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PCゲームの時代は再来するか

今年の1月元システムソフト・アルファーの宮迫社長に業界団体の懇親会で久しぶりに会った。かつてシステムソフトで『大戦略』に関わっていた人だ。家庭用ゲーム機のゲーム会社の人たちと会うことはあるが、PCゲームの会社の人に会うことはほとんどない。
 
ゲームを開発・販売していたシステムソフトは福岡市にあった。
同市内にはPCゲーム会社リバーヒルソフトもあった。『マンハッタンレクイエム』や『琥珀色の遺言』などアドベンチャーゲームが人気だった。
一度取材で同社を訪問したことがある。なかなかインテリアデザインに凝った社内だった。そんな社内を案内してもらった後日野さんというプログラマーを紹介された。あまり言葉を交わさなかったが、控えめない人だと思った。その後日野さんはレベルファイブを設立し、同社開発の『レイトン教授』シリーズや『イナズマイレブン』シリーズは大ヒットすることになる。
 
取材に行っていたPCゲームの会社は札幌にもあった。X68000のゲームを開発・販売していたズームだ。同社の『ジェノサイド』や『ファランクス』は人気のタイトルだった。
 
同市内には、ハドソンがあった。この会社も元々はPCゲームの会社だった。
前述のシステムソフトと同様国内PCゲーム創世記のころの会社だ。システムソフトがPC版『ロードランナー』を発売しているが、ハドソンは1984年ファミコン版『ロードランナー』を発売している。
札幌には『うっでいぽこ』を発売していたデービーソフトもあった。
 
1990年代ズームを取材で訪問したことがある。同社はゲーム以外に猫のキャラクターが有名だった。このキャラクターは最初名前がなかったが、後にドラッキーになった。スーパーファミコンでこのキャラクターを起用したゲームが発売されるというので、雑誌でドラッキーを主人公にした漫画を連載してもらった。
 
当時福岡、札幌のほかにも『倉庫番』のシンキングラビット(兵庫県宝塚市)、『サーク』シリーズのマイクロキャビン(三重県四日市市)、『ハイドライド』シリーズのT&E SOFT(愛知県名古屋市)など1980年代から1990年代半ばにかけて各地に人気タイトルを開発・販売したPCゲームの会社があった。中には今でも事業を継続している会社もある。
 
1990年代ゲーム業界はコンソールゲームの時代になり、PCゲームの会社はコンソールゲームに進出したり、倒産などありPCゲーム市場は縮小していく。
その後ゲームビジネスはインターネットの普及でかなり変化した。PCゲームに限ると流通システムもずいぶん変わった。パッケージソフトのPCゲームはかつてはPCソフト最大流通のソフトバンクなど流通を利用しなければならなかったが、Steamで手軽に販売できるようになった。
 
こうした環境下、国内各地の設立間もないベンチャー企業や個人が、ゲームを開発してリリースすることが容易になった。今後自由な発想で新奇なゲームを開発するベンチャー企業や個人が登場し、30~40年前のようにPCゲームビジネスを活性化してもらいたいものだ。できれば同じ地域からそうした会社が複数現われ、ゲームで有名な町を作ってほしいと思う。

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