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ネットメディアと紙メディアの深い関係
ゲームやPCの雑誌が、ほとんど姿を消し、インターネットのメディアに変わってしまった。これは周知の事実である。とはいうものの、インターネットのメディアの経営者や創業者には、紙の時代を経験した人たちが結構いる。
例えば、ゲーム関係のメディア。『ファミ通.com』『電撃オンライン』はKADOKAWAグループなので言うまでもない。それぞれうまくインターネットメディアにシフトしている。
ゲームのイン
『サクラ大戦』と2.5次元ミュージカル
『サクラ大戦』(セガサターン)は1996年9月27日にセガから発売された。
制作は、原作・広井王子さん、脚本・あかほりさとるさん、キャラクター原案・藤島康介さん、音楽・田中公平さん等著名なスタッフで、企画や設定はレッドカンパニー、ゲームのプログラム作業等はセガが担当している。
レッドカンパニーは、コンテンツの企画やプロデュースを行う会社だった。
『サクラ大戦』の前はPCエンジンの『天外魔境 Z
ゲーム音楽がビジネスになったとき
ムーンライダーズの映画『マニアの受難』をCSテレビで放映していた。映像の中にキーボード担当岡田徹さんの姿があった。1980年代末岡田さんを取材に行ったことを思い出した。『ソーサリアン・スーパー・アレンジ・バージョンIII』(CD)発売前キングレコードから依頼があったからだ。場所は同社近くのレコーディングスタジオだったと思う。
このCDは、PCゲーム『ソーサリアン』の追加シナリオ『戦国ソーサリアン』
「予測できない」から「有望な」ビジネスへの転換
1980年代PCは「予測できない」ビジネスから、次第に将来「有望な」ビジネスへとシフトしつつあった。
そうした時期に国内初のPC専門誌が刊行された。発行元の工学社は代々木にあった。駅の近くにあった書店にときどき行っていたが、付近にぜんらくビルがあり、その中に工学社があった。ここが工学社かと近くまで行って意味もなく確認した覚えがある。
話がそれてしまった。
工学社は、1970年代後半にPC専門誌
20年前に何があって何が変わったのか?
この20年間にゲーム業界で何が起こり、何が変わったのか?
というキャッチコピーは、公式サイトでの『ファミ通ゲーム白書2024』発売(8月22日)の告知記事のものだ。
紹介記事の中で、業界の変遷から見る『ファミ通ゲーム白書』の20年、という箇所があった。2004年は、ニンテンドーDS、PlayStation Portableが発売され、セガサミーホールディングスが設立されている。
この記事は、当
『マンホール』から始まりeスポーツにつながる話
『マンホール』(Mac)というタイトルを大谷和利さんに紹介してもらった。1980年代後半のこと。
大谷さんは、1980年代から現在に至るまでApple関連のテクノロジーライターとして活躍している人だ。彼には、このゲーム以外にも『HyperCard』 (ゲームの制作等に利用されたソフト)など当時Appleに関する様々なことを教えてもらった。
『マンホール』は、画面をクリックすると次の展開につながる、
PCゲームの時代は再来するか
今年の1月元システムソフト・アルファーの宮迫社長に業界団体の懇親会で久しぶりに会った。かつてシステムソフトで『大戦略』に関わっていた人だ。家庭用ゲーム機のゲーム会社の人たちと会うことはあるが、PCゲームの会社の人に会うことはほとんどない。
ゲームを開発・販売していたシステムソフトは福岡市にあった。
同市内にはPCゲーム会社リバーヒルソフトもあった。『マンハッタンレクイエム』や『琥珀色の遺言』な
ゲームの歴史で残るもの、残らないもの
ファミコンの開発責任者である上村さんと、久しぶりに話す機会があった。15年ほど前。当時上村さんは、任天堂の開発アドバイザーだったが、立命館大学の教授もされていた。
