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森下卓/藤井システムに殺された男

森下卓は日本将棋連盟所属の将棋棋士。
1966年7月10日生まれの58歳。

谷川浩司と羽生世代の狭間でタイトルに6度挑戦するも無冠に終わる。
駒得は裏切らなかったが、ファンの期待は裏切ったかもしれない。
だがその実力は千駄ヶ谷界隈で高く評価されており「ナンバーツーの男」と云われていた。

戦法を深化させシステム化するのを得意としており、対振り穴の銀冠森下システムは特に秀逸。
プロの公式戦で四間飛車穴熊がいっとき姿を消したのは森下システムの優秀性を物語っている。

人柄はとにかく律儀で謙虚。
律儀が服を着て歩いているような人物だ。

今日はそんな森下卓九段について語ってみよう。

メガネで早口という棋士のステレオタイプ

棋士といえばメガネ。
メガネで早口でどこか陰湿で堅物。
これが一般の持つ将棋棋士に対するステレオタイプだ。
羽生世代でこのトレンドがピークに達したが、メガネで早口な棋士はいまだに後をたたない。
だがしかし、
森下卓はメガネでありステレオタイプの第一条件を満たすが、そこから先が全く異なる。
森下卓九段は早口ではないおしゃべり好きだ。
それも将棋界隈半径3メートルのおしゃべり好きではなく、他ジャンルにも通用するおしゃべり好きである。
そんなものは当たり前だという反論が予想されるが、将棋界隈では当たり前ではなかった。
「将棋盤から半径3メートル」が棋士の守備範囲という時代が長く続いていたのだ。
将棋しか知らないからアナロジーやメタファを用いて他分野とのコミュニケーションがとれない。
そんな人たちのコミュニティが将棋村だった。
昨今ではそれが緩和されてきたが、その嚆矢になった一人が森下卓九段である。




四間飛車殺しの森下


森下卓といえば森下システムであり、矢倉の大家という印象があるかもしれない。
確かに矢倉森下システムは秀逸だ。
矢倉における先手番のわずかな利を丁寧に丁寧に勝ちまで紡いでいく様は匠の技そのものである、、
とか偉そうに書いているが、筆者には理解不能なほどに変化が多岐にわたり何やってんだかよくわかんない。
これが1995年ごろの話しだから、その上に30年分の叡智蓄積がなされた矢倉というものはもはや入神の域であろう。
いみじくもAIが爛熟してくれたおかげで「神の領域」での誤魔化しに説得力が宿ってきたので喜ばしい限りだ。

だが森下九段の真骨頂は対振り飛車にこそ見られる。
手厚く慎重に押さえ込んで勝つのが森下将棋の真髄であり、捌くか押さえ込むかの展開になりがちな対抗型においてこそ森下将棋は真の輝きを放つ。

それを広く世に示した書籍がある。

美品で名著 この本は手放せんねえ

森下の四間飛車破り1996年初版刊行



森下の四間飛車破り

この書籍は衝撃的だった。
森下卓九段のデビューから96年までの居飛車vs四間飛車の棋譜が全80局くまなく収録されているのだ。
全局森下自身の解説付きという上げ膳据え膳ぶり。
しかもこの勝率がまた凄い。
森下卓のデビューから80局時点での対四間飛車での勝率はなんと「.850」。
あの大山康晴からも4戦負けなしであるし、錚々たるメンツに対しての8割越えは凄まじきかなだ。

誰が言ったか、
ワタシが言ったのだが、

「四間飛車殺しの森下」である。

ひいては棒銀、4六銀左急戦、天守閣美濃、左美濃、銀冠、4五歩急戦とアレ以外のあらゆるオーソドックス戦型を網羅している。
わけても森下は天守閣美濃を得意としており、これが対四間飛車のドル箱戦術だったと言えよう。
さらにはこの解説がユーモアも交えながら実に丁寧であり「律儀・森下」の面目躍如だ。
当時ユーモアも交えた将棋書籍なんぞは他に一人(米長邦雄九段)ぐらいしか書いていなかったため、本当に本当に貴重だった。
羽生の頭脳全10巻なんていうのがあったが、徹頭徹尾笑いどころのないアマチュアに不親切極まるコンテンツだった。


