あとでまとめるためのメモ・情報

演劇における「シーン」とは言い換えると「情報」だ。
演劇に限らず、ドラマでも映画でも、ドキュメンタリーでもバラエティでも小説でも漫画でもyoutubeでも、とにかくすべて情報の連続で構成されている。

ひとまず演劇にしぼって。
「シーン1」があるとしたら、そこに含まれている情報はなんなのか?ここがどこなのか、そこにいる人は誰なのか、どういう性格?関係性は?好き?嫌い?今どういう状況、のんびり、くるしい、ピンチ、楽しい。
明日何がある、今こういう目的で動いている、こういう欲求がある、秘密がある、etc・・・。

そういう意味で言えば「セリフ」の量をイコール「情報量」と勘違いしそうになるが決してそうじゃない。セリフがめちゃくちゃ多くても、全く情報が含まれてなければ「情報量」はない。
セリフがほぼなくても情報量が多いシーンはいくらでも作れる。
ダンスなどの身体表現はまさにそこで戦うジャンルだ。

つまり俳優は、いかにセリフに含まれた情報を増幅してくれるかが重要。
読めばわかること、つまり「セリフに書かれていること」情報量が仮に「1」だとする。
それを普通にセリフとして読めば「1」の情報量が観客に伝わる。
つまり「ただ読む」だけ。なら、「1」が「1」のまま伝わる。
いい俳優が読むと「1」が「3」になったり「5」になったりする。

A「君に友達だと思ってもらえているか不安なんだよ」

というセリフがあるとする。

このセリフに含まれた情報は「ああ、この登場人物は、友達に対してそういう不安を抱えているんだなあ」だ。

これを仮に、情報として「2」くらいだとする。
「この2人は友達なんだな」
「Aは、Bに対して不安を抱いている」

先ほどの例にそって、「ただ読む」つまり「1」を「1」で伝えるレベルの表現が行われたとしたら
「2」の情報がそのまま観客には伝わる。それをみた観客は
「2人は友達なんだなあ」
「AはBに対して不安を抱いているんだなあ」と思う。

しかし、俳優の力(演技力と言われる正体の曖昧な能力)が高いと、最低限の「2」ではなく「3」とか、なんなら「10」とかまで引き上げて表現することができる。

「不安」と言ってもそこにはいろんな要素が混沌と存在するはずだ。感情とは圧倒的にグラデーションだから。純度100%、一種類しか感情が存在してない状態は、おそらくないと思う。

「怒り」という感情があるとしても、細かく内訳を分析すると
怒り52%
悲しみ27%
愛情21%
とか。

もっと表現力が高い人にはさらに細かく

妬み4%
憎しみ5%

とか、そういうこともできるのかもしれない。数字はめちゃ適当。理解するためにわかりやすく書いてる。そんなに人の感情はデジテル的に分解できないのもわかっているので、便宜上。

みている人に飛んでいく「情報量の多さ」はつまり、俳優の表現力による。
元になっている「3」情報量が「10」にできるかどうかが勝負。
滑舌が悪い、声が小さくて聞こえない、などの「3」が「1」に減ってしまうというマイナスの補正もあるだろうし。

感情的な表現だけでなく、様々な所作、目線や体の動き、表情や、呼吸、声の大きさやテンポ、あらゆる要素が、情報の増幅あるいは減少に関わる。
無限の選択肢がある中で、何を選び抜いて情報として提示するのか、が、つまり俳優の仕事であり、技術であり面白さであり、圧倒的な難しさ。

セリフが「・・・うん」の一言だとしても、そこに無限の可能性がある、はず。
しかし、俳優とは自分がそれを「狙って表現している」と観客にバレてはいけない。作為が見えた瞬間観客は敏感に察知し、「つくりもの」「うそ」と判断して、心を遠のかせる。難しい。

そして、俳優の技術だけでなく、そういう膨らませる要素をたくさん含んだのが「いいセリフ」とか「いいシーン」なんだと思う。露骨な説明ゼリフとか、やたらチープな表現のセリフとかはそもそもダメだ。


★あとで整理するための雑然としたメモ。

【脚本全体、セリフを「情報」として捉えて考える】
▶︎セリフ量がめちゃくちゃ多くて情報が多いシーン。
▶︎セリフ量は少なくても、情報量が多いシーン。
 >セリフがうまい?俳優がうまい?

上の二つは、シーンとして性格が違う。そういうものを混在させることで、面白くなる?シナリオ全体としての緩急が生まれる?意図的に狙える?

▶︎一つのセリフに二つ以上の意味を持たせる。
▶︎一つのやりとりで、複数の感情を生み出す(すれ違い>観客が神の視点であることを利用する)
▶︎観客の期待をコントロールする>
❶満たす>期待通りの展開
❷焦らす>結論が出る手前で止める、遮る
❸外す>期待通り、予想通りの流れから、全く違う方向に動かす

★「期待通り」と「予想通り」はだいぶ違う。
期待通り>次どうなるかわかっているが、観客が欲している状態>満足
予想通り>次どうなるか、観客に読まれている状態>退屈

▶︎セリフの抽象、具象度の問題。
・セリフの具体性を上げていけば、わかりやすくなるが、伝わる情報は限定的になる。(観客の想像力をあまり利用しない)
・抽象度をあげていけば、わかりにくくなるが、多くの情報を含ませることができる(観客の想像力を利用する)

抽象的なセリフは、詩的で書いてて気持ちよくなるし、役者も言ってて気持ちよくなりがちだが、本当に強度のある言葉なのかをちゃんと精査する必要がある。時に演劇が、閉じた表現になるのは、独りよがりでナルシストな「私の言葉素敵・・・」みたいなセリフや表現が生まれやすいから、というのもあるような気がする。いや、芸術全般に言えるか。

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memo
「溶けかけのアイスを片手に立っていた」
「溶けかけのストロベリーアイスを片手に立っていた」

上と下の印象の違い、理由。
待っているイメージ。待ちぼうけのイメージ?
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また、続きをどっかのタイミングで。

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