ユーザーが実際にファミコンをどのようにプレイしていたのか興味があるので研究している、と話してくれた。
それから話はゲームの歴史に移った。ゲーム開発者のインタビューや業績はアーカイブとして残っていくが、ファミコンのゲームを買ってくれた
ファミコンの発売日にゲームデバイス(ゲーム機)の変遷を考えてみる
1983年7月15日ファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売された。
1985年『スーパーマリオブラザーズ』の大ヒットでファミコンは急速に普及していくが、ゲーム機というゲーム専用デバイスと専用デバイス用ゲームソフト(アプリ)製造・流通システムが連動したゲームプラットフォームビジネスも確立されていく。
その後任天堂とソニー(SCE→SIE)はゲーム市場におけるプラットフォームのシェアを争い、独
ゲーム業界40年の変遷
この業界に入った1980年代中ごろ。アーケード、PC、ゲーム機といったゲームビジネスそれぞれに業界があった。
アーケードゲーム業界が最も古いが、アーケードゲームビジネスはゲビデオームだけを扱っていただけではなく、ピンボールゲーム機、輸入したスロットマシンやジュークボックス等も取り扱っていた。
一方PCゲーム業界は、PCの普及とともに参入してきた比較的若い人たちの業界だった。自社でカセットやフロ
『上海』と『クラッシュ・バンディクー』とPlayStation 5
ゲーム業界にはサクセスストーリーがある。その経緯を身近で見てきた。
面識のある人が有名になったり、ビジネス上成功したりと様々なケースがあった。
例えば、2020年3月PlayStation 5の解説に登場したマーク・サーニー氏。
その前のPlayStation 4のプレゼンテーションも彼が担当していた。肩書は、リードアーキテクトというゲーム機設計の責任者だった。
1980年代後半、セガがマ
制作に至らなかった『グレンダイザー』のゲームと南部虎弾さん
2010年アニメの専門家といっしょにカイロとドバイに行った。ゲーム&アニメ産業の調査である。
複数のゲーム会社やゲーム販売店を訪問したが、まだゲームは産業になっていない状況だった。カイロの大きなショッピングモールには、コピーゲームを大量に堂々と販売するショップがあった。韓国のオンラインゲームをエジプトでリリースした会社の社長は、ゲームファンが増えていると言っていた。
取材した人たちの伝手でイラ
なぜ東アジアに和風キャラのゲームが多いのか
2001~2003年ごろ韓国でオンラインゲームビジネスについて調査をしていた。韓国では、リリース済みのタイトル、開発中のタイトルに日本のアニメやゲームのような和風キャラクターが多く見られた。どういう経緯でそうなったのか。調査していてその点が気になった。
同じ時期に台湾のオンラインゲームビジネスも調査していた。韓国、台湾ともにゲーム会社の社長やプロデューサー、ディレクターの中にはファミコンゲーム
『スーパーマリオブラザーズ』から『どうぶつの森』まで攻略本の歴史
『ファミ通攻略wiki』7月終了という情報がネットニュースに掲載されていた。5月10日のこと。ゲームの攻略は、かつては書籍だったが、今は書籍もあるがネットの攻略記事が多い。
ゲームの攻略本は、ゲーム攻略に関わる情報を掲載した商業出版物だ。とくにインターネットが普及していない時代は、ゲームユーザーにとても重宝された。
攻略本が生まれた経緯はよくわからないが、1980年代中ごろ田尻さんがアーケー
ゲームが無料になって20年
PCオンラインゲームはアメリカで生まれた。それが韓国で人気となり、2000年ごろ続々とオンラインゲームを開発する会社や運営サービスする会社が生まれた。
ソウルは日本のファミコンブームのときのような感じで、ゲームを作りたい人、ゲームでビジネスをしたい人の熱気がすごかった。そのころKOCCA(韓国コンテンツ振興院)のセミナーで1時間ほど話をしたが、300人ぐらいの参加者があり、質疑応答は講演時間より長