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食べログと住みたい街ランキングの超密な関係

食べログは何かと毀誉褒貶が激しいが、その功績もバカデカい。
食べログの功績の中でも最大級のものが「住みたい街ランキングのマトモ化」だ。

皆が首を傾げた、住みたい街ランキング

住みたい街ランキングないしそれに類するものは2005年前後から始まった。
現在確認できる最古の住みたい街ランキングは、2003年の長谷工エアーベストさんによるもの。

だがこの「住みたい街ランキング」の類いは、黎明期においてどうにも信憑性に欠けるものだった。

「なぜこの街が?」
「それはないわあ」
「行ってもいいが住みたくはない」
「治安悪くね?」
「ちゃんと調べてんのか?」
「不動産屋のプロパガンダ」

「西宮北口?正気ですか??」

「そこ無茶苦茶メシがマズいぞ」

様々なツッコミがなされていたが、ランキング主宰側は馬耳東風といった塩梅であった。
しかし、食べログの勃興隆盛に伴い「住みたい街ランキング」に異変が起こる。




食べログによる、にぎわう街の数値可視化

2010年代に台頭してきた「食べログ」。
食べログは飲食店の評価をオンラインで数値化。
その結果、飲食店の評価が目に見えて解るようになった。
集合知による飲食店評価が可視化されたのだ。
ある飲食店が「美味いのか?不味いのか?」が一目瞭然になった。
この頃、食べログ百名店を目標にする店も増えてくる。

だが食べログによる評価可視化は、単一店舗の可視化だけにとどまらなかった。
その街自体の総合メタ評価も食べログは間接的に行なっていたのだ。

少し考えてみて欲しい。

多くの人が集まる街のメシが不味いだろうか?
いやそんなはずはない。
まず多くの人が集まれば、客回転数が早くなるため店側は安くしても利益を確保できる。
利益を確保できればより良い食材を仕入れられ、美味い料理を提供できる。
すると「安く、美味い」が実現出来る。

「安い」「美味い」

これは食べログにおける高評価グルメ店の二巨頭要件だ。
つまり、
多くの人が集まるとその街のメシが美味くなるのだ。

するとどうなるか。
「食べログ高評価店の多い街には多くの人が集まってくる」と言葉を繋げられる。

要は、
食べログは料理店の評価だけでなく「その街の求心力」をも可視化したのだ。



「本当に住みたい街」ランキングへ

食べログによって、
「飲食店の質」と同時並行で「街の求心力」が可視化されていったのが2010年代のこと。
この2010年代に「住みたい街ランキング」に大きな変化が起こった。
「本当に住みたい街ランキング」なるものが登場したのだ。
あたかもこれまでの「住みたい街ランキング」が偽物だったかのようなタイトルはセンセーショナルでありユーモアがあった。
そして何より本当に住みたい街ランキングには「説得力」があった。

従来の住みたい街ランキングは食べログが間接的に示唆していた「人の集まっている街」と非常に大きな乖離があり違和感を禁じ得ない代物だった。
そこでもう不動産業界も誤魔化しは効かないと判断したのだろう。
本当に住みたい街ランキングは、食べログ等によって可視化された人の集まりを反映させたランキングとなっていた。

人が集まる街が必ずしも住みたい街とは限らないが、「人が集まる街」と「人が住みたい街」には強い相関関係があるのもまた事実だ。
だから新設された「本当に住みたい街ランキング」には、食べログをはじめとするSNSによって可視化された「街の求心力」が色濃く反映されていたのだ。

これにより住みたい街ランキングは信憑性を回復し、不動産業界の陰謀ランキングの色彩は希薄化されていった。




コンパクトシティと食べログ

コンパクトシティ化やスマートシティ化に成功した街に美食店が集まる。
このトレンドはこれから10年はもう止めようがない。
食べログを端緒とするグルメと街求心力の数値可視化が、美味い街と不味い街を峻別してしまったからだ。
美味い店と不味い店の峻別に留まらず、美味い街と不味い街まで峻別してしまったのだ。
上で述べたように、
人が多く集まる街ほど密度の経済によって「安く・美味く」が実現される。
「安く、美味くの街」は非常に魅力的であり、より人が集まってきて、さらに「安く・美味く」が実現される。
この好循環によって、「安く・美味くの街」はどんどん安く・美味くなっていくのだ。

その逆?



…野暮はやめておこうや…

食べログは間接的にだが、人の集まり・街の求心力までも数値可視化した。
結果、なかなかに信頼のおける住みたい街ランキングが提示され、そこに向けて人々は一点集中を開始している。
これが昨今盛んに喧伝されているコンパクトシティ化と結びついてくるのだ。



このSNSやアプリによる様々な数値可視化はそれ自体において悪いことではない。
グルメの質や街の賑わいが数値可視化されることは、すこぶる便利である。
だがその結果もたらされるコンパクトシティ化という現象は、持続可能性がなく、甚だ危険な状態に現代日本は片足を突っ込んでいる。


では、我々はどうすれば良いのだろうか?

上記した2つの記事がいいところを突いているのではないか。
文字によっていいところを言語可視化できているのではないか。


これからも様々な処方箋を提示していきたい。
本日は、
その中でも最も有効な言薬を置いてお開きとしよう。











関西圏
住めばどこでも西宮

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