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場末のサブスク論

サブスクリプションという言葉がここ10年ほど喧伝されている。
サブスクリプション、略してサブスクとは定額課金と訳される。

定額課金サブスクビジネス。

例えば新聞の宅配サービス。
月に2000円ほどを支払えば、毎朝ポストに朝刊を投函してくれる。

例えばNHK。
月に1000円ほどを支払えば、NHKの番組を見放題だ。

このように定額課金ビジネスは昔からあった。
それがここ10年でサブスクリプションと横文字になって喧伝されている。

なぜなのだろうか?

今朝はそこらを徒然なるままに述べていこう。

昔と今の境界線 1995年説


昔と今の境界線はどこにあるのか。
筆者が思うに、インターネットの有無で分けるのが相当に有力ではないだろうか。
つまりインターネットが登場した1995年に、昔と今の境界線がある。
そう考えると様々な比較や吟味が容易になるかもしれない。

早速やってみよう。

1995年にWindows95と共にインターネットがやってきた。
インターネットは新しい娯楽やサービスを矢継ぎ早に誕生させる。
結果、新聞・テレビといったレガシーメディアは徐々に、だが確実に下火になっていった。
新聞・テレビといった定額課金ビジネスが下火になっていったのだ。
それにとってかわったのがインターネットだった。


インターネットというザ・サブスクリプション

インターネットは原則としてそれ自体がサブスクリプションだ。
月額料金を支払って、我々はネット利用の権利を購入している。

そういえば、ネット揺籃期は電話回線のモデムでネットに接続して、とてつもなく回線速度が遅かったのを想起した。

あの頃、ネット揺籃期は「有線」でがっちり接続していたから、「今、ネットを使っている」という想いが強くあった。
一方で、2024年現在にあってはスマホでの無線接続がメインになっており、「今、ネットを使っている」という想いは希釈化されている。
いまではネットに繋ぐという行為が、呼吸をするといった自然行為に近づているのだ。



常時利用の定額課金サービス = サブスク ??

ということは、
我々は24時間常にインターネットという定額課金サービスを利用していることになる。

定額課金ビジネスを24時間常に利用するというのは、消費者にとってなんとも率のいい話だ。

新聞をまるまる全部読む人はいない。
テレビを一日中目を皿にして観る人もまずいないだろう。
しかし、
ネットに一日中繋がっている人は数え切れない。

なれば、次のような峻別ができるのでは無いだろうか。

24時間のうち限定的な利用 定額課金サービス
24時間常に利用が原則   サブスク

これならば、ネット以前が定額課金サービスで、
ネット以後がサブスクと綺麗に分類できそうだ。



食べログはサブスクか?

では、この分類を元にスマホアプリを見ていこう。

食べログ。

飲食店の評価を数値化して消費者に提示するサービス。
無料サービスもあるが、評価値順に飲食店を並べたりするには有料プレミアム版への登録が必要だ。

食べログを24時間使うだろうか?

流石に使わない。

寝ている間は使わない、使えない。
つまり、
24時間のうち限定的な利用にとどまる。

24時間のうち限定的な利用 定額課金サービス
24時間常に利用が原則   サブスク

先ほどの分類に従えば、食べログは定額課金サービスとなる。
だが、食べログは自然な流れからいってサブスクに分けるべきだろう。
やはり食べログは新聞、テレビと同じモデルだとは感じられないからだ。




サブスクは心の持ちよう?

いましがた、
「やはり食べログは新聞、テレビと同じモデルだとは感じられないからだ」と書いた。

「感じられない」と書いた。

なぜ、感じられないのだろうか?

ビジネスモデルとしては、食べログも新聞もテレビも基本構造は同じである。

だが、我々は食べログと新聞を違うものだと感じる。


なぜだろうか?



ネットによる刷り込み説


こういうことでは無いだろうか。

インターネット側が旧態メディアと差別化を図りたかった。
新聞・テレビには若者を中心に良い印象を持たない人々も多い。
だからインターネット側としては新聞・テレビと同じ「メディア」として括られたくはなかった。
だが同じ定額課金モデルであり、同じ情報媒体であり、やっていることは臍の緒で繋がっている。
そこでなんとかイメージだけでも切り離すために、インターネット側は言葉を切り離そうとした。

自分たちをメディアではなくプラットフォームと名乗り、
自分たちのサービスを番組ではなくコンテンツと呼称し、
自分たちのモデルを定額課金ではなくサブスクと名乗った。

根源的には温故知新で同じビジネス形態なのだが、言葉を変えることで全く違くもののように印象替えを行った。

これがサブスクの真実に近いとコロナのでは無いだろうか。


そして、
ネットと新聞・テレビで異なるところが一点だけある。

それは刷り込みパフォーマンスだ。

24時間のうち消費者が限定的にしか繋がらない新聞・テレビは刷り込みパフォーマンスが弱い。

他方、24時間消費者を繋げられるネットは刷り込みパフォーマンスが強い。

このインターネットの強大な刷り込みパフォーマンスを用いれば、

自分たちをメディアではなくプラットフォームとし、
自分たちのサービスを番組ではなくコンテンツとし、
自分たちのモデルを定額課金ではなくサブスクとし、
本来は根っこが同じである新聞・テレビから自分たちインターネットだけを切り離すことは容易だった。

だから、
いま我々は、ネットをメディアとは認識せず、
ネットの提供する番組をコンテンツと認識し、、
ネットのビジネスモデルをサブスクと認識している、、、

ということでは無いだろうか。


言葉の使い方と意味合いを支配すれば、
例え同じものであっても違うものと認識させられる。

その一端が、サブスクという微かだが確実に違和感を携えた言葉から滴り落ちている。

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