藤井システムによる森下殺し

だが四間飛車をお客さんにしていた森下卓だからこそ翳りがさすのが早かった。
藤井システムの台頭によって四間飛車が息を吹き返したのだ。
とはいえ多くの読者がイメージしているような形ではない。
藤井システムによって居飛車穴熊が潰されたわけではないのだ。
藤井システムが居飛車穴熊になしたことは、駒組みへの制約であって居飛穴を完全浄化したわけではない。
ここからが大事なのだが、
藤井システムが潰したものは「天守閣美濃」だった。
この天守閣美濃に対する藤井システムは完成度がすこぶる高く、駒組みに制約どころの騒ぎではなく、天守閣美濃自体を対抗型から消し去ったのだ。

ここに森下の悲劇があった。
森下は対四間飛車に天守閣美濃を多採して四間飛車をお客さんにしていた。
だが藤井システム黎明期に天守閣美濃がこれでもかと血祭りに挙げられたのだ。

ここらあたりの顛末は、
森下の対振り飛車熱戦譜(2002年11月/毎日コミュニケーションズ)に詳しい。
この棋譜書籍での森下の対藤井戦におけるボヤきというか「怨念」のようなものは読んでいてとても楽しい。

森下の四間飛車破り   1996年初版刊行
森下の対振り飛車熱戦譜 2002年初版刊行

当時、藤井システムの衝撃がどれほど凄まじかったかを知りたければ、この2冊の棋譜を並べたらいいだろう。
天守閣美濃から四枚美濃へと牧歌的に組み替えて固さで四間飛車を殺しまくっていた森下卓九段が、逆に天守閣美濃であっけなく射殺される様は栄枯盛衰を感じざるを得ない。



森下の対振り飛車熱戦譜

「森下の対振り飛車熱戦譜/2002年初版刊行」を改めて読みなおしているのだが、これもやはり凄い書籍だ。
これもヤバいと言った方がより適切かもしれない。

ハードカバーで2,000円の時代


対戦相手が藤井猛、久保利明、鈴木大介と当時の一線級に絞られており、藤井システムでガラリと対振り事情が変わったことがわかる一冊だ。
藤井猛に対しては森下の十八番とも言える左美濃が通用しないため、袖飛車に光明を見出そうと苦心している。
久保利明に対しては「今日の久保くんは余程調子が悪いと見える。何かあったのだろうか・・・」とかなんとか余裕をかましているうちに、久保得意の泥沼に引きづり込まれて薄氷の上での決着となっている。
鈴木大介の四間飛車穴熊に対しては得意の銀冠森下システムで望むが、優位なのに受けすぎる悪いクセが出て最後は詰みを逃し見開き2ページにわたってボヤきまくるという贅沢な構成になっている。

この「森下の四間飛車破り」と「森下の対振り飛車熱戦譜」は今でも読む価値が十二分にある。
とにかく解説が簡にして要を得ておりユーモアもありアマチュアに優しい稀有な棋書なのだ。

これはあまり知られていないが、
マイナビから2冊を併せた復刻版がひっそりと刊行されたので、手厚い勝ち方を知りたければマストアイテムではないだろうか。



羽生善治/森下卓の志を継承するもの


森下卓九段は「森下の四間飛車破り」のあとがきでこう述べている。

 “”当初の大目標である1500勝を目指して精進に励みたい“”

森下九段は律儀であるが実のところビッグマウスでもある。
最後まで読者を楽しませることを忘れない。
この森下卓九段のイズムから律儀を抜いた部分だけを拡大継承するものがクリスマスデートの幻覚とたわむれる増田康宏八段であり愛弟子でもある。
まあ1500勝の志はあの羽生善治によって継承実現されたので、森下卓九段はいつ草場の彼方にいっても本望ではないだろうか。

森下卓積読シリーズ

これほどアマチュアに寄り添った棋書を世に出した棋士は森下以外に一人しかいない。
森下卓はアマチュアに優しい類稀なる棋士である。

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