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デービスvs東尾修/乱闘の梟雄/エースの矜持

東尾修
通算成績 251勝247敗 防御率3.50

70年代から80年代にわたり西鉄、西武ライオンズを支え続けた技巧派右腕。
愛称はトンビ。
飄々とした立ち居振る舞いと東尾トンビという姓をアウフヘーベンさせた二つ名だ。

リチャード・デービス
1985年 打率.343 40本塁打 109打点

という錚々たる成績をNPBは近鉄バッファローズで残すも、落合博満にすべてのタイトルで頭ハネを喰らう。
その打棒もさることながらデービスが注目されたのは素行不良なところだった。
最終的に大麻取締法違反にまつわるエトセトラで近鉄を1988年に解雇されるというド派手な幕引きを飾る。
だがそこに至るまでのデービスといえばもっぱら乱闘。
毎年シーズンオフの目玉コンテンツである「珍プレー好プレー・乱闘コーナー」の真打ちであり、その荒くれぶりは早くから注目されていた。

パリーグを代表する右腕と乱闘の雄。
この両者がついに合間見えたのは、
1986年06月13日の近鉄-西武戦だった。

みのもんた無双

「珍プレー好プレー」といえば、みのもんたの出世コンテンツ。
複数選手のナレーションをすべて、みのもんたが担当するという低予算・手抜きぶりが受けに受けた。
1986年当時、みのもんたの顔なんて全然知らなくても、声ならば熟知している小学生が巷に溢れかえっていたのだ。

1986年06月13日の近鉄-西武戦でも、みのもんたは絶舌調。
東尾にデッドボールを受けたデービスが激昂。
Bダッシュでマウンドのトンビのもとに駆け寄ると、右ストレートのダブルで完全に主導権を掌握。
デービスにとって会心の乱闘だったといえよう。


「二発三発、どんどん入ってるぜ!」
みのもんたの実況が冴える。
だがここには、みのもんたが見落としていた真実があった。



大杉勝男の達見

乱闘といえば大杉勝男。
日本プロ野球最強の男といえば大杉勝男。

大杉勝男の武勇伝を知りたければこの記事がうってつけではないか。

さて、
大杉勝男氏がこの乱闘にたいし寄せたとされるコメントがすべてを雄弁に物語っている。
大杉勝男氏が東尾vsデービス戦に寄せたとされるコメントをデフォルメし紹介しよう。


「東尾は何度もデービスに殴られながらも、絶えず右腕をカバーする体勢をとっていた。流石はエースだ」

「デービス??
 あんなものは三流のケンカでしかない」


東尾修のプロとしての姿勢を絶賛し、デービスを一刀両断に切り飛ばしたのだ。
みのもんたの表層上の実況ではわからなかった真実がここにあった。



エースの矜持


確かに動画をいま見直してみると、東尾さんは必死に右腕を庇っている。
右肩をデービスから隠して絶対防衛ラインを設定し、デービスのパンチを「いなして」いるのだ。
デービスのパンチは荒い。
だから東尾さんは反撃しようと思えば、右腕でカウンターをちょこんと合わせるだけでいい。
だが右腕は右ピッチャーにとっての商売道具だから、臥薪嘗胆堅忍不抜、ひたすらに辛抱している。

これ、あらためてみると凄いわ。

乱闘は、
シーズンオフに珍プレー好プレーで放送されるのがわかっているから、プロ野球選手としてええ格好したいところだ。
だが右腕を故障してしまってはチームの屋台骨を支えるエースとしてチームに迷惑をかけてしまう。

「名を捨てて実を取る」を地で行った東尾修は本当に凄い。

子供の頃は「みの効果」もあって断然デービス推しだったが、いま見ると東尾修のプロとしての矜持を推せるようになっていた。

それにしても、
荒れ狂うデービスを見ていると、
いかにも何かやってそうに見えるってのは後知恵だろうか。

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