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北島忠雄//29歳と15年1/2の助走

将棋界隈で苦労人といえば木村一基の名前が上がるだろうが、それはあくまで観る将向けのわかりやすい苦労人であり、ホンマモンの苦労人は別途存在するのだ。
いってみれば木村一基は日のあたる苦労人であり、今日紹介する北島忠雄は日の当たらない苦労人であって生粋の苦労人だ。

日本将棋連盟の棋士である北島忠雄は奨励会を突破するのに15年を要した。
プロになったのが29歳の時という遅咲きのプロ棋士である。
木村一基は12年の奨励会期間をへて23歳で比較的順調にプロ棋士になっており、この時点で北島の苦労人としての質がワンランク上だということがわかる。

いやそもそも木村が苦労しているのは頭の上だけだったのではないか。

今日はそんな将棋界隈随一の苦労人である北島忠雄七段について語ってみよう。

将棋界隈の山本昌

北島忠雄
1966年生まれの58歳
竜王戦は4組
順位戦はC級1組

これは凄い。

将棋界隈ではどうしても羽生世代に脚光が当たりがちで、北島は羽生世代より5歳ほど上にあたるためその点でも不遇の棋士だった。
しかし目下2024年くんだりに時代が下り、
羽生世代がこぞって竜王戦・順位戦で陥落していく中にあって、
北島は竜王戦4組・順位戦はC級1組に踏みとどまっている。
いや戦績をよくよく観ると、さらに棋譜を並べてみれば、踏みとどまっているどころか若手を向こうに回して威風堂々と戦っている。

58歳で竜王戦4組・順位戦C1、デビューしたのが29歳・・・

これをプロ野球に例えるならば、元中日で若手時代に不遇をかこちながら50過ぎまで第一線で活躍したサウスポー山本昌といったところだろう。
ラジコン好き、クワガタも好き、阪神キラーでお馴染みみんな大好き昌さんである。



羽生善治を銀河の藻屑に

北島忠雄は何も苦労ばかりしている訳ではない。
プロ入り後、将棋でも着実に実績を残している。

第17期銀河戦決勝トーナメント1回戦▲羽生善治名人vs△北島忠雄六段
2009年6月12日放送

この頃の羽生善治は手がつけられない強さだった。
7冠達成から10年を経て40の声を聴いたが、円熟味が本格的に増してきたのだ。
タイトル戦はもとよりNHK杯を3連覇してこの銀河戦も連覇が濃厚とみられていた。
「鬼畜メガネ」という俗称で羽生が畏怖されたのもこの頃ではなかったか。

そんな油の乗り切った羽生善治と北島は銀河戦決勝トーナメント1回戦で対峙することとなった。
下馬評は2ちゃんねるにおいて「羽生の勝ち」。
羽生優勢とかではなく既に「羽生勝ち」を前提に未来が創造されていた。



2ちゃんねる?
2ちゃんねるw情報w??

2ちゃんねる情報を鵜呑みにするな、、、、だと????




っっっ



2009年当時、SNSといえば2ちゃんねるしかなかったんだっっ。
フェイスブックもあるにはあったが、まだスマホ自体の普及率が10%未満だったため好むと好まざるに関わらず2ちゃんねるに頼るしかなかったんだっっっ。
日本将棋連盟のホームページもダレダレで対局結果の反映に1週間ぐらいかかっとったんだっっっっ。

そんな「羽生勝ち」という究極の下馬評の上で大番狂せは起こった。

難解な中盤戦を経て、玉頭が複雑に絡んだ終盤に突入し、局面は混沌を極めて白熱の詰むや詰まざるやへと位相を移す。
この展開は羽生の最も得意とする土俵だ。
羽生マジックでけたぐりをかまし勝利を手繰り寄せる未来へと羽生善治の指先が震える。

だが、
北島の冷静さと意地が羽生マジックを粉砕した。

139手で北島の勝利。
ワタシはテレビの前で生まれて初めて哭いた。


将棋ジャーナル司会者に大抜擢
 藤井猛に鼻で笑われる


当時将棋界隈では珍しかった「むっちゃ物腰穏やかで柔和属性」の北島は2000年にNHKジャーナルの司会に抜擢された。
柔らかいもの言いは土曜お昼の憩いの時におあつらえ向きであり、2ちゃんねるなど方々のメディアから好評を博す。
NHKジャーナルにはゲストの皮を被った刺客が毎週おくりこまれてきて、北島を怒らせようと奮励努力するが柔和な北島が立板に水でサラリと流すという展開がお約束となっていた。

最強の刺客は当時竜王の座を盤石にして「竜王ご殿」を建てて調子に乗っていた藤井猛竜王だ。

竜王というタイトルがどういう仕組みになっているのか?
それをど素人の視聴者つまりは「平成の観る将たち」にもわかるように北島と藤井が会話の中で説明していく。
そして番組もクライマックス。

「竜王は誰でも挑戦できる可能性を秘めたリベラルな将棋タイトル」だというコンセンサスに北島と藤井は至った。

それを踏まえ番組終了間近に北島がいつも以上に柔和に云ったボケた






「じゃあ、僕も来年、、竜王に挑戦してみようかなっっ」



程なくして藤井の方角から何かが微かに、だが確実に聞こえてきた。



「っっっっっっっっっっっ」




著書がその人物を規定する


著書を読めばその人物のことが観えてくる。

簡単なことを難しく説明する御仁。
将棋のことを将棋で例えて解説する将棋星からの使者。
監修ばっかやってる静かなる拝金主義者。
読者が知りたいことではなく、自分が語りたいことをひたすら書きなぐる勘違いの塊。


将棋界隈の著者のおよそ80%がこれらに該当する。
だから、だからこそ残り20%が貴重なのだ。


これを踏まえて北島忠雄七段の著書を見てみよう。

居飛車の全戦型に対応 なんでも右玉 (マイナビ将棋BOOKS)
角交換振り飛車破りの決定版!地下鉄飛車 徹底ガイド (マイナビ将棋BOOKS)
乱戦!相横歩取り (マイナビ将棋BOOKS)


右玉、地下鉄飛車、相横歩取り、、
いわゆる色物路線まっしぐらである。
著書がその人物を規定するということは、北島忠雄七段は色物路線まっしぐらな人物なのだろうか?

いやそれは違う。
北島七段は断れないのだ。
色物戦法であれB級戦法であれ出版社から依頼がきたらば「いい人」だから断れないのだ。

採算が合わず誰も書きたがらない分野というものがあるが、
しかし誰かが書かないと叡智の継承がそこで途切れてしまう。
それを一手に引き受けているのが北島忠雄七段なのだ。


文明という見地からみても北島忠雄七段の存在は偉大である。





柔和に戦う苦労人


北島忠雄
1966年生まれの58歳
竜王戦は4組
順位戦はC級1組

これは・・・
まだまだいけるんじゃないだろうか。

AIの台頭から爛熟で中堅からベテランが活躍し続けるのがますます困難になっている。
だが北島忠雄七段は吹き荒れるAI研究将棋の嵐の中でそれに適応してしっかりと戦っている。

やはり本当に苦労した奴が報われてほしい。
興行用につくられた苦労人にあまり興味は持てない。

だから、
本当に苦労した北島忠雄にはもう一花咲かせて欲しい。

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