケエよ。コイツデケエ。おれのハンキュウでんしゃがつぶれちまう。
てんじょうに頭ついてんじゃねえか。
なんだ西宮きたぐちでおりたらコイツついてきやがったぞ。
コマスイミングスクールにいくオレをつける気か。
おいおいついにミスタードーナッツ(現・交番)まできやがった。
あれ西宮きゅうじょうの方に折れちまった・・・デカいけどいいやつだったのかな・・・
まあいっか。
ハンキュウベリマッチ
ブーマーといえばなにをおいても乱闘。
2mで100kgの巨躯を駆って相手ピッチャーに襲いかかる様はバイオレンスとホラーの融合だった。
そんなブーマーの乱闘をネタにしたC Mが「パスタイム」。昭和の関西圏においてひっそりこっそり放送された「英雄の休息」だ。
ここにもブーマーがいかにファンから愛されていたかが垣間見える。
またブーマーの乱闘はあくまで内角球への牽制の意味合いであり、戦略的インテリジェンスの賜物だったことも付言しておこう。
最強助っ人
最強助っ人と言えばバース、ブーマー、東尾をフルボッコにしたデービス、赤鬼ホーナー、ナベツネが泣いて許しを乞うたヒルマン、歯茎を火傷したと嘯いて試合を欠場したケビン・ミッチェル、、、・・・・最近ではヴェレン…シュタインだっけ??
それ30年戦争の傭兵隊長???
新しいのはよう解らんっ。
もはやマートンから先は頭に入ってこんのじゃ。
だがどうだろうか。
持続的にかつ爆発的に活躍し、乱闘という昭和助っ人の檜舞台でも大活躍した助っ人といえば「ブーマー・ウェルズ」の名前をあげなければならない。
華々しい経歴
ブーマー・ウェルズ
日本プロ野球 1983年〜1989年在籍
NPB通算 実働10年 1148試合 打率.317 277本塁打 901打点
三冠王 1回
本塁打王 2回
打点王 4回
首位打者 2回
あの落合博満しかも全盛期の落合博満を抑えての三冠王は素晴らしい偉業だ。
備考:恐妻家、小遣いは2000円/日、出演CM「ハンキューベリマッチ」、阪急電車神戸線を用いての通勤、汗かき、ジェントルマン、子供に優しい
福本が出てブーマーが返す
阪急黄金期を支えた頼れる4番バッター、それがブーマー・ウェルズだ。
初回、世界の盗塁王()こと福本豊が塁に出る。
送りバントなんていらんわっっとばかりにすかさず二盗を決め、2番3番が凡退。
そこでブーマーが爪楊枝をくゆらすかのようなフォームで打席に入りバット一閃で先制点。
このリードを先発山田が130球完投で守り切り阪急は引き分けを挟んでの5連勝、久米宏の反応はパリーグにおいて往々にして鈍い。
上田監督にオムライスを奢ってもらう
ブーマーは大のつく恐妻家であり、1日の小遣いは僅かに2000円。
元大リーガーとしては特筆すべき小ささだ。
だからブーマーは球団食堂で毎日毎日大きな体で小さなオムライスをチビチビやっていた。
それをみかねたのが阪急ブレーブスの宿将・上田利治監督。
上田利治監督はパン屋の二代目のような風貌ながら、的確かつ大胆な用兵で阪急黄金後期のタクトを振るった名将だといえよう。
上田監督の口癖は、
「ダイナマイト!」ないし「ええで!」。
ええで!、はともかく、ダイナマイトはちょっとなに言ってんのかわかんねえ。
話を戻そう。
・・・だからブーマーは球団食堂で毎日毎日大きな体で小さなオムライスをチビチビやっていた。
それをみかねたのが、名将にして阪急ブレーブスの宿将・上田利治監督。
上田監督はオムライス以外のメニューをブーマーに奢ってやったという。
こうして人心把握をやってのけた上田は阪急の黄金期を延命させたのだ。
助っ人が電車通勤の時代
ブーマーが阪急に在籍した1980年はまだ助っ人といえど電車で通勤する時代だった。
オマリーやディアーだって電車通勤してたような気もするが、それは次回以降の講釈にて。
著者は母に連れられて阪急神戸線・西宮北口駅にあるスイミングスクールに通っていたのだが、なぜかデカい奴といつも一緒になった。
セイブツガクテキ人類にこんなデカいやつがいるんだと子供ごころに思っていたら、それがブーマーだった。
ブーマーが海を渡ってやってきてくれたのは阪急ブレーブスというチーム。
阪急ブレーブスの本拠地球場は阪急西宮スタジアム。
この西宮スタジアムが阪急神戸線・西宮北口駅前から徒歩5分のところにあった。
今では「阪急西宮ガーデンズ」と名前も変わってしまったが、そこを通るたびに優しき海坊主を思い出すんだ。
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